16.海坊主と「僕」のおはなし
唐突にアパートの庭で始まった「ばーべきゅー」。ことの始まりは、隣人が大量の焼きそばとイカ焼きを持ち帰ってきたせいだった。
妾が紹介した海を下見に行ったら、なぜかあやつはお土産をどっさり抱えて帰って来おったのだ。「レンジでチンも味気ないですし」という管理人の鶴の一声で、「ばーべきゅーせっと」を運び出す座敷わらしたち。どこからそんな大量の肉と野菜まで出てくるのだ。まあ、妾は美味いものが手に入るなら異存はないぞ。
「子どもたちでは危ないので、川辺さんが火を起こしてくださいね」
「なぜ?!」
妾は水辺の妖怪である。こういうのは、もっと適任者がいるのではないか。ぶつぶつ呟いておったら、猫又の飼い主が代わってくれることになった。おいタマよ、火種代わりに火車を使うのはどうなのだ。猫又は素知らぬ顔で、猫らしくなーんと鳴いている。
まるで魔法のように、串焼きにされる肉。意外と手際の良い隣人の姿に興味を惹かれて近づけば、雪女に氷柱を作られて牽制された。そう怒らずとも、ひとの男に手を出したりせぬわ。そもそも妾が海のことを教えてやったのは……まあ良い、雪女には教えてやらぬ。
まったくひとの話を疑いもせずにのこのこと出かけおって。妾はお人好しの隣人を見て、頭が痛くなった。お主は子どもか。きょうび、お使いに行く子どもの方がしっかりしておるぞ。
せっかく「すまほ」などという文明の利器を持っておっても、使わねば宝の持ち腐れ。この調子で狸や狐に化かされても、妾は知らぬからな。妾はため息をつきつつ、焼き直されたイカ焼きにかぶりつく。うむ、なかなかの味。さすがは、料理上手と評判の海坊主の手製だけある。
まさかあの気難しい男が、初対面の人間に手料理を振る舞うとは。もてなされたと聞けば、ほかの妖怪たちがどれ程羨ましがるかわからない。妾は美味すぎるイカ焼きを片手にくつくつと笑う。秘伝のタレとやらが何でできているのかが気になるところだが、蛤女房の聖水と言われても困るので、妾は聞かぬことにしておく。知らぬが仏と言うが、それは妖とて同じこと。
「すごいねえ。こんなにたくさん、どうしたの?」
「海でゴミ拾いをしていたら、海の家っていうお店のひとがお礼にくれたんだよ。良かったら、いっぱい食べてね」
座敷わらしに丁寧に説明しておるが、おそらくそれは違うであろう。海坊主は、奥方のことを娘と勘違いされなかったことが嬉しかっただけじゃ。わざわざ妾に「らいん」で報告するくらいであるからな。まああのなりであるから、親娘と勘違いされるのも仕方がなろうて。妾は良い気分で「びーる」をあおる。日本酒とは異なるこの異国の酒も、なかなかの味だ。ひどく夏らしいように思われる。
しかしなんだかんだで、偏屈の海坊主と仲良くなっておるとは流石である。妾とて、実のところあれほど海がゴミまみれになっているとは思わなんだ。あやつを行かせて正解であったな。ゴミも片付いたし、海坊主夫婦の友達も増えた。こうやって、イカ焼きも手に入った。誰も損はしておらぬ。これがいわゆる、「結果おーらい」というものであろ?
「まあ、海の家ですか。それは絵になるでしょうねえ」
「絵になるというか、漫画みたいなナイスカップルでしたね。さすがテッパン、こうあるべきっていうか。まあ、管理人さんの存在自体も同じくらいテッパンだなって、僕は思ってますけどね」
後半は小声で呟いておったが、鉄板がどうしたというのだ。焼きそばを作るのに、鉄板が必要なのは当然のことであろう。まったく意味不明であるな。
それしても、あのふたりが「ないすかっぷる」とは。えらく感動しておったが、何が琴線に触れたのであろうな。海坊主が男前に見えるのであれば、目が腐っておるのかもしれぬ。そもそも、海坊主のくせにカナヅチとかいう変わり者ぞ。
どう考えてもおかしいじゃろ。海坊主とは仮の姿で、本当はダイダラボッチなのではあるまいな。山中で湖を作る手伝いをしている最中に転落して、そのまま海まで流れ着いてしまったのかもしれんのう。難破船の乗組員たちにはえらく親切であるし、うむ、ありうる。
それがあれほど器量好しの女子を娶るとは、世の中はわからぬもの。やはり蓼食う虫も好き好きということかの。にも関わらず海坊主は、奥方に色目を使う男どもを許さぬのだから、困ったものじゃ。
あれほど惚れられておるのだ、もう少しどんと構えておればよかろうに。尻の穴の小さい男は、これだからいかん。巷では、あの辺りは波乗り泣かせの荒波とは聞いておるが、それもあやつが相当に私情を挟んでおるせいに違いないわい。まったく海坊主のせいで、妾が狩りをしにくくてならぬわ。
「うわ、今日も変な毛玉踏んだ?!」
騒がしいのう。猫又が集めた穢れを祓うのにも、いい加減慣れればよかろうに。隣人とタマの飼い主が、靴底を確認しているのが見える。毛玉に見せかけた穢れは、踏まれた瞬間に浄化されているのだ。見えるわけがなかろう。
「僕、海でフナムシも踏んじゃったのに……。やっぱり今夜スニーカー洗おう……」
おや。海でも穢れを祓ってきおったのか。なんとまあ働き者ではないか。しかも、形を取り、動き始めた穢れはなかなかに手強いのじゃが。あやつにとっては、穢れよりも蜚蠊に似た姿の方が怖いようであるし。まったく、人間というのは、不思議なものよのう。
やや、手持ちの皿はもう空っぽとなってしまった。イカ焼きに焼きそばに串焼きに、みな美味であったが、妾の取り分は既に腹のなか。仕方がない、きゅうりでも食べるとするか……。うむ、待てよ。海を綺麗にした礼としてみやげをもらったという話なら、妾にもっと振舞われてしかるべきではないか。
そもそも隣人を海に送り込んだのは、妾であったはず。雪女よ、何が働かざるもの食うべからずじゃ。妾とて、結果的に良い働きをしておるではないか。まったく、あの堅物め。
「あ、僕のイカ焼き!」
そなたは向こうで十分に食べたであろう。さて、次に海に行く時には妾たちもお邪魔させてもらおうではないか。海に向かって吹く風に言伝を頼み、妾は新しいイカ焼きにかぶりつく。