第七十八章 Midnight Lady
真夜中、結衣はヴァルゼ・アークの部屋を訪れた。
寝てはいない。そんな気がした。
「夜中にすいません……」
まるでこそ泥のように入って来た結衣を見て思わず笑ってしまった。
「ハハハ。どうした?お前が夜中に来るなんて珍しい。夜中の来客はたいがいローサかはるかだったが………まあいい。そんなとこに突っ立ってないでこっちに来い。」
ヴァルゼ・アークは一人でワインを飲んでいた。結衣はもしかしたら由利がいるのではと想像してただけに、深く安堵して息を吐いた。
「由利がいなくて安心したか?」
見透かされて照れる。
「そんなんじゃないんですけど…………」
ソファーに腰掛けるヴァルゼ・アークの隣にちょこんと座った。
緊張が込み上げる。あの戦いの後から、ヴァルゼ・アークに男を感じてしまう。もちろん以前から男は感じていた。そこからもっと色気を感じる。
理由は単純、結衣の方が知らず知らず女になったのだ。
だから由利がいるのを恐れた。
「何か話があるなら遠慮なく言ってみろ。出来る限り期待には応えよう。」
「…………目黒君とはいつ決着をつけるんですか?」
「ん?羽竜とか?そうだな、明日にでもつけてもいいか。」
「え!?あ、明日!?」
心の準備が出来ていない。でかい声を上げてしまい、慌てて口に手をやる。
「冗談だよ。羽竜の体力が回復するまでは待ってやろうと思う。」
「悪い冗談はやめて下さい。真剣なんですから!」
「ハハハハ。悪い悪い。その時は前もって言うよ。」
「そうして下さい。だって………別れはちゃんとしたいですもん。」
『その時』は遠くない。明日でもおかしくはない。
この三日間は何事もなく過ぎた。普通に朝起きて、昼間は掃除をしたり本を読んだり、夜は食事に時間をかける。普通のレリウーリアの生活をした。でもそれがかえって不自然だった。
ここに来て普通に過ごす意味などなかったからだ。
多分、ヴァルゼ・アークなりの最後の優しさだ。何気ない日常を過ごす………戦いから離れた空間は結衣達の心の傷痕を癒すには十分だった。
「結衣……………」
「一人で行くつもりなんでしょ?目黒君との戦いに………」
膨れっ面で言った。ヴァルゼ・アークには可愛さしか感じなかったが。
「それが俺の望みだからな。」
「私も連れて行って下さい!総帥が野望を果たす時、私も傍にいたいんです!」
危なくワイングラスを落とすところだった。結衣はしがみつくように懇願する。
「その期待には応えられないな。」
「ど……どうして………!?」
「お前達には見守っててほしい。俺が運命に勝つ瞬間を………その瞳で。」
「見守るだけなんて私は嫌です!お願い………」
聞き分けのない結衣の口をヴァルゼ・アークの口が塞いだ。
うるさい女にはうってつけのテクニックだが、今日はそんな雑な意味はない。結衣を想っての行動だ。
「頼むから困らせないでくれ。」
「ヴァルゼ・アーク……様……」
もう何も言う事はない。
精一杯だった。精一杯背伸びをして『女』を演じた。演じきれた自信はないけれど、最高の褒美を受け取れた。
「愛してます………」
「わかってる。」
今度は結衣から。
…………そして部屋を出て行った。
間もなくして、本日最後の来客が来た。
「来ると思ってたよ、景子。」
夜中だと言うのに、景子は持っている自前の服の中から一張羅を選んで着ていた。
「最後に来たのは狙ったな?したたかな奴だ。」
呆れるよりも、むしろ褒めたたえた。一番最初に来たかった気持ちを堪えていたのが目に浮かぶ。
「総帥のワインは私が注ぐのです。」
「…………来い。」
微笑んで招いた。
「さて、お前は何を話に来たんだ?」
「…………………。」
無言が語るものは、結衣と同じだろう。
「何も語らず同じ時間を過ごせる。とても大切な事だ。」
「……………いつか……私もそんな大人の女になりたい……」
「なれるさ。」
兄のような眼差しで、グラスにワインを注ぐ景子を見つめた。
十年後………そう、十年後の景子を想像して。
十年後の景子もやはり口癖は「なのです」なのだろうか?そう思うとなんだかおかしくなった。
「???」
景子にはさっぱりだが。
この時間は景子にとっては永遠になる。
自己表現の不器用な彼女には、沈黙を埋めようとするよりも、語らない愛がよく似合う。
ヴァルゼ・アークが景子に教えた景子の魅力だった。
小さな一時は早々と終わりを迎えた。
景子はおとなしく部屋を出た。満足そうな笑顔で。
「兄としての役目も果たせたか…………」
夜明け前の空を見た。
『その時』はすぐそこまで来た。
これからヴァルゼ・アークは眠りにつく。一時間………十時間………ひょっとしたら一ヶ月くらい眠り続けるかもしれない。
眠りから覚めた時、それが『その時』となる。