吐き出せない想い
(なんか……変質者になった気分)
夕菜は体育の授業を、具合が悪いと言って途中で抜けて、更衣室でゴソゴソと美由の荷物をかきまわしていた。
「それらしいのはないよなぁ」
そう独り言をいうと、美由の制服や荷物を元通りに直す。
真莢の話では、大抵の場合。真珠だという。普通の真珠の中に、極まれに人魚の涙からできたものが混じって流通することがあるためらしい。宝飾品であることもあって、たいがいがそれなのだと言っていた。
目当てのラルムが見つからなかったことに溜め息を一つ吐いて、夕菜は美由のとなりに置いてある自分の荷物に手を伸ばして、ジャージから制服に着替え始めた。
制服のリボンを結んでいると、バタバタと廊下を走る音がしてドアが開く。
「美由」
「よかったぁ。夕菜、更衣室にいたんだ。保健室に様子を見に行ったらいないんだもん。どっかで倒れてるんじゃないかって、ヒヤヒヤだったんだよ?」
「ごめん。風にあたったら、少し気分が良くなったから、とりあえず制服に着替えてから体育を見学しようかと思って」
美由は、しょうがないなぁ~。といったように笑みを浮かべた。
「まぁったく。夕菜は真面目なんだから」
「そうかなぁ。そんなつもりないけど」
「じゃぁ、律義すぎなんだ。すこしでも具合が悪いときは休まなきゃだめだよ? 昔は身体が弱かったんでしょ?」
「ありがとう。美由が心配してくれて嬉しいよ」
夕菜の微笑みに、美由は顔を赤くして額を手で押さえた。
「どーして、そうサラリと、そこで殺し文句をいうかな? 親友としてこれ忠告ね。そう言う殺し文句を不特定多数の男性には使わないように。勘違いするから」
「そういうつもりじゃないんだけどなぁ」
「夕菜がそうでも、相手はそう思わないの。っと…そんなことよりも、保健室行かなくても大丈夫?」
心配そうな顔に戻って、美由は夕菜の顔を覗き込む。
「大丈夫…って、いいたいけど。やっぱ保健室いってくるわ」
「ついてこうか?」
「ううん。大丈夫だよ。美由は授業に戻って」
「そう? せっかく体育サボれるかなって思ったのに」
「だって、大好きな美由に授業をサボらせるわけにはいかないから」
軽い冗談で会話を締めくくって、二人は更衣室を後にした。
保健室のドアを開けると、雪音が夕菜に気付いて手を振る。
今日の雪音は、制服ではなく、白衣を身に付けていた。
校医がインフルエンザにかかって休みになり、雪音が代理校医を務めているのだ。
そのため夕菜のクラスメイトにかけられた『雪音はクラスメイト』という暗示は解かれていた。
タイミング良く校医がインフルエンザにかかったのを不思議がった夕菜に、四人は『多少の犠牲は必要だ』と頷きあっていたから、自分の知らないところで何かをやったらしいことは明白だった。
雪音が代理校医をしている間に、重傷の病人や、怪我人がでたらどうするんだろうか?と不安になる。
「で? 首尾はどうだった?」
尋ねてきたのは、奥から出てきた真莢。
もちろん、今日も学校を欠席しているはずの陽一もいる。
保健室は臨時の作戦会議室。といったところだ。
と、いうより。そのために雪音が生徒役から校医役に変更したのだ。
「だめ。それらしい物はなかった。できれば、美由の荷物をあさるような真似は、これっきりにしたいな」
真莢は、覚えとく。と言って微笑む。
「身体に直接つけてるってことは?」
夕菜は首を横に振る。
「着替えのときに、気をつけて見たけど、アクセサリーの類いは、何もつけてなかった」
「ほらな。やっぱり嫌な予感的中。肌身離さず持ってるもんじゃないのに、ここまで強力だってことは面倒ごとが起こる可能性アリ」
陽一は、嫌そうに言い放つ。
「案外、人魚のミイラが家にあったりしてな。そういう話、美由から聞いたことないか?」
「ないけど……。でも、美由のお父さんが、学者だっていうのは聞いたことがある」
陽一は夕菜の答えを受けて、真莢を振り返る。
「そうなのか?」
真莢が頷くと、陽一は口笛を吹いた。
「じゃぁ、そっち関係でなにか手に入れたんじゃないか。例えばミイラとか」
「陽一ってば、そんなに人魚たちのこと干物にしたいわけ?」
冷たく響く雪音の声に、陽一は口元を手で覆った。
「ワリィ。そういう意味じゃない。可能性の話だよ」
「でも、人魚のミイラって、上半身は猿で、下半身は木彫りの偽物だって聞いたことがあるけど?」
「世間一般に知られてるミイラはそうだな。あれは、見せ物用だから……でも、それ以外のものもあるんだよ。知られてないってだけで」
陽一は、夕菜の疑問に答えると、雪音の冷たい視線と目があった。
雪音は陽一を睨み付けている。
「ほら。やっぱり干物にしたがってるじゃない」
「だから誤解だって~~」
情けない陽一の声に、睨み付けるのはやめたものの、雪音は頬を膨らませている。
「とりあえず、その話は頭の隅に追いやってくれ。美由の父親は学者だが、建築のほうの学者だ。たしか、大学の教授も勤めてる、といっていたから、そういった関係の学者と知り合いである可能性はなくもないが、期待薄だろう。海音の報告にも、そういったことは書いてなかった」
「真莢……そういうことはもっと早くに言え」
雪音をチラチラと伺いながらの陽一の言葉に、意地悪な笑みで真莢は答えた。
「人の意見は聞くようにしてるんだ」
陽一は天井を仰ぎ……ガシガシと頭を掻いた。
「ほんと、お前ってヤツはいい性格してるよ」
「どうも」
真莢は、楽しそうな笑みを浮かべた。
「で? これからどうするんだ?」
「どうするって、原因のラルムをつき止めなきゃ、なにもできないじゃない。まぁ、ミイラじゃないっていうのがはっきりしたし、ほんのちょっとだけ、探すものの対象が絞れたんだし良かったじゃないの」
棘のある雪音の言葉に陽一は情けない顔をした。
「だから……悪かったって!」
二人のやり取りを楽しそうに見ながら、真莢は次に打つ手に策を巡らせる。
身に付けていないとなると、持ち歩くには不都合なモノ。ということになる。
よほどのことがない限り、人魚の呪の力が発揮されている場合は、それを身に付けているものなのだ。
「残り香……か」
真莢はぽつりと呟く。
それは、ターゲットを美由にしぼることに決定したときに、不安材料として陽一が口にした言葉だった。
「え?……なに?」
ふっ。と真莢が我に返ると、三人の視線が自分に集中していたので、びっくりして数度、瞬きを繰り返した。
「次に何するのか、決まったんだろ」
「あ……あぁ。とりあえず、陽一。もう一度、美由と接触してくれ。美由がどういうリアクションをするか見てみたい」
「わかった。次の授業から出席する。それから?」
「今のところ、考えられる手段はそれだけ。なにか……大切なピースを見落としている気がするんだが……それが何か全く分からない状態なんだ」
真莢は自嘲するように両手を軽くあげて、お手上げポーズをする。
「全体像が見えてくれば、自ずとわかってくるさ。パズルは気長にやらなきゃね。今のところは焦る必要はないんだし」
陽一は椅子から立ち上がると、大きく伸びをして、自信に溢れた勝ち気な笑みを浮かべた。
それは本音であり、真莢を元気づけるためのポーズでもある。
「質問」
夕菜が先生に質問するように、真莢に向かって手を挙げる。
「なに?」
「安岡君が、美由の前に姿を見せると何かあるの?」
「ラルムを持っていて、呪の力が動いてるってことは、意識はしてないけど、深層心理で、理解してるんだ。……同調してるっていったほうがいいかな」
「ラルムとシンクロしてるってこと?」
物とシンクロするというのだろうか。と夕菜は眉を寄せて考える。
「いや。ラルムに宿っている人魚の心や想いとシンクロするんだ。ラルムは人間の恋心と反応して、二つの心はシンクロし始める。
本人が気が付かないだけで、ラルムとシンクロしている間は、人魚の力を無意識でも、意識的にでも使用できる。ラルムに宿ってる人魚の心と、ラルムの持ち主の心。つまり、二つの人格は、融合しているような状態なんだ」
「……だから?」
「もし、美由がラルムを持っていて、その力を使っているのであれば。陽一の元気な姿を見せることで変化がある。ラルムに宿ってる人魚の心が、違和感を覚えるからね。
まぁ…、どういう変化が起こるか分からないところが、この作戦のウィークポイント。ってところかな」
「…………美由に危険はないんでしょうね?」
夕菜の一言に、真莢たち三人は沈黙した。
「…な……なんで、そこで黙っちゃうのよ!」
当然、危険はない。という言葉が返ってくるものと思っていたため、夕菜はあわてる。「う~~ん。軽いのだと、驚く。とかだけど」
真莢が唸るように声に出す。
「軽くないと? どうなの?」
「ラルムに宿ってる人魚の心に、表層意識を乗っとられる。簡単に言うと、人格を取ってかわられる。あげくに戦闘開始っていうこともある」
真莢の言葉に、夕菜は意識が遠くなるのを感じた。
※ ※ ※
校舎の中はシンと静まりかえっていた。
四時間目の授業は、もう始まっている。
こんな事もあろうかと、着てきていた制服と持ってきていた鞄を手に、陽一は教室のドアを開けた。
ノックもなしに開けられた前方のドアに、教室の中にいる生徒と教師の視線が、一斉に陽一へと向けられた。
陽一は、真っ先に美由へと視線を走らせる。 いきなり開いたドアに、少しびっくりした表情を一瞬みせたものの、それは他の生徒も同じだ。
問題は、ドアを開けた人物を陽一だと認識したときに見せる様子。
(何の変化もみられない……か)
陽一は軽く溜め息を付いて、美由から教師へと視線を移動した。
ちょうど、授業は担任の教師が担当している古典だった。
「遅刻しました」
「欠席じゃなかったのか? 家族から、そういう連絡があったんだが」
担任のいっている家族からの電話は、海音がかけたものだ。
「具合がよくなったので。転校してきたばかりなのに、二日連続で休むのもどうかと思って」
陽一がニッコリと笑うと、担任の神崎は安心したような顔をする。
夕菜から、神崎先生が、自分がいじめにあってるんじゃないか。と心配していたという事を聞いていた上での、フォローだ。
担任にまでフォローをいれてしまう自分の事を、なんて気のつく心の優しい人間なんだろう。と陽一は常日頃から思っているのだが、現在、その事実に同意してくれる人物は身近には一人としていない。
否定する人物なら山ほどいるのだが……
陽一は自分の席に座る。
美由のほうをずっと見ているわけにはいかないため、神経を美由に向けて感覚で観察を続ける。
ときどき、視線を黒板から夕菜の席に向けて心配そうな顔をすることはあったが、授業中に美由が陽一のことを見ることは一度もなかった。
(どういうことなのだろう?)
授業の終了を告げるチャイムと一緒に、陽一の頭の中で、その言葉は鳴り響いた。
※ ※ ※
額に触れる、冷たい感触に夕菜は目を覚ました。
夕菜の熱を計るように、雪音が額に手を当てている。
「あれ?……あたし、もしかして」
「ショックで倒れた」
おどけるように眉を上げながら、雪音が夕菜の言葉の後を引き受けるようにして言う。
「四時間目の授業が終わったときにね、美由が様子を見にきたよ。名前は分からないけれど、あと二人の女の子も一緒だった」
「そう……安岡君は美由と会ったの?」
「会った。もう、謎は深まるばかり。美由には何の変化もなかったって。おかしいよね。美由以外にラルムを持っている可能性のある人はいないのにさ。だから、もう一人ラルムを持ってる人がいるのかもしれないって陽一が言い出して、いま大急ぎで海音ちゃんが、全校生徒を調べ直してるのさ。
そうだ、おなか減ってるでしょ? ついでに五時間目もサボって、ここでお昼してきなよ。夕菜の分もあるんだ。海音ちゃんのお弁当は美味しいよ」
べらべらと次から次に喋る雪音に、夕菜は目を丸くする。
最初の敵意はどこへやら……昨日、マーメイド探偵社の事務所で会って以来、やけにフレンドリーだ。
どうも、あの時の陽一の一言が効いたらしい。と推理はしてみるものの……どこをどうすれば『僕たちラブラブなんだ』の言葉からこうまで変われるのか、夕菜は理解に苦しんでいた。
「あの……」
その事を聞いてみようと口を開いては見るものの、何て言い出せばいいのか分からずに、すぐに言葉に詰まった。
その様子を見て、雪音はスウッーっと目を細める。
夕菜が何を聞きたいのか気が付いたらしい。
「んーっとね。夕菜、真莢様の味方なんでしょ。陽一が気にいってたってことはそういうことだもの。だから…もういいのだよ。真莢様の敵じゃない夕菜は好きだから。えーっと、あの時は……ゴメンネ」
俯きかげんで、頬を赤くして謝る雪音の姿に、夕菜は新鮮な驚きを感じた。
殺されかけたことは、その時に謝ってもらってはいたが、あれは……夕菜に対しての謝罪というよりも。真莢への謝罪を、夕菜に向けていっていたような感じだったのだ。
だから、完全に夕菜へ向けられた謝罪の気持ちに、夕菜はフワリと温かい気持ちになった。
(なんか……子猫みたい)
自然と口元がほころぶ。
「うん。もういいよ。あの時のことは。杉浦さんの気持ちも分かるし、なにも知らなかった、あたしも悪いんだもん」
返された夕菜の笑顔に、雪音は本当に嬉しそうに、全開の笑みを浮かべた。
「ありがとう。それと、あたしのことは雪音って呼んで。そっちのほうで呼んでもらえるほうが嬉しいから。あたしも、夕菜って呼びすてにしちゃってるしさ」
「わかった。それじゃ、お弁当たべよっか」
二人は微笑みあう。
「なに女同士でイちゃついてんの?」
ドアのほうからかかった声に二人は一斉に振り向く。
「あっ。陽一ってば妬いてるな」
そう言いながら、雪音は夕菜にギュッと抱き付く。
「あのねー。いつ声かけようかずっとタイミングを伺っていた僕の苦労をその一言で無下にするかい」
ドアに寄り掛かった姿勢で、陽一は二人を交互に見る。
「やだ。もしかして女の子の内緒話を盗み聞きしてたの?」
雪音の言葉に、陽一は顔をしかめる。
「あのね……。僕が入ってきたのに気が付かないで、二人でベラベラと、喋ってたんじゃないか。別に盗み聞きしてたわけじゃない。堂々と、ずっとここに居たんだから。そんなことより、真莢知らないか?」
「真莢様? 授業中でしょ。いまの時間は」
「授業に出席してたらな」
呆れたような陽一の声。
「授業でてないの?」
夕菜の問いに、陽一は頷く。
「ご丁寧に、携帯の電源もOFFにしてくれてる。さっき、海音から連絡があってさ、真莢に伝えたいことがあるんだ。もちろん、二人にも」
夕菜と雪音は顔を見合わせる。
「なにかあったの?」
「なにもないよ。なにもないから緊急事態なわけ」
陽一はドアに寄り掛かっていた身体を起こして、真っ直ぐ立つと、二人に真剣な顔を向けた。
「可能性はゼロ」
陽一が口にした言葉はたったそれだけだったため、二人は事態を飲み込むのに少しの時間を要した。
「ラルムを持っている可能性のある人は美由以外には有り得ないって事?」
それのどこが緊急事態なのだ? といった感じの雪音の口調に、陽一は苛立ったらしく、眉をしかめた。
「バカ。可能性がゼロってことは、美由が原因じゃなかった場合のことを考えてみろ。
ラルムがこの学校を基盤に動いてるのは確かなのに姿が見えない。
ラルムを幽霊が持ってるって事か? 非科学的でばかばかしい。だとしたら、真莢のダウジングが外れたってことだろ。美由と被害者たちとのことは単なる偶然で、彼らを結ぶ接点が他にあったってことになる」
陽一の言葉に、夕菜はきょとん。とする。
(幽霊は非科学的で、なんで龍と人魚は非科学的じゃないのだろう?)
龍と人魚が実在するのだから、幽霊もいそうなのに。と夕菜は思ったが、面倒臭いことになりそうなので考えるだけで口にはしなかった。
「真莢様のダウジングが外れたって事になると、確かに緊急事態よね」
雪音は陽一の言葉に納得して、ふむふむ。と頷く。
なぜ、それで緊急事態になるんだ! と夕菜は心の中で叫ぶ。
そこで、ふっ…と、ある考えが夕菜の中に浮かんだ。
ちょっとした可能性。
「もしかして……若森先輩と安岡君のは別の人だったって可能性はないかな? 二人目までは美由が原因だった。だから、真莢さんのダウジングで学校が示されたし、美由からは残り香程度の力しか感じなかった。一つのラルムが原因だと思うから複雑に見えるんじゃないのかな?」
夕菜の意見に、二人は神妙な顔をして頷いた。
「なるほどねぇ。―――あのさぁ、なんで僕だけ安岡クンなわけ? 傷ついちゃうなぁ」
陽一って呼んで。とニッコリいわれ、夕菜は緊張感のなさに吹き出した。
※ ※ ※
まだ授業中なため、こそこそと、五時間目に授業を受け持っていない先生たちに見つかったりしないように気をつけながら、夕菜は南校舎の開いている教室を片っ端から見ていった。
(……こんな所にいた)
夕菜は、念の為に覗いた理科準備室に、真莢の姿を見つけて苦笑した。
『まだ学校にいるはず』という雪音の言葉に、夕菜と陽一の二人で手分けして、学校中を探し回っていたのだ。
雪音が参加していないのは、陽一に養護教諭が保健室にいないでどうする。といわれたためである。
窓に寄り掛かるようにして、椅子に座った姿勢のまま、真莢は眠っていた。
「真莢さん…」
遠慮がちに、肩を叩いて起こす。
「…う…うん?―――あ…絢音?」
焦点のあっていない瞳が夕菜をとらえた。 寝ぼけているような真莢の声。
「え?」
自分の知らない名前……しかも、女の名前に、夕菜の心臓はドキリとする。
「――――あぁ、ゴメン。夕菜か……」
完全に目覚めた真莢は、自分の勘違いにきづいて、片手で顔を覆う。
「昔の夢見ててさ……ごっちゃになった」
せつない溜め息と一緒の言葉に、夕菜は、絢音が誰なのかという事を聞くことができなかった。
「……あの、陽一さんが探してます。海音さんから連絡があって、美由のほかにラルムを持っている可能性のある人はゼロだって言ってたって」
「そう。ありがとう。探させちゃったみたいだね。ごめんね、迷惑かけて」
「いえ……あの、ちゃんと寝てますか? なんか、疲れてるみたい」
「大丈夫。最近、夢ばっかり見てるせいか、熟睡できなくて、感覚的に寝不足なだけだから」
まだ心配げな表情をしている、夕菜を促して、真莢たちは理科準備室を後にした。
保健室に向かう道すがら、夕菜は、陽一たちに話した自分の考えを、真莢にも話す。
なんの感情もうかがえない表情で、夕菜の話に耳を傾けている。
「考えられるね。ただ……その可能性の一番が意味するところ分かってる?」
話し終わると、無表情な顔のままチラリと視線を夕菜に投げて言った。
「え?」
予想から少し外れた、真莢の態度に夕菜は困惑した。
(どういう意味なんだろう?)
真莢が、続きを口にすることはなかった。 夕菜もあえてそれを聞こうとはしなかった。保健室についたら、説明してくれるだろう。と思っていたからである。
そうすれば説明が一度で済むからだ。
しかし……保健室のドアの前まできたところで、真莢は夕菜に向き直ると、
「夕菜。六時間目は、ちゃんと授業にでなさいね」
そう言って、夕菜の目の前でドアを閉めた。 五時間目終了のチャイムが鳴り響く。
校舎全体にザワザワと生徒たちの声や物音が広がっていった。
(……拒絶?)
それに近いものだと感じた。
もしかすると、自分が認めたくないと思っているだけで、拒絶そのものだったかもしれない。
夕菜は保健室のドアの前で動けなかった。 自分に一言もいう暇を与えずに、閉じられたドアを、半ば呆然と見つめていると肩を叩かれ、夕菜はビクリと体を揺らした。
振り向くと、陽一が夕菜の反応にびっくりした顔をしている。
「どうしたの?」
「なん…でもない」
「そう? 中に入んないのか? もう真莢、戻ってきたんだろう?」
不思議そうな表情で、陽一は夕菜の顔を見る。
「あ……あの、あたし授業があるから」
「そんなのサボっちゃえばいいじゃん。いまさら、あと一時間サボりが増えても…って、オイ!」
夕菜は陽一の言葉を最後まで聞かずに走っていった。
後ろから、数度、自分を呼ぶ陽一の声が聞こえたが夕菜は振り返らなかった。
振り返れなかったのだ。
夕菜は人気のない、特別教室に駆け込むと、ドアに寄り掛かるようにしてしゃがみ込んだ。「なんで涙がでてくるかなぁ~~」
自分を励ますつもりで口にした言葉が、余計に涙腺を刺激した。
※ ※ ※
「なんだったんだ…」
陽一は、夕菜が走り去っていった方を見ながらぽつりと呟く。
(泣いてた?)
そう見えただけかもしれない。
俯きかげんで、顔をはっきりと見ることはできなかったのだから。
仕方なく、陽一は保健室の中に一人で入っていく。
(あ――なるほどね)
保健室の中には、不機嫌な様子の真莢が椅子に座っていた。
(どんだけ生きても、コレばっかりは。ってところかね)
陽一は後ろ手に保健室のドアを閉めると、ガシガシと頭を掻いた。
「お兄さん。恋の相談に乗りましょうか?」
冗談めいた陽一の言葉を真莢は、キッと睨み付けた。
「で? なにに怒ってるわけ? 真莢の複雑怪奇な思考回路には、僕ついてけないから、素直に白状してくれ」
「別に怒ってなんかいない」
ぼそっと言い返された言葉に、陽一は溜め息を一つつく。
(めちゃくちゃ怒ってんじゃん)
「じゃぁ……とりあえず、外でお茶しようか」
陽一の提案に反論したのは、雪音だった。
「なんで、ここじゃダメなの?」
ぷくっと頬をふくらませて抗議しているのは、自分は学校が終わるまでは出られないためである。
「雪音には、学校で情報収集していてもらいたいんだ。そのためにはこれから、放課後の部活が終わるまでが正念場だろ?」
意外にも、訳の分からない理由で雪音をなだめたのは真莢だった。
それから少しして、それが、保健室で話さない理由にはならないと言う事に雪音が気づいて憤慨したのはいうまでもない。
しかし、その時には、学校から一駅のところのファミリーレストランに陽一と真莢の姿はあった。
「夕菜が原因だったことに怒ってるわけ?」
「陽一。その言葉の意味分かってるか?」
随分と自信過剰だな。という言葉の響きに、陽一はにんまりと笑った
「わかってるよ。夕菜が僕のことを好きだって事だろ。
でも、夕菜ならスジは合うだろ。美由と同時期に僕が出会った中で、一番親しくなった人間だし。人魚の血をひいてる彼女ならラルムなしでも可能かもしれない。
そういうことなら、真莢が夕菜に会っても彼女が原因だって分からなかったことも。僕が元気に動いていることにショックを受けたりしないのも、事情を知ってるっていうことで、完璧に説明できる。これしか正解はないんじゃないかっていうくらいに」
「そうだな。それ以外には有り得ないな」
つかれたように真莢は言う。
「おや、ずいぶんと弱気な発言。それで? 真莢が夕菜が僕のことを好きだって事に妬いたわけだ?」
ニヤニヤと楽しそうに笑いながら、陽一は真莢を見る。
「なんで? 俺には絢音がいるのに?」
必死のポーカーフェイス。
それでも、ほんの少しだけ、微妙に感情をのぞかせている。
陽一ぐらいにしかわからない違いである。
「それこそ、なんで? だね。普遍的に一人だけを好きでいなきゃならない理由でもあるのかよ。気持ちってのはとらえ所のないものでしょ。自分じゃコントロールがきかない」
「話題がずれてる。陽一が知りたいのは俺が怒っている理由だろ?」
「そうだよ。でも、話題がずれてるとは思ってないよ僕は」
「なら、話は簡単だ。俺は怒ってなんかいない。それで話は終りだ」
席を立とうとする真莢に、陽一は溜め息を付いた。
「どーして、そう強情かな」
「強情はそっちだろ」
「ふーん。じゃぁ、なんでお嬢さん泣いたりしたんだろ」
陽一の一言に、真莢は動きを止めた。
「……泣いた?」
「そう。保健室の前でね。泣きながらどっかに走ってった」
指で椅子をさされ、再び座るように陽一に促されて、真莢はドサリと座り直した。
「追いかけなかったのか?」
「追いかけてたら、今こうして真莢とここにいるわけないじゃん」
当たり前のことを聞くな。というように陽一は切って捨てる。
「そーじゃなくて……だって、泣いてたんだろ?」
「泣いてたね。でも、慰めるのは僕の役目じゃない。僕としては、どーして夕菜が泣くような事態になったかのほうに興味がある。彼女に、なに言ったの? 誰かに感情をぶつけるなんて真莢らしくない。それとも、そんな事に構えられないくらいに、嫉妬に狂ってた?」
陽一は意地悪げに微笑む。
「でも、そんなことで辛く当たるんだったら、相手は夕菜じゃなくて、僕だろ。普通は」
「ただ……授業に出たほうがいい…って言っただけだよ。夕菜が原因の可能性があるなら、これ以上は関わらせられないだろ」
陽一はウンウンと頷く。
「正論だね。でも、そんな言い訳、僕が信じると思う? だって彼女、自分が原因なら殺しても良いって言ったんだろ。海音さんから、僕が意識のなかった間の出来事は聞いてるんだ。はぐらかそうったって、そうはいかない。でも、まぁ、だいたい想像できた。どうせ冷たいいいかたでそれを言って、鼻先でドアを閉めたりしたんだろ」
「うっ……鼻先ってほどじゃ……」
「でも、似たようなもんだろ? でもさ、問題は、なんでそれくらいのことで夕菜が泣いたかだよね。真莢わからないのか?」
「人の心の中なんてわかってたまるか」
陽一は、こういうのはルール違反だけど。と前置きをして、核心の部分をついた。
「夕菜が好きなのは真莢だよ。僕なんてハナから眼中にない」
なんでそんなことが言い切れる。と言いたそうな真莢の視線にぶつかって、陽一は、世話がやける奴だ。というように肩を竦めた。
「なんでそんなことが言えるかって言うと、僕が人魚の呪で倒れたときに、覚醒を促すためにお嬢さんのペンダント使っただろ」
「あぁ」
それがどうした。というように真莢は相槌を打つ。
「ずっと身に付けてたものだし、大切にしてたものだったせいか、アレは、お嬢さんの記憶や感情とかと連動していた。しかも、あれはもともと僕の鱗だったんだよ」
「知ってる。七年前にお前に夕菜にあげるように渡された竜の鱗をペンダントに加工したものだ」
「そう。だから、普通の物に比べれば数倍のシンクロ率だったと思うよ。それが海音さんの覚醒を促す呪力に取り込まれるように僕の中に流れ込んできたんだ。だから、お嬢さんは原因じゃないし、真莢が妬くこともない」
自信ありげに陽一は言い切る。
降参だ。というように、真莢は弱々しく笑った。
「………陽一。お前のいう通り、俺はお前に妬いた。それは認める。夕菜から話を聞いて、真っ先にその可能性が浮かんだし、突き崩して否定するには強固なものだったから。
―――でも、違うんだ。夕菜に冷たく当たったのはお前に妬いたからじゃない。自分が許せなかっただけなんだ。確かに……あれは、いいわけだよ。これ以上、彼女に近くにいて欲しくなかったんだ。俺は、一瞬でも夕菜のことでお前を妬いた自分が許せなかった。俺には……絢音しか有り得ないのに」
自分を卑下するように嗤う真莢をみて、陽一は痛そうに顔を歪めた。
「なぁ……現時点では、僕は絢音よりも夕菜の味方だ。彼女は、お前の側にいてくれるだろうから。……事務所に戻ろう。これからの計画を練らなきゃならない。二人目のラルムの持ち主を探すのか、それとも、別の可能性を求めて動いてみるか、相談しなきゃならない。五人でさ」
そうだろ? と陽一は片目をつぶった。
※ ※ ※
六時間目のチャイムと同時に駆け込んだため、夕菜が美由と話をしたのは六時間目が終了してからである。
「大丈夫?」
美由の心配そうな顔に、夕菜は大丈夫だよ。と笑う。
三時間目の途中に、保健室に行ったっきりもどってこなかったのだから心配されて当然だろう。
「なんか、寝不足だったみたいで、ベッドに横になったら、ちょっと熟睡しちゃって」
「そーだね。様子見にいったとき、気持ち良さそうにイビキかいてたもん」
「うそ! ほんと? あたしイビキかいてたの?」
「うそうそ。冗談だよ」
ケラケラと美由は明るく笑う。
「あんまり心配させるなよ?」
「ありがと。心配させたお詫びに、パフェおごるよ。もう、今日はヤケ食いしたい気分だしさぁ」
夕菜の誘いに、美由はすまなさそうな顔をする。
「あ―――ごめん。あたし、今日はちょっと早く家に帰らなきゃなんだ」
両手を顔の前であわせて謝る美由に、夕菜は少し残念そうな顔をして、自分の提案を引っ込める。
「そっかぁ、じゃぁ、別の日にね。今日、家でなんかあるの?」
「何かあるっていうか、夕方から両親が法事で、でかけちゃうんだ。帰ってくるのは日曜日の夜だってさ」
「じゃぁ、今日と明日って一人なの? 一人で大丈夫? 女の子一人っていうのは物騒だし、泊まりに行こうか? まぁ、女が一人増えたから物騒じゃなくなるわけじゃないけど」
最後の冗談めかしたフレーズに笑いながら、美由は夕菜に、心配ないよ。と微笑む。
「……お姉ちゃんも一緒だし、一人ってわけじゃないから」
「あれ? 美由ってお姉ちゃんいたんだ。あたし、一人っ子だとばっかり思ってた」
「うん…いたよ。言ったことなかったっけ?」
「聞いたことないよぉ。そっか、でも意外だなぁ」
「なにが?」
「だってさ、妹か弟がいるっていうんだったら納得できるんだけどさぁ。美由ってしっかりしてるから」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。お姉ちゃんとはいくつ離れてるの?」
「三歳はなれてる」
「大学生?」
「ううん。えっ…と、家事手伝いって所かなぁ」
「なるほど。花嫁修行ってやつだね」
うんうん。と頷きながらの、冗談めかした夕菜の言い方に、美由は苦笑する。
「……そうだね。じゃぁ、あたし急いで帰らなきゃならないから」
美由は、先に教室を後にする。
美由に用事があったため、開いてしまった放課後の予定に夕菜は溜め息を付いた。
本当ならば、マーメイド探偵社に出かけて、彼らとラルムの事について話しあう予定だったのだ。
しかし、夕菜は、そこに出かけられるような気分じゃなかった。だから、気分転換もかねて、美由とお茶をしながら喋りたかったのだが、それもダメになってしまい気分がふさぐ。
ほかの友達を誘って、放課後の時間を潰しても良かったのだが、そういう気分にはなれなかった。
まっすぐ家に帰るか。と夕菜が思っていると、鞄の中から携帯の着信音が流れてきた。 ディスプレイに表示されている電話番号は見覚えのないものだった。
数字の始まりから、かけてきた相手も、携帯電話だということは分かったが……
「はい」
夕菜は携帯にでるときは名乗ったりしない。 夕菜以外に用があって、電話がかかってくるという事はないからだ。
『あの…夕菜?』
「そうです…ケド」
誰だろう? と夕菜は自分の携帯のナンバーを知っている男の人の名前を頭に浮かべる。 父親と、後はクラスメイトや委員会で一緒になったことのある何人かが、頭に浮かんだが、どれも違う。
「あの?」
困惑した夕菜の声に気が付いたのか、相手は慌てて名乗った。
『真莢なんだけど……事務所に来られる? これからのことで相談しなきゃならないし』「…………はい。大丈夫です」
信じられないような気持ちが強くて、電話を切った後、夕菜はぼんやりと携帯を見つめた。




