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人魚鎮魂歌  作者: 音音
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人魚を狩るモノ

「きゃっ」

友達との会話を楽しみながら歩いていた二十代半ばの女性は慌てて自分の胸元を両手で押さえた。

「嘘ッ! やだぁ~もう」

カツン! いくつもの軽い音をたてて足元に真珠が零れ落ちていく。

真珠のネックレスの糸が切れたのだ。

慌てて歩道に散らばった真珠を拾い集めると全部拾うことができたか、友達と数え始める。

たぶん全部ある……と二人が胸を撫で下ろすと、にょきっと男の手が伸びてきて、一つの真珠を摘んだ。

「こんにちは」

伸びてきた手にギョッとしたものの、にこやかに挨拶をする青年に二人は目を奪われた。

高校生か大学生といった容貌の青年は、テレビや雑誌で笑顔を振り撒き活躍しているアイドルよりも数段上の美形だったのだ。

青年は自分の手のひらに真珠を転がすと、彼女達の見ている前で、その真珠にそっとキスをする。 

慈しむ様に、真珠に唇を寄せるその姿に、彼女たちは、まるで自分がされているかのように錯覚し頬を赤く染めた。

しかし、続けざまに起った出来事に二人は目を見張る。

真珠の輪郭がぼやけ、水のように波打つと、水色に輝きながら、まるで蒸発でもするかのように消えてしまったのだ。

「あの子を還してしまったから、これはそのお詫び」

青年はそう言うと、真珠一個より遥かに高価そうな指輪を女性の指に嵌めた。

彼女たちが喜色を浮かべ青年に声をかけ触ろうとした瞬間、それを拒むかのように、青年を呼ぶ鋭い声が辺りに響いた。

真莢まさや!」

 青年は女性たちの手を避けるように、声がしたほうを振りかえる。

路肩に寄せられた車の運転席から、薄茶色の髪の青年が顔を出して、女性の手に指輪を贈った青年…真莢に向かって手をヒラヒラさせている。

彼女たちは真莢と呼ばれた青年と同様に容姿の優れた車の青年を見て、ぜひとも真莢達をお茶に誘おうとするが……車の中の青年と視線が合うと、その声は喉元で凍り付いてしまった。

車の中の青年は彼女達のことを睨んでいたのである。

青年の冷たい眼差しは、二人の動きを凍らせるのに十分なものだった。

「じゃあね」

連れの青年が、二人のことを睨んでいることに気付いていないのか、それとも気づかない振りをしているのか、真莢は彼女達にニッコリと微笑みかけると、車の中の青年に向かって、それ以上の笑みで「陽一よういち、今行く!」と言いながら大きく手を振った。


真莢が車に乗り込み走り去ると、彼女達は真莢達二人がどういった関係なのか? という話題で盛り上がった。

「人前で力を使うなんて無用心過ぎる!」

車に乗り込むなり、真莢は陽一に怒鳴りつけられた。

「仕方ないだろ? あの場面で指輪と真珠を交換しましょう。なんて物々交換のが変だよ」

「だけどな!」

「大丈夫だって。みんな、手品だと思うから。もし、僕の正体に気づくのがいたら、通りすがりの沖家おきけの人間だけだろうしね」

真莢の言葉に、陽一は顔をしかめた。

「その沖家の連中が厄介なんだろうが」

「そんなに心配することないよ。和也かずやは良い奴だから大丈夫。それよりも、他にラルムの気配は感じないし……今日は戻ろう」

「一日かけてラルム一つかぁ」

ボヤク陽一に真莢は苦笑する。

「一つ見つかっただけでもラッキーだよ。そんなにゴロゴロと落ちてるもんじゃないし」

「まぁな。で? 結果はどうだった?」

絢音あやねのモノじゃなかった。力のあるラルムでもなかったから会話もできなかったしね」

「そっか……」

「気長にやるよ。いまさら焦る事もないしさ」

「そうだな」

微笑んだ陽一の視線が、フッと脇に逸れる。

つられる様に真莢も、そちらを見た。

どこにでも居るような女子高生の二人連れ。

人込みの中、彼女達は異彩を放って二人の目に映った。

「あれは……」

真莢は息を呑む。

「あぁ。あの子達を包んでるのは、まだ微弱ながらも水の波動だ。明らかにこっちよりだぜ。どうする? どっちかが人魚になる」

車を降りようとする陽一を、真莢は制した。

「いい」

「なんで? 別に、すぐ鎮魂しようって言ってるわけじゃない。名前と高校名ぐらいは調べといた方が今後動きやすいだろ」

陽一の言葉に真莢は首を振る。その顔はどこか青ざめて見える。

「必要ない。右側、髪の長い方…沖夕菜おきゆうな。和也の娘だ」

陽一は目を細めて夕菜を観察した。

「あれが……沖家の跡取りか」

「うん」

ふいっと視線を夕菜からフロントガラスに移すと、陽一は車のエンジンをかけた。

「銀座の方でいいんだろ?」

気まずい雰囲気を打ち切る様に、陽一は車を発進させた。



  ※ ※ ※


真莢の他に、事務所には誰の姿もない。 寄っていくか? と言う真莢の言葉に、陽一は仕事の予定が入っているから。と言って帰ってしまい、部屋に居るはずの仲間である海音あまねの姿もない。

「買い物にでも行ったのかな?」

壁に掛けられた時計に、チラリと視線を向けてポツリと呟く。

冷蔵庫の中を物色して、コーラ―片手に、真莢はどっかりとソファーに腰掛けた。

自分しかいない事務所は、とても静かで物悲しい気分になる。

真莢は軽く瞼を閉じた。

最近昔のことを良く思い出す。

それも、決まって七年前のこと。

何かの予兆だろうか?

真莢は、頭の中に鮮やかに浮かび上がる映像に目を閉じると、思い出に浸った。



「ギブアンドテイクだよ」

新しい友人は、自分がそう言うたびに眉をひそめた。

血を流すために傷つけた腕や指先。 わずかに切り取った肉片の後。 それらを手当てしながら、友人はいつも同じ言葉を繰り返す。

「奴等とは手を切ったほうがいい。僕には真莢が利用されてるようにしか思えない」

何も言わずにいると、友人は俯いて黙ってしまう。

「生きていく術だと割り切ってるから。自分を闇の世界から隠すのにどうしても必要な家だから。それは、お前だって同じだろう」

守られる家は違えど、権力を持つ人間の守りがなくては、死ぬことのできない自分たちは、生きることも許されぬ身体になることを示唆する。

「でも、僕は自由だから。それに、真莢が沖の家と縁を切っても、僕が真莢を守ることができる」

友人は安岡家のトップに位置し、自分は沖家のトップと同等に位置する。

僅かだけど、大きな違いを生む差。

「気持ちだけで十分だよ。沖の家がオレを手放すわけないし。それに、似たような立場のお前と出会えただけで、オレは十分救われてるんだ」

友人は苦しそうに目を伏せた。 そして、ポケットから銀の鎖のネックレスを取り出す。

「今度、呼ばれたら直系の娘にやれよ。身に付けてれば大概の病気を防ぐことができるから」 鎖の中心に桜の花弁のように薄い石。その脇にバランス良くターコイズがくるようにあしらわれたネックレスを投げてよこした。 光の加減によっては薄いピンクの石が銀にも見える。

その石の正体が鱗であることに目を見張る。

「そうすれば、少しの間は沖の家から開放されるだろう」

そうしたら、絢音を捜しにいけるだろ。 消え入りそうな友人の呟きに――真莢は笑顔を見せた。

「陽一。サンキューな」


 それが最近思い出す七年前の出来事。

以前に比べれは、沖家に束縛される時間は減った。

それだけ、あのペンダントを身につけることで夕菜が病気で倒れることがなくなった。ということだ。


そう……それから七年が経ったのだ。

絢音はまだ見つからない…… 

真莢の愛した純血の人魚。

彼女が姿を消してから、もう少しで三百年が経とうとしている。

絢音が死んでいるのなら、自分の肉体も跡形なく朽ちているはず。 

だから、絢音は生きている。 それだけが、真莢にとって唯一の心の支えだった。

七年前、自分と同じ、永久に近い時を生きる陽一に出会うまでは…… 



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