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人魚鎮魂歌  作者: 音音
10/11

人魚鎮魂歌

 陽一の額に玉のような汗が滲む。

 汗は頬を伝って服の上に落ちる。

 事務所の中心に陽一は結跏趺座けっかふざを組み、きつく目を閉じていた。

 陽一の顔の前に、夕菜のネックレスが宙に浮いて淡く黄金に輝く。

(そう……これがさらわれる直前の記憶)

 陽一の脳裏に、ぼんやりとした恭子の姿が浮かび上がる。やがて床が映り、そして闇に閉ざされる。

(ここからだ……夕菜の意識を―――)

 張り詰めた、すぐに切れそうな細い糸をたどるように、陽一は慎重にネックレスの鱗とシンクロして夕菜の意識を追い、繋げる。

(あった……)

 陽一はゴクリと唾を飲み込む。

 合わせられた手や瞼に、力がこもる。

 脳裏に流れる現在の夕菜が見ている光景が映しだされる。

 まだ夕菜の意識がはっきりと戻っていないせいだろう。それはどれもぼやけていて不鮮明だ。

 しかし、それで十分だった。

 それは陽一の知っている光景。確かに見覚えのあるものだった。

 さらに、何か情報がないか陽一が意識を研ぎ澄ませると、夕菜に一方的に話しかけている恭子の声が頭の中に入ってきた。

 手に入れた情報量に満足するように、陽一は意識を浮上させ、夕菜の意識とのシンクロを断ち切り現実へと戻ってくる。

 陽一は目を開けると、一呼吸置いて、自分を囲むように見守っている真莢たちを見回し告げた。

「夕菜の居場所が分かった。学校の僕らのクラスだ。僕たちを学校におびき寄せて決着をつけるつもりなんだ」

「どういうことだ?」

「恭子さんは……ラルムの人魚は夕菜の背後に誰かがいることに気付いてるみたいだ。それで、夕菜をすぐに傷つける事なく囮にするためにさらっていったらしい」

「そうですか。ならば不幸中の幸いですわね。私たちが向かうまでは夕菜様の身の安全はギリギリですが保証されることになりますから」 

海音の言葉に、真莢と雪音の顔に僅かだが安堵感が広がる。

「しかし、余りのんびりしているわけにもいきませんわ。夕菜様はネックレスを身に付けていない状態ですし………。陽一様、すぐに動けますでしょうか?」

「大丈夫。少し疲労感はあるけど全然OK。龍への変化も、服に隠れて見えないところの皮膚が鱗化するだけですんでいるし、問題なしだ」

 陽一の言葉に、海音はフワリと微笑むと、

「では、少しだけ出かけるのをお待ち下さい」

と言い残して奥の部屋に消える。

 二、三分して戻ってきた海音の手には、新しいチェーンに取り替えられたネックレスがあった。

「陽一様。向こうについたら、できるだけ早く夕菜様に付けて下さい」

「わかった。落とし物は早めに持ち主に返してやらないとな」

 勝ち気な笑みを浮かべる陽一に、海音は笑みをこぼした。



 ※ ※ ※


「――――学校についたぞ」

 車を止めると、陽一はハンドルに寄り掛かった姿勢で校舎のほうを見る。

 自然と校舎の前にあるグラウンドで部活動をしている生徒たちの姿が目に入る。

 何も異変に気が付いていない生徒を見て、陽一は肩を竦めた。

「なかなか……力がある相手のようで」

 陽一は、疲れそうだな。と愚痴を言う。

 力のあるものなら、校舎がぶれて、二重に見える。

 海音は事務所で待機しているため、真莢と陽一。雪音の三人が車から降り、校舎へと向かった。


 校舎に入ると、中は白く濁っていた。

「霧? 凝った演出してくれるなぁ」

 どこかとぼけた調子の陽一の声が校舎に響く。

「やっだなぁ。これって物凄く悪趣味」

 まとわりつくような濃い霧に雪音は眉を寄せて不機嫌な顔になる。

「雪音こういう水分ものって好きじゃなかったのか?」

 雪音の反応が意外だったらしい陽一の声がすぐさま、からかうような響きを込めて雪音に向けられる。

「霧じゃなくて、霧の原料が悪趣味なの。だってこれ水道水が原料なんだもの。塩素臭くってやってられないわ。贅沢は言わないけど、せめてミネラルウォーターぐらいは使ってほしいわ」

 雪音は、そう言うと、宙に指を動かして円を描く。

 雪音の指が描いた円は青く輝き、雪音が呪を唱えると円の中に複雑な紋様が浮かび上がる。

「汝我に属すべきものよ。我らと源を共にするもの。我の命を受け入れあるべき場所に」

 言葉がすべて雪音の口から発せられると、濃い霧はだんだんと薄くなっていき、最後には全部消えてしまった。

「うん。これで動きやすくなったね。ありがとう雪音」

 霧を消してくれと、自分が頼んだわけじゃないのに、真莢は雪音に礼を言う。

 霧の中にいたため、皆の洋服はしっとりと濡れている。

 校舎に立ち込めた霧以外は、変わったことはなく。夕菜たちは何事もなく教室の前にたどり着いた。

「うーん。いがいと拍子抜け。でも、こっからが本番でしょ」

 雪音は自分で自分に気合いを入れる。

「雪音、まずは夕菜の救出が最優先だぞ」

「わかってるわ。真莢様」

 雪音はガラリとドアを開けると、何の躊躇もみせずに中に入った。

 雪音が中に入るとすぐに、ドアは三人の意思を無視してひとりでに音を立てて閉められる。

 陽一と真莢は廊下に取り残される形となったが、こうなるだろう。と三人とも予想していたため、慌てた様子は微塵もみられなかった。 恭子は予想通り、自分と同じ質の力を持った雪音に一番に注意が行き反応した。

「あなたからは塩の香りがするわ。同族に会うなんて久しぶり」

 教室の後方に位置どった恭子が口を開く。 傍らにはマネキンのように動かない夕菜の姿。

 ピクリとも動かない夕菜の姿に、遅かったのだろうか? という思いが雪音の中を走り抜ける。

 しかし、目を凝らすと夕菜の周りを薄い水の膜が覆っていることに気が付き胸を撫でおろした。

 どうやら水の膜に戒められているだけのようだ。

「あなたは何をしにきたの? この子の仲間なの? 術を返したのはあなた?」

 矢継ぎ早に恭子は質問を口にする。

「あたしは夕菜を返しにきてもらいにきたのよっ!」

 雪音は呪を紡ぎ、水の刃を走らせる。

 無闇に飛ばしているようにも見えるが、夕菜はもちろんのこと、恭子も傷つけるわけにはいかないためコントロールは正確に制御している。

 水の刃は夕菜を覆おう水の膜や恭子の服の袖の部分を切り裂く。そして、脅しのように恭子の肌をわずかに傷つける。

 雪音のいきなりの攻撃に怯んだ恭子は、指を宙に走らせると、ドアのほうに走っていく。 すると天井から豪雨のように水が降ってきた。

 ドアを押さえていた力が消えたことに気付いて、ちょうど中に入ってきた真莢と陽一も天井から降ってくる水の勢いに襲われる。

 陽一と雪音が協力して水を止めた時には、完全に恭子の姿を見失っていた。

「夕菜。大丈夫か?」

 真莢は床に溜まった水に浸るように倒れている夕菜を抱き起こす。

「夕菜、夕菜、」

 雪音は軽く夕菜の頬を叩いて覚醒を促した。 うっすらと夕菜は目を開け、やがてしっかりと目を開けると、真莢たちの顔を見回した。

「……助けてくれてありがとう」

 夕菜は真莢に支えられていた体を起こすと照れくさそうに微笑んだ。

「落としもの」

 陽一は意識のはっきりした夕菜の顔の前にネックレスを差し出す。

「夕菜の機転のお陰で、居場所が特定するのに役立ったよ、ありがとう」

「それは、こっちのセリフ。ありがとう」

 夕菜はネックレスを受け取ると、首に掛ける。

「まだ、校内にいるみたいだな」

 立ち上がりながら、真莢は校舎にいまだ張り詰めている呪力に眉を潜めた。

「どうしてもここで決着を付けたいんだろ。いまごろ大慌てで態勢を立て直してるんじゃないか?」

「あぁ。問題はどこに逃げたかだよな……」

 真莢は難しい顔をする。

 つられるように、陽一も顔をしかめた。

「まさか、教室一つ一つ覗いてくなんて言うんじゃないだろうな?」

 的を射たような陽一の言葉に、真莢は嬉しそうに両手で陽一の肩をポンポンと叩いた。

「オイオイ……。冗談だろ?」

 陽一は天井を仰ぐ。そこに、おずおずと夕菜が口を挟んだ。

「あの……たぶん一階だと思う」

 夕菜は口にしながら、頭の中に校舎の見取り図を思い描く。

 だいたいの感覚で、力を感じる場所を当てはめる。

「理科室から力を感じる」

「……夕菜。そこまで分かるのか?」

 驚いた陽一の声に、夕菜は驚く。

「え?……うん。だいたいだから、もしかすると理科室の両隣の教室ってこともあるかもしれないけど、その辺りなのは間違いないよ。恭子さんから感じたのと同じ力を感じるし」

「ラッキー。そこまで夕菜の力が強いとはね。うんうん。戦力として期待してるから宜しくな!」

「う…うん?」

 陽一のやけに嬉しそうな態度に、訳の分からないまま、夕菜は頷く。

(そういえば……似たようなことを海音さんにも言われたような……)

「よし。じゃぁ、いくぞ」

 しかし、意味を考える間もなくかけられた真莢の声に夕菜は慌てて動いた。

 その時になって、自分がびしょ濡れな上に靴を履いていないことに夕菜は気が付いた。

「あ、そーだ。海音ちゃんから渡すようにっていわれてたんだ」

 今までどこに隠し持っていたのか、雪音は紙袋を夕菜に渡す。

 紙袋の中には真新しい靴が入っていた。サイズを見てみると、ちょうど夕菜の靴のサイズと一緒である。

 夕菜は海音の心遣いに感謝しながら、靴を履いた。

 夕菜が靴を履き終えると、理科室に向かって歩きだす。

 服の吸った水を少しでも落とそうと、夕菜は上着の裾など、絞れるところを絞りながら歩く。

(風邪ひくかも……)

 ぶるっ。と夕菜は寒さに震えた。

 理科室の前に到着すると、確かめるように三人は夕菜を見る。

 間違いない。という意味を込めて、夕菜は自信ありげに頷いた。

 陽一は目を細めるようにドアを見つめると夕菜を振り返る。

「夕菜、頼んだぞ」

「はっ?」

 夕菜が意味が分からずにいるのに、陽一は躊躇もせず教室のドアを開けた。

 途端、鉄砲水のように、すごい勢いで水がドアから飛び出してくる。

「ふぇっ?!」

(ちょっ! やだ、こないで!!)

 夕菜は思わず目をつぶってしまう。

 しかし、いつまでたっても水は襲ってこなかった。

「あれ?」

 目を開くと、ドアからまだ水は勢い良く、流れ出ているが、途中から別れて、自分たちのいる場所を避けて通っていた。

「上出来。上出来」

「夕菜。すごい。初めてなのに完璧」

 陽一と海音の賞賛に、夕菜は目を白黒させる。

「ありがとう」

 真莢に肩をポンと叩かれる。

「あたしが? やったの?」

 尋ねる夕菜の声に、真莢は微笑みながら頷いた。

 真莢の微笑みに、夕菜は思わず見とれてしまう。

 水はすべて流れでて、床にうっすらと流れている程度になる。

「中に入ろう。ラルムが俺たちを待っている」 真莢に促されて、夕菜たちは教室の中に足を踏み入れた。

「陽一? 来てくれたの?」

 凛とした声が響く。

 教室の教卓の上に、彼女は腰掛けていた。

「恭子さんですね」

 陽一の問い掛けに、恭子は微笑む。

「えぇ。そうよ。私の想いに応えてくれるために、ここへいらしたのでしょう?」

 陽一を目にしてしまった今の彼女には、陽一以外は眼中にないらしい。

「いえ。そういう予定は僕にはありませんし、婚約者もいますから」

 へらっ。と笑って。陽一は夕菜を横に引っ張った。

「おい………」

 ぴくりと夕菜の頬が引きつる。

「いやぁ。もう、らぶらぶって感じですかね」

 悪びれた様子もなく言い募り、夕菜の肩を抱きよせる。

「…………おい」

 夕菜は握り拳をつくる。

(真莢さんの前だっていうのに! なに考えてるのよ、いったい!)

 真莢との仲を応援してくれるというのは、デタラメだったのか! と夕菜の拳に、力がこもる。

「あぁ、あなた。そう…そうなの。だからなのね。いいわ。今ここで殺してあげる」

 恭子の言葉に、夕菜は取り敢えず、陽一のしたことは棚上げにしとこう。と考えたが…。

「これが狙いだったのね?……」

「だって、俺、今は疲れることってしたくないんだ。雪音が手伝ってくれるから、頑張ってな」

 陽一はポンと夕菜の肩を叩く。

「……………」

 あまりのことに、夕菜は言葉を失う。

(なんか……あたしってば最近、殺されかけてばかりいないか?)

 ヒュッ。と音を立てて、夕菜の顔の横をなにかが飛んでいった。

「あっ?」

 夕菜の顔が青ざめる。

 凄いい速さで飛んでいったそれは、後ろで黒板にめり込んでいる。

(氷? ちょっと……これは……当たったら痛いじゃすまないかも。だいたい! 力の使いかたなんてわかんないんだってば)

 意識して力を使っているわけじゃないから、どうすればいいのだろう。と夕菜は慌てふためく。

「夕菜っ! しゃがんで!」

 腕をぐいっと引っ張られ、夕菜は崩れるように尻餅を付く。

 夕菜の頭があったところを、野球ボールぐらいの大きさの氷の塊が貫いていく。

 夕菜の腕を引っ張ったのは真莢だった。

「夕菜。とりあえず、恭子の動きを封じて」

 当たり前のように切り出された要請に、夕菜は絶句した。

 返事をする前に、真莢はドアの近く。陽一のいる場所へ退避してしまう。

「夕菜!! ぼうっとしてちゃダメだってば」

 雪音の声に、夕菜はハッとする。

 氷を避けながら、夕菜はどうすればいいのか。考えを巡らせる。

(動きを止める……動きを止める)

「陽一君はともかく真莢さんまで手伝ってくれないなんて……」

 夕菜の文句に、いつの間にか側にきていた雪音が、あれっ? というような顔をする。

「真莢様って戦闘能力ゼロだよ。海音ちゃんから聞かなかった?」

 以前に聞いた海音の言葉を思いだす。

(真莢さんの身を守ってくれる人が一人増えて嬉しい。って……こういう意味だったのね)

 夕菜は、なんだか泣きたくなってきた。

 真莢が一番弱いなんて、サギだ。と叫びたかった。



「あー。意外とてこずってるね」

 夕菜と雪音の戦う姿を見て、傍観者を決め込んだ陽一はのんびりと真莢に話しかける。

「お前が手伝わなくて大丈夫なのか? 夕菜は力に目覚めたばかりだし、使い方も良く知らないんじゃないかな」

「良く知らないんじゃなくて、あれは全然分かってないんだって。―――そんな怖い顔するなよ」

 陽一は困ったように頬を掻く。

「大丈夫だって。雪音が手伝ってるし、勘でどうにかするでしょ。訓練は実戦でつむのが一番」

 陽一の言葉に、真莢もさすがに、あんまりだな。とは思ったが、いざとなれば助けるだろう。と気に留めないことにする。

「問題は、ラルムがどこにあるかだよな」

 真莢は頷き、恭子の姿を目で追う。

「上手に気配を隠してる。あそこまでラルムと恭子の人格がまざっていると、面倒だな」

「人魚鎮魂歌師の腕が鳴るでしょ」

 ニヤッと笑った陽一に、真莢も笑みを返す。

「そうだな。面倒っていうだけで、難しいわけじゃない………ラルムが何か分かれば、どこにあるか予想も付くんだがな」

 たぶん小さな物だろう。と続ける真莢に、陽一は、ありきたりなところで真珠じゃないのか。と返す。

「身に付けてないけど?」

 恭子の胸元にも腕や指にも真珠のアクセサリーは見られない。

 ラルムがどこにあるのかを見極められないと、鎮魂することができないのだ。

「どうも……三年前の交通事故っていうのが気にかかるんだよな」

 真莢はぼそりと呟く。

 今までの経験が告げる勘。

「あぁ……なるほど。そういうわけか」

 恭子を注視していた真莢は、瞳の色を和らげる。

「陽一。奇跡を、今日おこしてみせるよ」

 自信に満ちた真莢の様子に、陽一は肩を竦め……

「奇跡ねぇ。……あぁなるほど。そういう事か」

 納得のいったように頷いた。



「ねぇ! 本当に目ぇ見てないの?」

 正確すぎる氷の弾丸に、夕菜は悲鳴に近い怒鳴り声で雪音に話しかける。

「海音ちゃんの調べに間違いはありません」

 雪音はきっぱりという。

 氷の弾丸の速さも数も、段々と増してくる。避けたり、水の壁を作って防いだりはしているものの、もうそろそろ限界だ。

 戦いが進むに連れて、というよりも。氷の弾丸を避けているだけなのだが、夕菜は力をできるだけ自在に操れるようになっていた。

 それでも、防戦一方で、攻撃はいまだに仕掛けられない。

 ときおり、雪音が攻撃を仕掛けているものの、相手にはダメージを与えていない。

 どちらかというと、わざとダメージが出るような攻撃は避けているといった感じだ。

(ラルムの力が無くなれば、相手は生身の人間だもんね……むやみに傷つけられないよね。美由のお姉さんだし、あたしも怪我させるようなことはしたくないし……)

「あ! そっか」

(動きを止めるだけでいいんだった)

 息つく暇のない攻撃に、すっかり夕菜は真莢の言葉を忘れていた。

「雪音さん! お願い」

 たったそれだけの言葉だったが、十分通じたらしく、雪音は夕菜のすぐ側に来て、夕菜と自分の身を守るべく、水の壁をつくる。

(お願い。ロープになって、美由のお姉さんを縛って)

 夕菜は意識を集中して攻撃を仕掛けた。

 水は線のように恭子に伸びていき、彼女の手足を縛り上げる。

 恭子が、手足に絡み付く水の縄に気をとられた一瞬。

 夕菜が真莢を促すまでもなく、真莢は動いた。

 しかし、次の瞬間、夕菜はギョッとする。 真莢は恭子の側に近寄っていったからだ。 手足を拘束できたからといって氷の弾丸を放つ、相手の攻撃までを完全に押さえ込んだわけではない。

 拘束する前に比べれば、攻撃は少なくなっているものの……

 陽一が真莢を恭子の攻撃から守っているのだろう。

 氷の弾丸は真莢の前で消滅する。

 だが、恭子との距離が近付くに連れて、真莢の肌には亀裂がはいり、血が赤く滲んだ。 それでも、躊躇する様子を見せず、真莢は恭子へと近付き、とうとう、恭子の頬に手を伸ばし触れた。

 氷の弾丸が真莢の皮膚や服を裂いていく音が耳に付く。

 血に濡れながらも真莢はそれを苦にした様子を見せない。

 そんな真莢に恭子は怯えたような目を向ける。

 真莢は幼子をなだめるかのように、優しく微笑みを浮かべた。

「帰ろう。このままだと悲しみが繰り返されるだけだよ」

 真莢の言葉に、恭子の攻撃はぴたりと止む。

「俺なら、君を海に帰してあげられる」

 恭子の視線が陽一へと向かう。

「彼の命を奪っても、君の枷が増えるだけだ。俺は、君たち人魚が、叶わぬ恋のために、愛する人間の命を奪ってしまう行為をどれだけ悲しんでいるか知っている。そして……知っていても愛してしまう君達の絶望も知っている。だから……帰ろう。俺たちを育んだ海へ」

 恭子は陽一から真莢に視線を戻すと、コクリと頷く。

「ありがとう。でも、その前に一つ聞きたいことがあるんだ。君は絢音の事を何か知らないか?」

 恭子は頭を左右に振る。彼女の動きに、真莢の表情は曇った。

「そうか……ありがとう」

 真莢は、そっと恭子の瞳に指を触れた。

「光と闇と時の祝福を。風よ…彼女を海へ。再び孵えるその時まで…眠りにつけ」

 真莢はゆっくりと恭子の両の瞼に鳥の羽が触れるような優しい口吻を落とす。

 真莢がラルムに口吻ることで、人魚の魂を初めて鎮魂できるのだ。

 恭子の目から涙が一滴づつこぼれ落ちていく。

 真莢が涙を指ですくうと、どこからか風が吹いてきて、涙をさらっていった。

 意識がなくなり、くずれ落ちる恭子の身体を真莢は支える。

「これで一件落着」

 みんなに向かって笑みを見せる真莢の頭を、陽一は遠慮なくひっぱたいた。

「お前の怪我の手当てが終わってからだよ。一件落着は。どーして、こう怪我をするかな」「陽一が力のだしおしみするからだろ」

「しかたねぇだろ!」

 こんな所で龍に変身してどうやって帰るんだ。という意味のこもった陽一の言葉に、真莢は肩を竦めた。

「空を飛んでけば? お賽銭なげてくれるかもよ」

「お賽銭の前に、爆弾をぶつけられるぜ」

 夕菜は二人の会話の意味が良くわからず、首をかしげる。

 絶対あとで聞こう。と夕菜は心に誓うが、後日聞いたときには、はぐらかされて答えをもらうことはできなかった。

「とりあえず、彼女を家に届けて……真莢の手当ては車の中でだな。救急箱、車に置いてきちまったし」

 陽一は真莢の手から、恭子を引き受ける。

「問題は……ここと教室の掃除だよな」

 陽一は、水浸しの教室を思いだし、そして水浸し、壁は穴だらけの理科室の惨状に瞠目した。


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