第七十九章 想いが届いたなら
何もない事が嵐の前の静けさに思えていた。
でも今日は違かった。ヴァルゼ・アークは必ず行動を起こす。そんな予感に急かされて、いつもの公園に一人来ていた。
ヴァルゼ・アークが行動を起こす時、必ずここで会っていた。来る。間違いなく現れる。
その想いが届いたのか必然か。当たり前のように現れた。
「気が合うな………羽竜。」
「来ると思ってた。」
いつもの公園とは場所のみで、辺りには何もない。
池は泥で茶色く濁り、死んだ鯉や鮒が浮いている。公園と呼ぶには腐敗し過ぎか。
単純な羽竜にも今が戦う時期ではないとわかっている。
「こんな世界でもまだ救いたいと思うか?」
ヴァルゼ・アークとてこんな世界は御免被りたい。
「………俺はあんたみたいに頭がキレるわけじゃないからわかんねーけど、こんな世界だって人間は生きて行けると思う。百年かかっても千年かかっても、きっと元の世界に戻せるさ。」
「お前の言う通りだ、人間には夢を見る力がある。希望を持ち、いつかは想いを遂げるだろう。」
「そしてまた同じ事の繰り返し………そう思ってんだろ?」
「それが宇宙の意志だ。」
「わかんねーよ。なんでそんなに運命を嫌うんだ?誰だって運命に抗いながら生きるんじゃねーか。だから人は今を精一杯生きる。教えてくれ、何があんたをそうさせるんだ?」
「…………………お前が知らなくていい事だ。」
「思い止まる気はないって事か……」
「俺を止めたいのなら俺を倒せ。…………出来るならな。」
トランスミグレーションを持たない羽竜を恐れる事はない。
インフィニティ・ドライブもある。
「宇宙の心…………そこで待っている。場所は解空時刻が教えてくれるだろう。」
羽竜が首から下げている解空時刻を見た。
「最初からこの為に解空時刻を渡したのか?」
「解釈は任せる。解空時刻が反応するようにしてやるから、解空時刻が示す場所にいつでも好きな時に来るといい。」
ヴァルゼ・アークは背を向けてから軽く手を振り去った。
「ヴァルゼ・アーク…………運命が決まってるって言うなら、あんたは俺には勝てない。」
去り行くヴァルゼ・アークに囁き振り返る。すると、あかねが立っていた。
「吉澤…………!」
いつからいたのか………気付かなかった。
思い詰めるような眼差しで、じっと見つめられる。
「…………行くんでしょ?」
「………ああ。止めるなよ?」
「止めないよ。」
意外な返しに言葉を詰まらせる。
「一言だけ伝えたくて………」
「連れても行かないからな。」
やっぱり余計な事を言ってしまう。あかねを想っての言葉なのだが、言い方にどうしてもトゲが出てしまう。
「またそういう事を言う!」
頬を膨らませる。
「だ、だってよぉ………」
「はぁ…………ま、羽竜君らしくて安心したけど。」
がさつではあるが、ナイーブなところもある羽竜。ヴァルゼ・アークとの決着を前に神経質になってないか心配してたのだ。
「で、伝えたい事ってなんだよ?」
「………どうせ世界の為とか思ってんでしょ。」
「当たり前じゃねーか。じゃなきゃなんの為に戦うんだよ。」
「自分の為よ。」
「え?」
「羽竜君は羽竜君の意志で戦って来た。違う?」
「そりゃまあ違くはねーけど……」
あかねの意図が読めない。何を言いたいのか?
「だったら、最後は羽竜君自身の為に戦って!羽竜君が納得出来る戦いをして!」
「吉澤………どうしたんだよ、お前?」
やけにはっきりものを言うあかねは珍しい。
「私…………羽竜君が好き!」
「え、ええ〜!?な、ななな何言い出すんだよ急に!」
あたふたとする様は、これから死地へ向かう男には見えない。
「だから………必ず勝って帰って来て!返事はその時に聞かせて。」
濁りのない瞳。頼りなくはあるが、まっすぐでキラキラと光を宿しているような。
「わかったよ。必ず勝って帰って来る。」
笑った羽竜の顔が誇らしい。
あかねは羽竜の唇に自分の唇を押し当てた。
「おまじない。」
そう言ったあかねが女神に見えたのは、幻ではなかっただろう。
積極的なあかねに困惑していると、空が暗くなる。まだ昼間なのに。
夜とは違う闇に、ヴァルゼ・アークのオーラを感じる。
やがて闇の空に丸く光が灯ると、解空時刻がそれに反応した。
「……………気が早いじゃねーか。」
羽竜は不死鳥神の鎧を纏う。そして翼も。
「行って来る。」
凜とした羽竜の瞳にも光は宿っていた。
「待って!」
呼び止め、羽竜にミクソリデアンソードを渡した。
「フッ。こいつは心強い。」
「トランスミグレーションの変わりにはならないかもしれないけど…………」
「いいや、十分だよ。」
それだけ言って、不死鳥神の翼を広げヴァルゼ・アークの元へ飛んだ。
結衣は面白くなかった。すぐには行かないと約束したのに、ヴァルゼ・アークは早々に行く気らしい。
「笑顔で送りましょう。次に宇宙が生まれるまで会えないのよ。」
次に宇宙が生まれても、会えるかどうかは誰にもわからない。
由利は結衣を宥める。
「だってヴァルゼ・アーク様嘘ついたんですもん………」
「そう怒るなよ。嘘ついたつもりはないんだ。」
「最後に晩餐したかったのに………」
「やれやれ………」
ヴァルゼ・アークは困った顔をしたが、緊張が解れ心地よいくらいだ。
「ヴァルゼ・アーク様、ご武運を祈ってます。」
由利だって本音はせつない。でも結衣と景子の手前そんな姿は見せられない。
「結衣、お前は少々気分屋だ。感情が豊かなのはいい事だが、時に自分を押し殺す事も必要だ。それさえ出来ればもっといい女になれるよ。」
「………頑張ります。」
頬を撫でたヴァルゼ・アークの手の温もりを忘れないよう、しっかりと記憶した。
にっこり笑ったヴァルゼ・アークは、景子に話かけた。
景子は今にも泣き出しそうだった。
景子がひそかに慕っていてくれたのは知っていたし、他のメンバーと比べまだ幼さの残る自分に引け目を感じていたいじらしい景子の不器用さは、痛いくらい伝わっていた。
「景子、後十年もすればお前は見違えるくらいの美人になっただろう。誰も素通りなんか出来ないくらい飛び切りの美人にだ。」
「ヴァルゼ・アーク様………」
「俺には見える。世の男共を虜にするお前の姿が。だから自信を持て。いいな?」
「美人になったら………デートしてほしいのです……」
流れた景子の涙を拭い、笑顔で答えた。
ヴァルゼ・アークは立ち上がり由利に視線を預けた。
「由利、お前には感謝してる。俺のわがままに付き合ってくれた事を。」
「やめて下さい。感謝しなければならないのは私の方です。私は最後に母親になる事が出来ました。ありがとうございます。」
由利は腹に手を当て、小さな息吹を確かめた。
「目黒君に負けないで下さい!」
結衣が抱き着くと、
「なのです!」
景子も抱き着いた。
「おいおい………」
まだまだ子供な二人だが、ヴァルゼ・アークには大切な仲間だ。そしてヴァルゼ・アークは由利を見つめ両手を広げた。
「ヴァ、ヴァルゼ・アーク様………!」
「いいから。」
照れる由利を窘めるように微笑んだ。
いささか躊躇いがちだったが、好きな男の悪戯な笑みには勝てない。由利もヴァルゼ・アークに抱き着いた。
「約束しよう、生まれ変わってもまたお前達に会いに来る。だから待っててくれ。」
「他の娘達も探してあげないと、大変な事になりますよ?」
「わかってるよ。」
由利の『脅し』に軽くウインクした。
ヴァルゼ・アークは三人から離れ、絶対支配を具現化して空に翳す。するとあっという間に闇に染まる。
そして今度は同じようにトランスミグレーションを翳す。
闇の空に満月のような丸い光が現れた。
「行ってしまわれるのですね………」
由利が淋しげに言った。
「いってらっしゃい。」
結衣が言った。
「ずっと待ってるのです。」
景子が言った。
逆光に四十八枚の翼が映える。
「…………また会おう。」
約束を告げた。