コーヒーと小瓶と白い杖
彼女と俺の出会いをちょっと語ってみようと思う。
それは夏のある日の出来事。
「ちょっと、お嬢さん。タオル落としましたよ」
それが俺が彼女に発した最初の一言だった。
「あっ……。ありがとうございます!」
そして受け取る時に見せた飛び切りの笑顔。これで一撃ノックアウトされてしまった。
「もしよかったらお茶でもどうですか?」
軽い男と思われても仕方ない。が、俺はよくこの駅を使うけれど彼女がそうとは限らない。だから思い切って誘ってみる。
「ナンパですか? だったらお断りさせて貰ってるんですけど……」
撃沈。仕方ない。ふと、彼女の握っている白い杖に目が向く。周囲をカツカツとしながら歩き出そうとしている。
「じゃ、じゃあ貴方の目的地まで案内しますよ」
「えっ」
「その白い杖。失礼ですけど目が不自由なのでしょう?」
「え、ええ……。よく知ってますね」
「だったら俺を是非使ってください。一人だといろいろ不便でしょう?」
「まぁそうですけど……」
「お願いします」
「うーん。本来私が頼む立場だと思うんですけど……」
彼女がこちらを見て困り顔をする。きっと声で位置を把握しているのだろう。
「じゃあお願いしようかしら」
「はい。こちらこそ」
彼女といろいろな話をしながら歩く駅前から少し路地を入ったところにある個人医院までのとても短いデートである。
「着きましたよ」
「ありがとうございます」
彼女の笑顔が俺に向かう。一点の曇りも無い純度百パーセントの笑顔だ。この笑顔を見るだけで胸が苦しくなる。俺の気持ちは既に彼女に奪われてしまっているのだから。
「終わったら用事はありますか?」
俺の問いに彼女は困った様な顔をする。
「いえ、無いですけど待っててもらうわけにもいかないので……」
「いえ、俺さっきの駅をよく使ってるんですけど美味しいコーヒー店があるのでどうかなと思いまして」
「分かりました。送ってくれたお礼にお付き合いします」
やった! 言ってみるもんだなぁ。
「じゃあ俺待合室に居ますね」
「はい。分かりました」
彼女の診察が終わるのを待つ。五分、十分と時間が過ぎていく。やがて診察室から彼女が出てくるのが見える。
「お疲れ様です」
「あ、どうも」
すぐに会計を済ませて彼女と手を繋ぎコーヒー店へと向かう。歩いて五分くらいだろうか。店が見えてくる。
カランコロン。
「いらっしゃいませ。二名様でしょうか?」
「はい」
「ではお好きな席に座って少々お待ち下さい」
店内の程よく効いたクーラーが気持ちいい。
「流石に店内は涼しいですね」
「ええ、暑かったから助かりました」
ちょっとして店員さんがメニューを持ってやってくる。
「俺はキリマンジャロで」
「じゃあ私はカフェラテを」
オーダーを取り終えた店員さんが戻っていく。そして少ししてから運んでくる。俺と彼女はお互いの注文した飲み物で唇を濡らす。
「あ、本当に美味しい……」
「でしょ? お気に入りなんですよ」
そう言いながら俺はまたカップを口に近づける。そこから自己紹介し合ったり取り留めの無い話をする。
楽しい時間というモノはすぐに過ぎ去っていくモノで……。
「楽しかったです! 今日は付き合って貰ってありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。私、毎週あの病院に通ってるんでよかったらまた誘ってください」
そんなこんなでお互い連絡先を交換する事に。彼女の気高い黒猫の毛並みの色に似た髪を見つめるとバレていないと分かっていても気恥ずかしくなる。
「次は私の実家に親戚から贈られてきたモノでお礼しますね」
「いえいえ、お礼だなんてそんな」
「いいんですよ。結局コーヒー代も出して貰ったんですし」
「そうですか? 俺としてはまた会ってくれるだけでも充分なんですけど……」
「まぁまぁ。そう言わずに。次回もお願いしますね?」
「はい! 分かりました」
そして次週。
「お待たせしましたか?」
「いえ、俺も今来たところです」
嘘だ。十分前から待機していた。彼女を待たせるわけにはいかないから。
「はい。これ先週お話したお礼です。先に渡しておきますね」
彼女から手渡されたのは小さな小瓶に入った何かの結晶だった。
「この結晶は何です?」
「岩塩です。お守りになるって小瓶に入れて配ってるらしいんです」
「あ、ありがとうございます! 大切にしますね」
そして再び病院へと向かい手を繋ぎ歩いていく。思いがけないプレゼントを貰ってウキウキの俺である。
そして再び二人でコーヒーを飲む。また他愛も無い話を二人で楽しむ。彼女は黒を基調とした服を着ているが暑くないのだろうか?
「黒い服で暑くないんですか?」
「あ、母さんが気を利かせたのかしら? 半分デートだって言ったら見繕ってくれて。それでこの服なんですよ」
思わずコーヒーをむせる。デートって言ったよ! 半分だけど! 嬉しいモノだ。それでお洒落してきてくれたのかと思うと感慨深い。黒い服に手にした白い杖が映えて目が不自由というハンデを忘れてしまう程だ。よく見ると杖の柄の部分に岩塩の結晶が入った小瓶がキーホルダーの様に付けられている。可愛らしいデザインだ。
「よ、よければ正式にお付き合いしたいのですが……」
「ええ、貴方はいい人ですから。こちらこそ喜んで」
やった! 彼女が出来た! これで俺もリア充だー!
「貴方みたいな素敵な人とお付き合い出来て俺幸せだなぁ」
「それは私もです。目は見えないけれども人を見る目はあると思いますから」
「納得していただけたのならよかったです」
「ところでまだ聞いていなかったのですけど仕事は何を?」
「え、えーと一応作家業をしております」
「まぁ、素敵ですね」
「ありがとうございます」
「今度読んで聞かせてくださいね」
別れ際。人気の無いところでキスをする。彼女の唇は微かにカフェラテの香りがした。
そしてその小説を読んで聞かせる今度は来なかった。彼女の持病は癌だった。痛みを堪え、終末治療をしていたと家族の方から聞かされた。
俺は泣いた。泣いて、泣いて、安っぽい表現かもしれないが涙が枯れる程泣いた。それでも告別式では彼女が天国に行ける様に祈りながら参列した。
「あの子のお守りだけど……貴方が持っていてください。その方があの子も喜ぶと思うので」
家族の方から形見分けで彼女のお守りを貰う。これで手元に二つ。
友人からもかなり心配された。一時期は後を追ってしまうのではないかとも思われていた。
「なぁ。彼女の代わりにはならないけど猫飼ってみないか?」
寂しさを埋めるために言われるがまま猫を引き取った。彼女と同じ艷やかな黒い毛並みをしたメスの黒猫を。
首輪には鈴と彼女のお守りをつけてやった。チリンと音がする度、彼女を思い出す。
これが名前はあのお嬢さんと同じカナタと決めた黒猫の彼女との出会いだ。