第七十七章 原点回帰
「私を………殺しに来たのですか……?なら好きにすればいい………未練はありません。」
ダイダロスはまだ生きていた。虫の息ではあるものの、感服する生命力だ。
壁にもたれ、サマエルを見上げる。
「ククク…………」
「何が………おかしい?」
「今のお前と同じ状況で全く同じ事を言ってた奴を思い出してな。」
己の野望に破れ、後は死を待つのみ。サマエルにはダイダロスが、あの日崩壊する天界でのミカエルに見えた。
「インフィニティ・ドライブを使いこなせなかった………」
「敗因は他にもあるんじゃないのか?」
「……………他にも?」
「お前の法則はなんだ?」
「………不死鳥族の滅亡………そう、不死鳥族の滅亡が私の法則………」
「クク………破ったのか?」
「ヴァルゼ・アーク達が不死鳥界ごと破壊してくれましたから…………」
「なるほど。ならばひとつ聞こう、お前はなんだ?」
一瞬サマエルが何を言ってるのかわからなかった。
しかし徐々に顔が青ざめる。
「あ………ああ………馬鹿な…………まさか……」
「今まで気付かなかったのが不思議だと思うがな。」
不死鳥族は滅んでなんかいなかった。そう…………ダイダロス、もといライト・ハンド自身が不死鳥族なのだから。
ダイダロスの記憶にいつの間にかライト・ハンドが乗っとられ、ダイダロスには違いないが不死鳥族のライト・ハンドでもある事を忘れていた。
「まあ今更だろう。」
サマエルはカオスブレイドを抜く。
「ミカエルの事はわざわざ手を降すまでもないと思い手にかけなかったが、貴様はしぶといからな、ここで始末してやるよ。」
「ま、待て!それならヴァルゼ・アークはどうなる!?」
サマエルはニヤリとしただけだった。
「…………そうか………そうなんだな!?フハハハハ!そういう事か………それならば尚更未練はない!」
「法則なんてものがあるのなら、奴もまた道化よ。」
狂ったように笑い続けるダイダロスには聞こえていないだろう。いや、とっくに気が触れている。
それ以上は何も言わず、ダイダロスの首を落とした。
屋敷に結界を張っておいてよかったとつくづく思った。
世界が壊滅状態の中、住家だけは無事である事に安堵していた。
「失礼します。」
由利が入って来る。
いつも賑やかな屋敷も、今はヴァルゼ・アーク、由利、結衣、景子の四人しかいない。
静まり返る屋敷は息苦しいだけだった。
ダイダロスとの戦いから三日が過ぎていた。あれから羽竜とあかねがどうなったのかは知らない。死んでいない事だけは確かだろうが。
「何を見てらっしゃるのですか?」
ヴァルゼ・アークは普段着でソファーに座ったまま、紙を手にしていた。
「写真だよ。レリウーリアを結成した記念とか言ってみんなで撮った写真だ。」
いつだったか、誰かが言い出した。集合写真を撮ろうと。
「賑やかな娘達でしたけど、いなくなるとこんなにも淋しくなるのですね。」
「ああ。みんないい女達だった……」
「何よ?」
「なんでもございませんわ。ただ態度のでかい新人さんに話がありまして。」
「用があるんじゃない。そういうのは『なんでもない』っては言わないわよ。」
新人さんと称されたのは葵で、揚げ足を取られたのは純だ。
新人とは言われても、純がレリウーリアに来てすぐに葵が入って来たし、その後にもローサ、はるか、翔子、結衣、景子が入って来ている。新人ではない。
要するに、純は葵が気に入らないのだ。
この頃はまだ絵里もローサも喧嘩するような仲ではなかった。喧嘩するのは決まって純と葵だった。
「いちいち屁理屈を述べないと気が済まないようですわね?」
「いちいち人を見下さないと気が済まないの?面倒くさいんだけど。」
葵がキレる事はない。いつも純の一人相撲で終わる。
「カンに障る女ですわね。まあいいですわ。それより貴女!今朝は貴女が朝食を作る当番ではなくて!?」
「あー………忘れてた。」
「わ、忘れてた!?なんてふてぶてしい女ですの!?」
「うるさいなあ。あんたの当番の時に変われば同じでしょ。」
「そういう問題ではなくてよ!?ルールにはきちんと従っていただかないと困りますわ!」
言ってる事は純の方が正しいように聞こえるが、葵とてルールを無視したわけではない。
「そんならあの献立なんとかしてよ。」
「献立?献立に何か不備でもありまして?」
「あるわよ。なんなのよあの『なんとか』のワイン煮って。」
「『なんとか』ではなくて、『やわらか鴨』のワイン煮ですわ。全く、医大なんかに通ってるくせに字も読めませんの?」
「私が言ってるのは、なんで朝っぱらからそんなヘビーなものを食べなきゃなんないのかって事よ!だいたい作り方だってわかんないし。」
葵は忘れてたわけではなかった。ただあまりに聞き慣れないメニューに腹が立ち、記憶から削除したのだ。
朝っぱらからあれこれ悩んで作るより、怒られた方がまだいいと思っている。
「おやおや。これだから庶民は困りますわ。わたくしは総帥の事を考えて献立を立てましたのよ?別に貴女が作る手間は関係ありませんもの。」
葵は、誰がこんな奴に献立を作らせたのかと内心思っていた。
「手間の問題じゃないでしょうよ。世間知らずのお嬢様は常識というもんが欠落してて困るわ。あー面倒くさい。」
「生意気な!どちらの立場が上か教えてさしあげますわ!」
慣れない手つきでロストソウルを具現するが、具現した瞬間に落としてあたふたとする。
「あはははは!あんたホントにルシファー?」
「人の失敗を笑うなんて、なんて器の小さい!」
純は恥ずかしさと怒りで顔が真っ赤になった。
「何を騒いでるの!?」
そう言って部屋に入って来たのは由利だ。
「おほ……おほほほ………なんでもございませんの。」
「なんでもないで〜す。」
純も葵も由利は苦手だった。
常に冷静で、とにかく厳しい人格の持ち主である由利は、取っ付き難いのだ。
「屋敷の中では静かにして。」
母親のような口調も苦手だ。
「まあいいじゃないか。元気なのはなによりだよ。」
由利の肩に手を乗せ、ヴァルゼ・アークが笑顔を見せていた。
「総帥は甘すぎます。」
「まあそう言うな。みんな集まったばかりで打ち解けてないんだ、ぶつかり合う事だってあるさ。悪魔の記憶もまだ馴染んでないんだろう。」
ヴァルゼ・アークの優しさは由利の厳しさと釣り合いが取れていた。だからこそみんな着いて来たのだ。
「それなら写真を撮られてはいかがです?」
那奈だ。
よほど騒がしかったのか、那奈だけでなくいつの間にかみんな揃ってた。
「写真?」
ヴァルゼ・アークは聞き返した。
「はい。レリウーリア結成の記念撮影です。」
「ふむ………それはいい考えかもしれん。」
ヴァルゼ・アークが頷くと、他の者達もやんややんやと騒ぎ出す。
「総帥!!」
由利はお祭り騒ぎになって締まりが無くなるのを恐れて怒り出すが、
「カリカリするな。お前の怒った顔は嫌いじゃないが、もう少し笑顔を見せてもいいんじゃないか?美人なんだからな。」
茶化されてポスト並に赤くなる。
「か、からかわないで下さい!」
由利を手玉に取れるのはヴァルゼ・アークだけだ。もっとも、ごく稀にの話ではあるが。
やり取りを見てみんな笑う。
それからは忙しかった。写真屋を呼び、はては衣裳まで用意するとか言い出した。
ぎこちない雰囲気が、たったそれだけの事でがらりと変わった。これを機にレリウーリアの絆は深くなった。友達以上、家族以上の絆。
まあ、相変わらず喧嘩は堪えなかったが。
「ひとつ…………聞いてもいいか?」
ヴァルゼ・アークは由利を見ずに、窓の外を眺めながら言った。
「なんでしょう?」
何を聞かれるか予想はついた。
「……………産みたいか?」
「はい………そう言ったらどうなさるおつもりですか?」
子供がいる。愛した女の腹の中に。男が戸惑うには格好の条件だ。
「貴方は信念を貫かねばなりません。私が愛した男は、誰より強く、誰よりまっすぐで、そして誰よりも愛の深い人。死んで行った者達に背を向けるような弱者ではありません。」
「そうだな。つまらない質問だった。」
本当は産みたい。愛した男の子供なのだから産みたくないわけがない。
ヴァルゼ・アークの背中に抱き着く。もうじき失くなる背中。由利にとっては海より広い背中だ。
「許してくれ…………何もしてやれない。」
「そんな事はありません。最後まで愛して下さい、私だけでなく結衣も景子の事も。」
崩壊した世界…………二人には創世に見えた。