運命的な仲間たち
壊してしまうアイ。
実らないコイ。
どうして、人魚はこんなにも人間に恋をするのだろう。
体を占める切ない想いに涙を流す。
叶わない想いだから……せめて永遠を与えてあげたくなる。
想いがすべてこぼれる前に、気付いて欲しい。
永遠の別れ。
そんな結末を望んではいないというのに、人魚の恋する気持ちが愛を壊す。
ビルの屋上で、海音は輝く月を見上げる。
夜風に乗って聞こえてくる、人魚たちの恋慕に静かに涙を流す。
自分の想いが、彼を殺すことがないと知っているから流せる涙。
「海音ちゃん」
自分を呼ぶ声に、急いで涙を拭って振り返る。
「……雪音さん」
「大丈夫?」
気遣わしげな表情に、海音は、心配いらない。と微笑んでみせる。
「今が、ずっと続けばいいのにね」
寂しげに呟かれる雪音の言葉に、海音は頷きかけ…止める。
「でも、そうしたら真莢様がかわいそうですわ」
「うん。でも、真莢様が誰か一人のものになるのは嫌だもん」
「絢音様が側にいないというだけで、真莢様は……私たちが出会う前から、ずっと絢音様のものですから」
「だけど、やっぱり違うよ。絢音様を見つけたら、きっと。あたしたちのこと真莢様いらなくなっちゃうもん」
いじけたように言う雪音の肩を、海音は優しく抱き締める。
「大丈夫よ。だって、真莢様ですもの」
海音の言葉を夜風がさらっていく。
「そうだよね。―――あっ、あのね海音ちゃん。真莢様が陽一の家にフォローいれてくれって」
雪音は真莢の伝言を海音に伝える。
「そう……陽一様に恋呪が。分かったわ。今から安岡家のほうに電話して、『今日は帰れない』と暗示を掛けておきますわ」
雪音は海音の言葉に、首を傾げる。
「いっくら陽一でも、一日で復活するのは無理じゃない? 真莢様も当分意識が戻りそうにないっていってたし。もっと長いやつ、旅行に出ているとか言うほうのがいいんじゃない? 一回で済むから、そっちのが面倒無くていいと思うけど」
雪音の言葉に、海音は意味ありげな微笑を浮かべ、返事に代えた。
「海音ちゃん……もしかして何か企んでる?」
おそるおそる聞いてくる雪音に、海音は
ナイショ。と笑った。
※ ※ ※
夕菜は、耳にした事実に目を丸くした。
「先輩が……退院した! ?」
嬉しいことなのだが、どうして? という気持のが強い。
「だからさ、夕菜から美由に、それとなくあやまっといてくんないかな? ほら、あたしたち色々と美由のこと悪くいっちゃったじゃない」
お願い。と、顔の前で手を合わせる友人たちに、夕菜は頷く。
「……いいけど」
「よかった」
ホッとした様子の友人たちに、夕菜はいちおう釘を刺す。
「でも、後で自分でもちゃんとあやまっといてよ?」
「それはもちろん」
力強い友人の言葉に、夕菜の顔から笑みがこぼれる。
タイミングよく鳴り響いた三時限目の始まりを告げるチャイムに、友人たちは自分の席へと戻っていく。
その後ろ姿を見送る視線を、美由。陽一。雪音の席へと順に動かす。
三つの席は、朝から空っぽだった。
夕菜の中で、風邪で休んだ美由への心配と。サボリらしい、陽一と雪音に対する苛立ちがごちゃ混ぜになる。
(説明してくれるって……言ったのに)
これでは、身体が心配だから。と大事を取って学校を休ませようとした両親を振り切って来た意味がない。と夕菜は悔しげに唇を噛み締めた。
夕菜は授業を終えて放課後になると、待ってましたとばかりに担任のところへと直行する。
「神崎先生。安岡くんと、杉――の住所教えて下さい」
夕菜は雪音の名前を言いかけてやめる。
暗示を掛けてクラスに潜り込んでいる人間の住所が生徒の住所録に載っていないことに気付いたからだ。
「安岡と、誰だって?」
「やだなぁ、安岡君だけですよぉ」
夕菜は笑ってごまかした。
「安岡の住所ねぇ? あぁ、今日休みだったな。ちょっと待ってろ。いま書き出してやるから」
「ありがとうございます」
夕菜はあっさり教えてくれることに、少し拍子抜けした。
「しかし、沖は親切だな」
「は?」
「安岡のことは先生も少し心配してたんだ。転校二日目から休むから。ほら、女子に物凄く人気があったみたいだから、男子と馴染めなかったんじゃないかって」
「―――それって、安岡くんがイジメにあってるってことでしょうか?」
「いや…転校初日から、そんなことはないとは思うんだが。やはりなぁ」
夕菜は意外そうに先生を見つめた。
「先生って、見掛けによらず心配症なんですね」
「みかけによらずって……」
絶句する先生に、ほめてるんですよぉ。と夕菜は笑顔を向ける。
「安岡くんなら大丈夫だと思いますよ。おとなしくイジメられるような人間じゃないですから。どっちかというと、イジメられた後に仕返しをやり過ぎないか心配したほうがいいと思いますけど?」
なにせ超能力が使えるのだからイジメを苦にすることもないだろうと思って、自信満々に答える夕菜に、先生は首をかしげる。
「なんか、安岡のことに詳しいんだな。……あぁ、もしかして昔から知り合いなのか? そういえば安岡に最初にあったときに校長が、どっかの会社の御曹司だとかって言ってたな。沖もそうだよな? その関係でかぁ。案外、お前のこと追ってきたのかもなぁ。いいなぁ、若いって」
なぜか感動している先生に、夕菜はこっそりと溜め息をついた。
「違いますって。知り合いじゃありませんよ」「そうなのか? 別に照れなくてもいいんだぞ?」
「照れてません。それより安岡くんの家って、もしかして安岡建設ですか?」
「さぁ? まぁ、本人に聞くのが一番正確だろう。ほら」
先生は夕菜に住所と電話番号をメモった紙を渡す。
「ありがとうございます」
夕菜がお礼を言って踵を返したところを先生は呼び止めた。
「沖……野田は大丈夫か? ここのところ、なんか女子とうまくいってないように見えたんだが?」
不安げな先生の声に、夕菜はニッコリと微笑んだ。
「それは…もう大丈夫です。たぶん解決したんで」
ホッとした表情を見せた先生に、さようなら。とペコリと頭を下げて夕菜は職員室を後にした。
住所を頼りに夕菜は陽一への家へと向かう。
「さすが大手建設会社の御曹司」
夕菜は門の前で屋敷を見回す。
(しかし、ゼネコンの跡継ぎが超能力者……なんか、漫画になりそうな話だな)
夕菜が、そんなことを考えながらインターホンを押そうとすると、寸前で手首を掴まれた。
「沖家のお嬢様ですね?」
夕菜の手首を掴んだ、透き通るように白く細い手の持ち主は微笑を浮かべて、夕菜が自分の言葉に頷くのを確認すると、自分のあとについてくるようにお願いしてきた。
「でも……あたし、この家に用が」
「存じております。しかし、いま陽一様のお宅を訪問されては困りますので」
「安岡君の知り合いなの?」
夕菜の問いには答えず、ニッコリと笑顔をつくる。
「ついてきてくださいますか?」
「……わかったわ」
「ありがとうございます。私の名前は海音です。これからもよろしくお願いします。沖家のお嬢様」
花のように微笑む海音に、夕菜はきょとんとした。
(これからも? ……って)
「さぁ、行きましょうか」
戸惑いながらも、夕菜は海音の後をついていった。
※ ※ ※
地下鉄を利用して銀座に出ると、夕菜はガラス張りのビルの七階へと案内された。
(マーメイド探偵社? なんか……うさん臭い名前)
ドアに書かれたテナント名に夕菜は足を止める。
「どうぞ。お入り下さい」
ドアのところで立ち止まったまま動かない夕菜を、海音は中に入るように促す。
「いらっしゃい」
夕菜が中に入ると、真莢がそれを出迎えた。
「え?」
「びっくりした? 本当は、オレが学校内で連絡を取る予定だったんだけど。ちょっと、色々とやってたら、夕菜と行き違いになっちゃったみたいでね。それで、海音に後を追ってもらったんだ」
「真莢さんも、うちの高校に通ってるんですか?」
「まぁね。通っているというよりは、潜入しているといったほうが正しいんだけどね」
真莢は人の良い笑顔で、夕菜に答えると、ソファーに座るよう進める。
「じゃぁ、約束通り全てを説明しよう。そのかわり、オレたちに協力してくれるって約束してくれるかい?」
夕菜は真莢の言葉に力強く頭を上下に揺らした。
「これがオレの名刺」
夕菜は名刺を受け取ると、眉を寄せる。
「人魚鎮魂歌師?」
「そう。それがオレの肩書き。人魚たちの魂を鎮めるのが仕事なんだ」
「魂を鎮める?」
「人魚に恋されると、人間は人魚に生気を奪われて死んでしまうんだ。だから、それを防ぐためにね。オレみたいなのが必要なわけ。っていっても、慈善事業なんだけどね。誰かが料金払ってくれるってわけでもないし」
夕菜は、真莢に説明を受けているうちに、雪音の言葉を思い出した。
「あたしですか? 雪音さんに、あたしが原因なんじゃないかって……言われました」
ああそうなのか。と夕菜は納得した。
だから、陽一や雪音の言葉の向こうに見えた真莢を怖いと感じたのだ。と。
その恐怖心は、直に会って、というよりも再会することで無くなり。別のモノに変化しようとしていたのだが……
「あたしのこと殺すんですか?」
それでもいいか。と思ってしまうのは、なぜだろう?
幼い頃、周りの大人たちは、夕菜の事を『不吉』だと影で噂をしていた。
男しか生まれるはずのない沖の家に、女である自分が生まれたからだった。
子供は、大人が考えているより利口で敏感な生き物。
大人たちが知らない、わからない。と思ってるだけで、夕菜は、彼らの言っていることを知っていたし理解もしていた。
年を重ねるにつれ『不吉』と言われることは少なくはなったが……それだって、自分が、そういう彼らと距離を取っているから聞こえてこないだけのことだとは理解している。
夕菜が家を継ぐことが正式に決定すれば、今度は、陰口や悪口といった形以外で、親類縁者の憎悪がはっきりと自分へと向けられるであろうことは分かり切っていた。
狂気の手が伸ばされるのが、今か数年後の未来かの違いだけ。ならば……
「いいですよ。殺しても……。幸せになれた人魚の話なんて聞いたことないし」
息を吐きだす真莢を、夕菜はぼんやりと目で追った。
「あのさぁ、覚悟してくれるのは非常に有り難いんだけど……俺、人殺しはしないし。それに、夕菜は原因じゃないよ」
『だいいち』と。真莢は顔の前で人差し指を振る。
「被害者が誰だか、わかってる? 被害がでなきゃ、俺らは動けないよ」
勘違いしたことの恥ずかしさに、夕菜は頬を紅く染める。
「じゃぁ……協力するってどういうこと?」
夕菜の言葉を受けて、真莢は背後に控えている海音にチラリと視線を送る。
「安藤尋。長野希一。……若森昌己」
海音の読み上げる名前に、夕菜はハッとした。
「それって、美由が人魚だっていうことですか?」
夕菜の問いに、真莢は困ったように唸った。
「うーん。ちょっと違うかな。正確に言うと、人魚の何かを持っている。っていうことだ」
「何か?」
「そう、何か。それを俺はラルムと呼んでるけど、そのラルムをつき止めて、鎮魂するんだよ」
封印すると言ったほうがわかりやすいかもしれないね。そう言いなおして、真莢は小さく嗤った。
確かに、鎮魂などという言葉よりも、封印という言葉のほうがイメージ的にわかる。と夕菜は頭の隅で思う。
頭の中心では、別のことがガチャガチャと音を立てながら組み立てられていた。
反論。である。
そして、真莢たちの考えを覆すだけの情報を、自分は握っているんだと。現時点では確信していた。
「美由じゃないと……思います。だって、若森先輩は退院したから。何でもなかったんです。だから、前の二人も……偶然です」
そう思いたかったのかもしれない。
もし、それが事実であると言うのであれば美由がかわいそうだ。彼女が傷つく。と夕菜の心は暗くなる。
「若森君がね、退院したのは。俺が一昨日の夜に病院に入り込んで、彼に生気を送り込んだからだよ。まぁ、彼に関しては、放っておいても数日中に退院できただろうけどね」
その時のことを思い出したのか、疲れた笑みが、真莢の口元を彩る。
「一昨日の夜に、彼を見たときには人魚の恋慕の呪。普段オレたちが恋呪と呼んでるものが刻まれていた。生気を送ったのも、この状態が長く続くと、彼が危ないと判断したからだよ。生気を送ったからって、すぐ退院できるわけじゃない。相変わらず恋呪が彼の生気を吸い取っているわけだからね」
「じゃぁ、なんで…若森先輩は?」
夕菜は軽く眉を寄せて、真莢と海音の顔を交互に見た。
「彼の恋呪が解かれたんだ。昨日の夜に」
真莢はソファーから立ち上がると、続きの部屋に夕菜を促す。
「そして、別の人間に、呪がかけられた」
開かれたドアの向こうには、青ざめた陽一がベッドに横たわっていた。
「どうやら。人魚が心変わりしたらしいんだ。陽一にね」
夕菜はギョッとした表情のまま、目を凝らした。
幻覚でなければ……彼女の目には見えた。
「あれが……恋呪。なんですか?」
陽一の身体にまとわりつく、筆で書いたような奇妙な記号。
微妙に形を変えた一つ一つが帯状になって、まるでミイラ男の包帯のように彼の身体を巻くように取り囲んでいた。
「見えるのか?」
信じられない。といったような口調で、呟きとも問い掛けとも判断しかねる真莢の声が聞こえた。
海音の息を飲む音さえも……夕菜の耳には、やけにリアルに響いてきた。
一番不思議に感じていたのは夕菜だった。
(若森先輩たちのときは……見えなかったのに……)
なぜ?
それは、その場にいた陽一以外の、三人の共通した疑問符。
「――とにかく、陽一が選ばれたことで、美由以外には考えられなくなった。陽一が、学校で親しげに話したのは美由だけだしね。まぁ、外見に一目惚れ。っていうケースを除いてだけど」
最後は、軽い口調になり、肩を竦めた。
「陽一様をこのままにしておけませんので、夕菜様に少し協力していただきたいのですが」
「あたしに、なにかできることがあるの?」
何と言っても、陽一は『一応』夕菜の命の恩人である。
一応を強調してしまうのは、好かれてないせいかもしれない。
「それを……貸していただけますか?」
海音の指が、夕菜の胸元で揺れるネックレスを指した。
「これ…を?」
夕菜の視線はさ迷い、真莢を捕らえる。
『大丈夫』というように、真莢は夕菜を見て微笑んだ。
ネックレスをはずそうと、首の後ろへと伸ばす夕菜の手を、真莢がのんびりした声で一時中断させる。
「座ってからのがいい」
辺りを見回すが、椅子はなく、仕方なく夕菜は床にペタリと座った。
床は綺麗に磨かれていて、直に座っても制服は汚れそうにない。
ネックレスをはずすと、くらり。と眩暈をおこす。
今まで居たところとは違う重力の場所に放り出されたように身体が重い。
「お借りします」
そっと、手が触れて、夕菜の手からネックレスを持っていく。
海音は陽一の左胸にそれを置くと、口の中で小さく何かを唱えた。
しばらくすると、陽一が身動ぎし、起き上がった。
「おっと…」
自分の身体の上を滑り落ちていくネックレスを、陽一は受け止める。
ついさっきまで青い顔で横になっていたのに、動作は意外なほどに機敏だ。
「夕菜。さんきゅうな」
陽一は、ネックレスを夕菜に投げてよこす。 しかし、貧血状態で、思うように腕は動かない。
そんな夕菜の代わりに、真莢がネックレスをキャッチした。
「陽一。ちょっとは状況考えろ。お前みたいに夕菜は頑丈じゃないんだから」
真莢はそう言いながら、ネックレスを夕菜の首にかけてやる。
「悪い。ちっとばっかりうかれちゃってね」
へらっ。と陽一は笑って片目をつぶった。
「今のが生気を送り込むっていうんですか?」
夕菜の問いに答えたのは、意外にも陽一だった。
「違うね。今のは、ショック状態で意識がとんじゃったのを、呼び戻しただけ。その媒体に夕菜のネックレス……っていうか、そのピンクの石が必要だったわけ」
「媒体?」
「そう。もともと、それは僕の一部だったから」
(一部だった?)
夕菜は首をかしげる。
(この石が?)
どういう意味だろう? と夕菜は石と陽一を交互に見比べる。
陽一の身体には、人魚の恋呪が巻き付いているのに、普段通りに再び具合が悪くなることなく動いている。
陽一に手招かれて、夕菜は、まだベッドの上に座っている彼の元に向かう。
陽一はワイシャツのボタンを外すと、左胸を見るように夕菜に促す。
「鱗?」
夕菜のネックレスの石と同じ形の緑色の鱗が、陽一の胸の辺りを覆っている。
夕菜は、すとん。と納得できた。
だから、不思議な力を使えるし、人魚の恋呪に巻かれても平気なんだ……と。
(そうなんだ。そうすると雪音さんは人魚?だったら、海音さんも……?)
海音をちらりと伺い見る。
外見は人間となんら変わりはない。
しかし、真莢の知り合いなのだから。考えられる。
「安岡君って…半魚人だったのね」
夕菜の、放心したような、感心したような言葉に、真莢と海音の吹き出す声と笑いを堪える声が聞こえてくる。
「え? 違うの?」
「間違ってるとはいいがたいよな。陽一。ハーフっていう事はあってるもんな」
笑いながらの真莢の言葉に、陽一は憮然とした表情で、そっぽを向いた。
「一生いってろ!」
ちょっとした間を置いて、陽一は夕菜をふりかえる。
「ねぇ。僕ってそんなイメージなわけ?」
※ ※ ※
部屋には夕菜と陽一が取り残されるように、向かい合って座っている。
昨日よりも、大幅に和らいだ陽一の態度に疑問を抱きながら、夕菜は彼と話をしていた。 二人だけの会話の始まりは、夕菜の陽一の体調を気遣った言葉だった。
つい数十分前は、青い顔でベッドに横たわっていたのだから、当たり前のようでいて、どこかぎこちない会話の始まりだった。
人魚の肉を食べた男が一人。
彼を慕う人魚が二人。
彼の友人と名乗るのは……
「龍って……ドラゴンの龍?」
夕菜は驚きの余りに口を数度パクパクさせる。
さすがに……ここまで変わった人間? がいちどうに出会うのは……普通はない。
普通というより、みんな。夕菜以外は伝説上の生き物たち。登場人物だ。
「そう。人間とのハーフ。僕の場合、母親が人間なんだ。ほら。昔は良く災いを静めるために生け贄を出したりしてたから。その生け贄だった僕の母親と、生け贄を差し出された龍神が一目惚れ。そんで、愛の結晶の僕」
夕菜は頷きかけて、ふっ。と動きを止めた。
その子孫が、陽一だというのなら、夕菜も疑問に思ったりはしなかった。
なんせ、自分も人魚と人間の子孫。龍と人間の子孫がいないだなんて言い切れない。
しかし……である。
陽一のいってることが正しいとすれば…… 陽一の父親である、安岡建設の社長が龍であることになる。
だいたい、現代において龍神に生け贄を出すような場所があるんだろうか?
「僕、安岡の家とは血の繋がりないよ」
夕菜の疑問を察したのか、陽一は、さらりと大変なことを言った。
「……え?…だって」
「いっとくけど、僕。君の何倍も生きてるよ。真莢と一緒で、僕も不死身だからね。
今は亡くなってしまったけれど、安岡の当主に理解者がいてね、その縁でいまも僕は安岡の家にいることができるんだ。彼が、色々と下準備をしてくれたお陰でね」
懐かしむように、目を細めて陽一は言う。
「夕菜は、真莢のこと好きだろ」
唐突に話題が変えられる。
夕菜が答えられずにいると、陽一は、自分の鱗からできているネックレスを指差した。
「それから、夕菜の気持ちが聞こえたから」
夕菜が何か言い返そうと口を開きけると、陽一は人差し指を夕菜の唇の前に差し出して黙らせた。
「反論は無し。僕はね、夕菜が真莢に不利なことをしない。っていう事実だけが欲しいんだ。酷い言い方をすれば、真莢は沖家の、いずれは君の、所有物だろ?」
夕菜の反応を伺いながら、陽一は薄く笑う。
「だから、好きっていう気持ちを細かく分類してどこに位置するかは問題じゃないんだよ。 夕菜が、真莢の味方でいてくれるのなら、どこだっていいわけ。ほら、真莢って特殊だから」
陽一は夕菜に向かって手を差し出して握手を求める。
自分だって特殊じゃないか。という言葉を夕菜は飲み込んで、同意を求めるように伸ばされた陽一の手を握った。
なぜ、陽一や雪音が、自分に対して好意的でない態度を取ったのかが、今になって夕菜は理解できた。
夕菜としては、なんだか真莢たちとは長く深い付き合いになる予感がしたから、雪音とも仲良くしたいな、と考える。
向こうが一方的に敵意を向けてきていただけだから、雪音とも仲良くなれるだろう。と夕菜はぼんやりと思ったが、恋のライバルということになるわけだから、そう上手くもいかないかな? とも思う。
雪音の子供っぽいところも、妹のようで可愛い。まぁ、仲良くなれればの話しだが。
「これからもよろしく」
夕菜は握手をしている手に力を込めた。
「なにしてんの? 二人して手ぇ握りあってニヤニヤしちゃって気持ち悪い。……もしかして恋に落ちちゃたとか?」
二人の間に、ずぼっと顔を突っ込んできたのは雪音。
ドアのところには真莢と海音の姿もある。 真莢と海音の姿が見えなくなったのは、どうやら雪音を迎えに行っていたためらしい。
「違がーう! ただの握手!」
夕菜は陽一の手を放そうとするが、陽一は逆に手に力を込めて、自分の方に夕菜を引っ張った。
「僕たち、ラブラブなんだ」
テーブル越しに夕菜の肩を抱き締めて、陽一は片目をつぶる。
「キャハハ。オッケー。オッケー! よろしくね夕菜」
雪音はカン高い声で笑うと、ニッコリと、満面の笑顔で夕菜に握手を求めた。
「う…うん。よろしく」
何か割り切れない状態のまま、夕菜は握手に答える。
雪音の手が離れると、パシャリとフラッシュがたかれた。
「いいかげん、夕菜から手を離しなさい。じゃないと、これ、週刊誌に売り込むよ」
ポロライドカメラが吐き出した、写真をぴらぴらと陽一の鼻先に、真莢は突き付けた。
暗いだけの写真も、時間と共にだんだんと撮られたモノが浮き上がってくる。
「ゼネコンの安岡グループの跡取りと、沖グループの社長の一人娘の交際発覚。なんてのはどう? けっこういい騒ぎになるかもね」
陽一は夕菜を離すと、『ふむ』と顎に手をあてて考え込む。
「案外いいかもな。僕の事情を知ってるし、沖グループと強固な繋がりできるし。どう? 僕と結婚前提に付き合ってみる?」
「完璧にお断りします」
間髪をいれず、夕菜の声が響いた。
そのやり取りを見て、真莢はクスリと笑うと、写真を夕菜に渡す。
「じゃぁ、この写真の所有権は夕菜に譲ろう。好きにしていいよ」
「ありがとう」
夕菜は写真を受け取ると、鞄にしまった。 その場で破り捨てても良かったのだが、さすがにそれはちょっと気が引けたため、誰の目にも触れないところに抹殺しよう。と考える。
「えー。せっかくだから、どっかに売ろうよ。そうすれば、お互いのグループの会社の株が上がるよ。きっと」
陽一の言葉に、夕菜はニッコリと微笑んだ。
「あたし、父の会社のことには全然ッ興味ありませんから」
全然、のところを強調した夕菜の言葉に、陽一は残念そうに肩をすくめた。
「いい考えだと思ったんだけどネ」
苦笑しながら真莢は陽一の頭を軽く叩く。
「仕事の打ち合わせするから、その話はまた別の機会にでもやってくれ。未来の社長さん」
真莢の激励? に、陽一はニヤリと笑って、別の場所に席を移動した。
どうやら、座る場所が決まっているらしい。 夕菜はそのことに気付いて、自分はどうすればいいんだろうか? ときょろきょろする。
「夕菜は、そのままそこでいいよ」
そう言いながら、真莢は夕菜の隣に腰をおろした。
海音が、みんなの前にティーカップを置くと、ソファーに腰掛ける。
全員が揃ったところで、真莢は口を開いた。
※ ※ ※
真莢は夕菜を送っていき、雪音は陽一に頼まれてタコ焼きを買いに出かけて行った。
「なぁ、なんでさ、僕を急いで覚醒させたわけ? ほっといても、二、三日で意識は戻ったワケだし」
「どうして私に、聞くんですか? 陽一様」
可愛らしげに首をかしげる海音に、陽一は、とぼけても駄目だというように、片頬を上げて口元を斜めにした。
「真莢だったら、ほっとくからな。だから、誰かが僕を覚醒させるように意見したことになる。となると、そんなことするのは海音さんしかいないから」
陽一は言葉を区切って微笑む。
「もしかして、僕に惚れちゃったとか?」
軽い調子で、冗談だとはっきり分かる陽一の口調に海音は吹き出した。
「どーして、そこで笑うかな? 傷つくなぁ」
「ごめんなさい。でも、陽一様は私が真莢様だけだということをご存じでしょう?」
「あーあぁ。なーんで、真莢ばっかりがもてるかねぇ」
陽一のぼやきに、海音は、曖昧に『さぁ?』とだけ返事をする。
「で? どーして?」
ずれた話題を、最初の位置に戻す。
「陽一様が覚醒するまでの間に、事件が動く可能性があるからですわ。陽一様には、真莢様を守っていただかないとなりませんし」
「了解。了解。真莢が、海音さんの意見を聞くように、僕の言う事も聞いてくれれば、ちょっとは守り易いんだけどねぇ。真莢は一人で勝手に決めて行動しちゃうからなぁ。突発的事態に対処しずらい」
盛大な溜め息を一つついて、陽一はニヤリと海音に向かって笑った。
「で、本音は夕菜のことを僕と雪音に受け入れさせるのが目的だったわけだ? それとも、僕が目覚めた後、夕菜にどういう態度で接するかで彼女の真意。心の内を知りたかったのかな?」
探るような陽一の視線に、海音はそっと目を伏せて笑みを刻む。
「陽一様。真莢様が私にとっての全てですわ。それ以上でも、それ以下でもありません。そのことはご存じですわよね?」
「あぁ……知ってる」
陽一は瞠目し、言葉を続ける。
「海音さんを見てると、ガキの頃の僕を思い出すよ」
「陽一様の?」
「あぁ。そっくりだよ。ガキの頃の僕の瞳と。僕も海音さんと同じだった」
「真莢様と出会う以前のことですか? 大変興味深いですわね。陽一様は、昔のことはお話になりませんし……」
「あぁ。いつか……海音さんに話すよ。海音さんが僕みたいに壊れたりしないようにさ」
陽一の口元に浮かぶ自嘲の笑み。
昔を思い出したのか、痛そうに…悲しそうに陽一は瞳を泳がせた。
好き過ぎて…愛し過ぎて―――自分の世界はその人一色だった。
自分を呼ぶ声。
眼鏡を外して、やわらかく微笑む。
触れてくる手の温度。
どれ程の時が流れても、色褪せずに焼き付いている。リアルに思い出せる。感じられる。 たった一人の人間が世界の全てだったから。 その人の死が、世界の終り。
(僕が狂ったように……海音さんも狂うのだろうか?)
陽一は海音の透き通るような白い手を見つめた。




