第八十一章 運命を知った男(後編)
「魔界の神?神様だって言うのか?」
「フッ。まあ、お前達人間にとって都合のいい神ではないがな。」
魔帝ヴァルゼ・アークと名乗った赤い髪の悪魔は、男に背を向けて歩き出す。
男も立ち上がり、無意識に続く。
「余は重力と空間を司る神だ。」
「重力と……空間……?」
「生命が生きて行く上でなにより不可欠なものを司る。しかし誰もそれが重要だとは思わん影の薄い神よ。闇にひっそりと生きる小さな存在よ。」
謙遜だと思った。嫌みはないが、立ち振る舞いというか雰囲気というか、名前は聞いた事もない神だがとてつもない大きな存在だとわかる。
観念的な感覚でも、伝わる気配は男を平伏すように充満していた。
「ここは…………どこなんだ?」
「ここは宇宙の心だ。」
「宇宙の心?」
「余とお前を取り囲む映像…………これらは全て宇宙の歴史、過去とそして未来だ。」
「過去と未来?フン……何か?これから起きる事が既に決まっていると?」
「そうだ。」
「そんな事が信じられるか。ヴァルゼ・アークだったか?お前の言う事が正しいのなら、美智子とまだ名前も決まってなかった俺の息子が死ぬ事も決まっていた事になるじゃないか。バカバカしい。」
「信じる信じないは勝手だが、真実は一つしかない。見てみるがいい、一部の狂いもなく運命は作られているのだ。」
男は見た。妻と息子の過去の映像を。それは自分の記憶にある映像へと変わって行く。病院に駆け付け、愕然とし泣き叫ぶ自分。そうだ、確かにはばかりもなく泣いた。
ヴァルゼ・アークの言っている事が真実であると認めざるを得なかった。
「宇宙は人の欲望、絶望を糧に膨張を続けている。宇宙は生命をもつ生き物なんだよ。」
欲望と絶望を糧に生きる生命体。くだらないと否定したくとも出来ない。
「それなら………生きる意味なんかないじゃないか!運命が………最初から決まってるだなんて………」
膝を落とし死んで行った妻と息子を想い、嘆く。
「嘆くといい………神である余でさえ嘆いたのだ、人であるお前に嘆くなとは言わん。」
慈悲深いなどとは微塵も思わなかった。
妻と息子の悲惨な死は最初から決められていたもの。それだけが頭を駆け巡る。
「………教えてくれ、今ここで俺が命を絶つと言っても、それすら既に決まっていると……?」
「多少の許容範囲はある。例えば、多大な努力をして富を得ても、堕落して貧困に喘いでも、行き着く未来は同じ。両極端に見える運命も蓋を開ければ同じ運命、宇宙にしてみればたいした問題ではない。」
「納得出来ない。言ってる事が嘘だとは言わないが、あんたの言ってる事は裏を返せば個人の思考まで初めから決まってるって事だろ?ふざけた話じゃないか。」
「それも真実だ。ただ例外もある。個人に貸せられた運命の法則、それさえ破れば運命に縛り付けられる事もなくなる。」
「それは?」
「悪魔であるならば天使には勝てないという法則がある。つまり、悪魔が天使を滅ぼしその存在を無くせば運命は自分の意志で決められる事になる。だが法則である以上、悪魔が天使に勝つ事はない。」
「どこが例外なんだよ。」
男の興味は、いつしかヴァルゼ・アークの語る運命に惹かれていた。だから期待外れの語り口を皮肉る。
「まあ最後まで聞け。よいか、余がお前をここに呼んだ理由がそこにある。どのみち悪魔は天使に滅ぼされる。そうなる前にお前に余の力を託したい。」
「……………?」
「そうすればお前はただの人間ではなくなる。人間と悪魔の融合体のような存在になれる。宇宙の意志の中にそういう種族はいない。運命に縛られない存在が誕生するというわけだ。」
「ヴァルゼ・アーク、じゃああんたは死を望むと?」
「宇宙にせめて一矢、報いたい。余の力だけでなく記憶も託す。お前はお前であり、余にもなる。余の変わりに天使を………悪魔の運命を変えてほしい。」
悲しげな瞳で未来の映像を眺める。それは悪魔という彼の仲間を想う気持ちに他ならなかった。
「なんで俺なんだ?人間なんて何十億といる。なぜ俺を選んだんだ?」
「お前でなければならない。人間の中で唯一運命に抗う事を許された人間。宇宙に支配される時代を終わらせるには、お前しかいなかったんだ。」
「承諾しなかったら?」
「それもまた運命よ。」
ヴァルゼ・アークは確信している。男が断らない事を。妻と息子の死を見ながらも、今はこうして平然と話している。野望というべき火が男の中に静かに燈る。
「…………悪魔との契約か。」
魔帝の力が、どれほどのものかもわからない。天使を滅ぼし悪魔の運命を変えるなんて約束とて霧の中。
迷いはあった。でも………
「いいだろう。宇宙が運命を支配する生命体だと言うのなら、愛する妻と息子を奪ったのも宇宙という事だ。仇はとらせてもらう。」
「それでいい。余の願いは天使を滅ぼす事。それさえ叶えてくれるのならば、後は世界を征服するなりなんなり好きにするがいい。」
「そうさせてもらう。」
男の意志を確認するように瞳の奥を覗き込む。
そして、
「言い忘れていたが、この世にはインフィニティ・ドライブという無限を操る力が存在する。」
ヴァルゼ・アークは振り向き男に近寄る。
「インフィニティ・ドライブ?」
「宇宙に仇を討ちたいのなら、インフィニティ・ドライブを持ってしか叶わぬ願い。」
「………どこにある?」
「説明するよりも、余の記憶を手に入れた方が早い。」
黒い刃の剣を抜き、男に差し出す。
「この剣で余を殺せ。さすれば、魔帝の記憶も力も剣を介してお前に託される。後は余の記憶を頼りに行動すればいい。」
手に取らされた剣。ずっしりと見た目通りの重量感があった。
「後悔するなよ?」
嘘か本当かは殺ればわかる。
「後悔などするものか。待ち望んだ時が来たのだからな。」
「……………わかった。」
腕力には自信があったが、剣を構えるには全身の筋力が必要だった。
ヴァルゼ・アークの心臓目掛け突き刺した。
黒い刃を伝い血が滴る。鎧の抵抗は無く、初めての感触に手が震えた。
「…………フッ。よくやった。これでお前は魔帝だ。言わば余とお前は友となったのだ。」
滴る魔帝の血が、生き物のように男に纏わり付く。
「うわああっ!」
血に怯えたわけではなく、全身の細胞を駆け巡る得体の知れない力に、男は思わず悲鳴を上げる。
「しばらくは余の力に耐えられる身体を作る為、お前の中に封印する。少しずつ力を解放して慣れるといい。」
「ぐあああああっ…………………………くっ……………」
「魔帝の力………存分に奮うがいい。」
ヴァルゼ・アークの身体が粒子となって徐々にに薄らいで行く。
もがく男に微笑み最後の言葉を遺す。
友よ、幸運を祈る…………。