18.ホラー映画と「僕」のおはなし
指定された席に深く腰掛け、わたしは小さくため息をつく。各種予告編の映像も終わり、スクリーンにはジャパニーズホラーらしい、じっとりとした物語が映し出されていた。
そんななか、「彼」はさっきから、ポップコーンをひたすら見つめている。ぶつぶつ呟いているのは、お守り代わりだと先ほど見ていた動画のテーマソング。曲だけなら、なんともカッコいい時代劇の音楽だ。
でも正直言って、ホラーを上映中の映画館で必殺仕事人の曲を口ずさんでいる観客というのは、映画とは別口のホラーだと思うの。理由を知らなければ、ただの変人でしかない。ほら、隣にいたカップルがちょっと青ざめた表情で席を立ったわ。席は事前指定制だけれど、余裕があるみたいだしたぶん大丈夫よね。本当に連れが迷惑をかけてごめんなさいね。
わたしの心などいざ知らず、巨大なポップコーンの入れ物が、隣で小さくかたかたと揺れている。本人はあくまで冷静さを保っているようなつもりなのが、妙におかしい。時々わたしの方を見ようとしてうっかり大画面を見てしまい、ひっと悲鳴をあげているのだけれど、わたしはそれに気がつかないふりを続けている。
もともとホラー映画苦手だもんね。わたしは心の中でそっと謝罪する。雪女である自分のためにいろいろ考えて、映画館デートをプランしてくれた「彼」の優しさが何より嬉しい。しかもそのために、自分が苦手なホラー映画まで頑張って見てくれている。これで喜ばない女性なんているわけないでしょ。
心霊やオカルト特集は好きなくせに、ホラー映画はちょっと……だなんてなんだか面白い。きっとそんなことを言えば、君だってそうじゃないかと「彼」は指摘するだろうけれど、わたしたちの間には大きな違いがあることを主張したいと思う。
わたしが、テレビの心霊特集を嫌う理由はただひとつ。うっかりその心霊現象が本物だった場合、お仕事の案件が増えてしまうからだ。しかも雪山系列の事象では、基本的にわたしが担当になってしまう。
お仕事は大事だし、稼ぐ必要があることは重々承知しているけれど、お休みだって必要だ。誰だって家でくつろいでいるときに、仕事の話をされるのはイヤなものでしょう? しかもテレビという一方的な相手からとかなら、特にね。
じゃあ、わたしがホラー映画を好きな理由はわかるかしら。どうせみんな、妖怪がホラー映画なんか見てどうするのかって思っているんでしょうね。まったく、最近のホラー映画はクオリティーが高いのよ。何て言うのかしら、そうね、仮装大賞を見ている感じかしら。微笑ましい感じがして、ついつい応援したくなるのよね。
わたしたち妖怪の中には、あまりにもホラー映画が好きすぎて、こっそりエキストラとして出演していたりする者もいるの。たまに熱狂的なファンが現場に勝手に入り込むから、ちょっとした騒ぎも起こしたりするんだけどね。ほら窓ガラスに映る謎の女の霊とか、ああいうやつ。撮影スタッフに迷惑をかけちゃダメっていうのが合言葉なんだけれど、ホラー映画の場合はこれもまた宣伝になったりするから、みんな自重しないのよねえ。
わたしはキンキンに冷えた――購入後ちょっと個人的に冷却してほぼフローズンになった――コーラをひと口すする。そのままゆっくりとスクリーンに視線を戻し、画面いっぱいに広がる赤い瞳に釘づけになった。
お、おおおおお、おおおおおおお
響き渡るのは、何ともおぞましいうめき声。あら、あらあらあら。これは久しぶりにすごい映画が来たわね。呪いのビデオというものが、しばらく前に流行ったけれど、本物の呪いの映画なんてどれくらいぶりかしら? ほら、観客が圧倒されているもの。
愛だわあ。わたしは頬をうっすらと染める。絶対にこの映画を流行らせてやるというとてつもない念を感じるわね。
ええ、確かにこの監督の作品は、どれも味があるのだけれど、一般受けしにくいものが多いのよね。ヒット作が出ないから、なかなか予算が集まらなくて、この映画も本当は切ない恋愛モノを撮る予定が、低予算でも何とかなりそうだということで、ホラー要素強めな映画に変更になったのではなかったかしら。もうこの絵面を見ると完全にホラー映画なのだけれど……。監督の意地と、ファンの愛が入り混じった、ある意味尊い感動巨編だわ。
呪いというか、呪いというべきか。……どうしましょう。映画の評価サイトを見ても、「すごかった」「目が離せなかった」「ヤバかった」みたいな語彙力に問題のあるレビューしかなかったのも納得ね。
まったく最近の妖怪ときたら……、何てもちろん言うはずないわ。推しのために手段は選ばないなんて、いつものことでしょう? だってそれがわたしたち、妖怪の価値観なのだから。
その後この映画は、圧倒的な口コミにより、映画興行収入ランキングを塗り替えたらしい。SNS上では、「この映画を観に行かないと呪われる」というちょっとした不幸の手紙みたいなコメントをもらったという話もあり、大いにネットを賑わせたのだった。