第八章 汚染される感情
「藤木蕾斗のところに行って来たそうですね。」
由利がヴァルゼ・アークにブランデーを注ぐ。
グラスをぐるぐる回し、味わうというには程遠い飲み方で飲み干す。
「那奈が世話になったんだ、礼を言いに行ってきただけだよ。」
注げと言わんばかりに、またグラスを由利の前に置く。
「どういう心境の変化なのでしょうね?ローサが死んだ事がよほど堪えたんでしょうか?」
置かれたグラスにさっきより少なめに注ぐ。あまり飲み過ぎてほしくないらしい。
「…………わからんよ。ただ、若気の至りというわけではなさそうだ。」
「どうなさるおつもりですか?」
「しばらく様子を見よう。蕾斗が何をしたいのか、見てやろうじゃないか。」
また一気にグラスを空け、立ち上がる。寝室へ戻ろうとした時、背中から由利が抱き着いて来た。
「お、おい?」
こんな行動に出た由利は初めて見た。出会った時からクールで、女性らしくはあったが、甘える素振りを見せた事はなかった。ヴァルゼ・アークも対処に困る。
「少しだけ………このままでいさせて下さい。」
「どうしたんだ?最近変だぞ?」
「フフ。いけませんか?私だって甘えたい時くらいあります。」
驚きはしたが、たまにこういうのも悪くない。心境に変化があるのは蕾斗だけでなく、由利にもあるようだ。でなければ、こんな事はしてこない。
理由を聞くのも野暮だと思い、何も言わず好きにさせてやる。
元々、孤独を埋め合うように集まった仲間達だ、考えてみればおかしな事ではないのかもしれない。
「好きなんです…………総帥の背中…………」
「おいおい………らしくないな。」
「ウフフ………」
どうも調子が狂う。どんな顔で笑っているのやら………。
振り向いて見てやろうと思ったら、急に扉が開く。
「け、景子………!」
由利が真っ先に気付く。
「どうした?こんな夜中に。」
悪い事をしていたわけではないが、気が引けてしまう。ヴァルゼ・アークと由利は互いに離れる。
「総帥………お願いがあるのです。」
目を逸らさず真っ直ぐ二人を見ている。
「お願い?なんだ?言ってみろ。」
「………眠れないので一緒に寝てほしいのです。」
「な、何…?」
全く………どうなってるのか?景子まで妙な事を言い出す。
「淋しいのです。不安なのです。」
景子も普段、ポーカーフェイスを崩さない。でも、今は目を潤ませ滅多に見せない表情をしている。
「総帥………」
ヴァルゼ・アークの肩に由利が手を乗せ、頷いて見せる。一緒にいてやれと言ってるのだ。
「…………やれやれ。」
頭の後ろを掻きむしる。
景子は、すかさずヴァルゼ・アークの手を取り、自分の部屋へと連れていく。
「お、おい、引っ張るな……」
意味不明な景子の行動に翻弄されながらも、彼女に従う。そんなヴァルゼ・アークの背中を、由利は優しい目で眺めていた。
おおよそ夜の街には似つかわしくない、制服姿の少年が向かうのは、廃ビルだ。取り壊す予定が無くなっている事を臭わせる工事予定の看板の日付は、三年前になったままだ。少年は、その廃ビルの中へ入って行く。
足取りはしっかりとしていて、自殺しに行くようには見えない。
コンクリートが剥き出しのビルの中を、最上階まで黙々と登り続ける。
電気が通ってないとは言え、差し込む街のネオンの明るさで、歩くのにさほど苦労はしない。
最後の階段を登り終え、すぐ目の前の入口から部屋の中へ入る。
「来てくれたみたいですね………アダム。」
「僕の名前は蕾斗……藤木蕾斗だ。アダムなんて名前じゃない。」
「失礼。気を悪くなさらないで下さい。含みはありませんから。」
そう言うのはダイダロス。
「わざわざこんなところに人を呼び出すなんて、あまりいい趣味じゃないね。」
「ハハハ。私は好きなんですよ、この空間が。虚無主義でしてね、不死鳥界には無かったこの光景も、私にはただただ、人間達の虚しさにしか思えない。人工的な光、夜の静けさを嫌うような騒音。それらを、残留思念しか残らないようなこの建物から見下ろす。至上のエンターテイメントだと思いませんか?」
虚無主義だと言うのだから、価値観が理解出来ないのは仕方ない。
「不死鳥族なのか………?」
「ええ。不死鳥族名はライト・ハンドと言います。貴方の名前と同じですね。もっとも、今はダイダロスと言った方が、しっくり来ますが。」
名前が同じだと共感を持たれても、蕾斗に興味はない。
そんな話をしに呼ばれたわけではない事は知っている。
数時間前、ヴァルゼ・アークが去ってから、一人考え事をしていると、独特の不気味なオーラと共にダイダロスが現れた。自分がもうすでに二人から目を付けられている事を痛感した。
そして、ダイダロスは待ち合わせの場所と、時間を夜に指定しただけだった。
心に迷いが生じてる蕾斗が来る事など、想像にたやすかっただろう。
「話を聞こうか?あんまり夜遅いと、親がうるさいんでね。」
過去で会った時の蕾斗の顔つきではない。ダイダロスは『勝ち』を確信して話し始めた。