第六章 アダム覚醒理論
平和の有り難みを感謝したばかりだったのに、事態は180゜形を変えた。いつまでも続くとは思ってはいなかったが、あまりに急ぎ足の曇り空を受け入れる用意はしていなかった。
昨日の事もあるのだろう、結衣は欠席。そして、蕾斗も学校へ来てない。朝、羽竜の家に迎えに来たのは、あかね一人だけ。ケータイにも出ない。蕾斗の自宅にも電話をかけてみたが、もう家を出たとの事。きっと一人になりたいのだろうと、仕方なく二人で登校して来たのだが、羽竜の胸はどうにも落ち着かない。胸騒ぎがする。
ローサが死んだのは、自分のせいだと思い詰めていた。あかねやジョルジュにも話して、なんとか慰めようともしたが、断られた。
どこにいるかわからないが、またダイダロスが蕾斗の前に現れでもすれば、逃げずに戦うかもしれない。ジョルジュに捜索を以来してはあるものの、不安は残る。
「蕾斗君、心配だね……」
優し過ぎる蕾斗には、ローサの死は重過ぎて支えられないかもしれない。自分を見失わなければいいのだが。あかねもそれを心配しているのだ。
「………辛いんなら、一言相談くらいしてくれてもいいじゃねーか。」
羽竜は親友の思考を理解出来ず、虚しさを覚える。
「新井さんも来てないし、これからどうなるんだろう……私達………」
「どうなるも何も、いつ戦いが起きてもおかしくないのはわかってた事だ。蕾斗の話だと、インフィニティ・ドライブを手に入れる方法は存在するみたいだし、油断は出来ない。吉澤も気をつけろ。」
「うん。」
相手の出方次第というのがもどかしい。
「帰りにでももう一度、蕾斗んとこ寄るか。」
「そうだね。夕方には戻って来てるかもしれないし。」
始業のベルが鳴る。談話していた者達が、一斉に自分の席につく。こんな当たり前の光景でさえ、明日には無くなっているかもしれない。正直なところ、蕾斗の事ばかり気遣ってる余裕はない。羽竜もまたプレッシャーに押し潰されそうになっている。
(勝てるのか……俺達……。)
羽竜は、この時蕾斗を探さなかった事を後悔するなんて思いもしなかった。
美術館なんて、そんなに毎日人が入るところじゃない。暇であってもおかしい事ではない。
ところが、那奈が館長を務める美術館は違った。彼女の美貌見たさに来る者もいるが、訪れた人達に美術品の説明を那奈自らが説いて回るのだ。
その甲斐あってか、美術品に興味のなかった人が興味を持つようになってくれる。
那奈にとってはこの上なく喜ばしい事だ。
「いつも足を運んでいただき、ありがとうございます。」
顔なじみの常連を最高の笑顔でもてなす。美術館の常連なんて聞いた事もないが、来る客が飽きないように、工夫を惜しまない努力も理由の一つだろう。
「ん?あら、珍しいわね。一人?」
那奈が見つけたのは、たった一人でロビーにいる蕾斗だった。
「那奈さん………」
蕾斗がここに来たのは、美術品鑑賞でない事は、那奈にはすぐわかった。自分に会いに来たのだと。
「私に用があるみたいね?」
「……………貴女に、頼みがあります。」
「頼み?」
「お仕事が終わってからでかまいません。この近くの広場で待ってますから。」
「何の頼みかと思ったら、随分大胆な頼み事をするのね。」
蕾斗に言われた通り、仕事を早々に切り上げ広場に来ていた。
「すいません。でも、僕も後がないんで……」
「理由を聞かせてもらえないかしら?」
「………戦いを終わらす為です。」
「それが、どうして私と戦う事になるのかしら?貴方と私とでは、戦いにならないと思うけど?」
蕾斗の頼みというのは、ごく単純明解なものだ。自分と戦ってほしい。それだけ。いきなりの申し出に、那奈も困り果てていた。
「僕の中に眠るインフィニティ・ドライブを覚醒するには、自分より強い相手と戦う方が手っ取り早いと思いまして。追い込まれ、上手くインフィニティ・ドライブさえ覚醒すれば、きっとダイダロスにも貴女達にも負けない。もう誰にも死んでほしくないんです。」
「いろいろ考えてるのね、少年は少年なりに。」
「那奈さんだって、仲間が死ぬのは本意じゃないでしょう?」
「………………フフ。やっぱりまだまだ子供ね。」
那奈の言葉にムッとする。
「どういう意味ですか?」
「ケツの青いガキって事よ。」
周りの空気がざわめく。
「言ってる意味がわかりません。僕のどこが子供なんだって言うんですか?」
「インフィニティ・ドライブさえ自分のものになれば戦いが終わる?誰も死なずに?それは違うわ。戦いが終わる条件はただ一つ。インフィニティ・ドライブを持つ者が生き残る事。誰も死なずなんて甘いわ。甘過ぎてヘドが出るわ。」
「……………わかってもらえないなら、それでもいいです。僕には僕のやり方がありますから。」
そう言うと、蕾斗は啖氷空界を張る。逃げられない為ではなく、自分を追い込む為。
「言ってもわからない子には、お仕置きが必要ね。」
鎧を纏い、長距離型ライフルのロストソウル・アルティメットバスターを具現化した。
一対一の戦いには、お世辞にも有利とは言えないが、実力の差を考えればさしたる問題ではない。連射も可能だし。
「行きますよ、那奈さん………いや、アドラメレク!」
「後悔しない事ね。その正義感が自分の首を絞める事にならないように。」
帰りに蕾斗の家に寄ったが、まだ帰ってないと言われた。まさか学校に来てないとは言いにくいので、学校には来ていたと一応嘘をついておいた。
「どこほっつき歩いてんだ……」
石ころを蹴りながら蕾斗への不満を漏らす。
「困ったね。」
幼い頃から蕾斗は周りを困らせるような事はしなかった。三人の中では一番いい子だった。
だから、あかねには今の蕾斗の行動には本当に困っている。羽竜の感じてる胸騒ぎが飛び火したように、胸の中の不安が規模を拡大していく。
「馬鹿な事考えてなきゃいいんだけど………」
「馬鹿な事考えてんじゃねーのか?」
「どうしてそういう投げやりな言い方しか出来ないの?」
「フン。見たらわかるだろ。」
羽竜が立ち止まって何かを見てる。あかねも羽竜が見ているものを見る。先には夕日があるだけ。
「あっ!」
その夕日の下から人影がフラフラと現れる。
「あいつ………何やってきやがった………」
体中傷だらけになり歩いて来て、羽竜達の前で歩みを止める。
「やあ………羽竜君……吉澤さん…………どうしたの……?」
「どうしたの?じゃねーよ。何だよその傷!」
「ああ…………まあ……ちょっと……いろいろと………」
疲れているのか、軽く言葉をかわすと、また歩き出した。
「蕾斗君!!」
あかねが呼び止める。
「心配しないで………僕は……誰にも負けない……」
振り向かず話す蕾斗の背中越しに羽竜が話しかける。
「蕾斗、何言ってんだ?まさかお前、ダイダロスと……?」
「…………那奈さんとさ。」
「アドラメレクと?ヴァルゼ・アーク達が来たのか!?」
「違うよ。僕から行ったんだよ。」
「お前から?なんでまた……」
「インフィニティ・ドライブを………覚醒させる為さ。」
「かはっ……かはっ………」
那奈は、誰もいなくなった美術館に戻ったところで倒れ込む。
「ま………まずいわ………あの子…………インフィニティ・ドライブに目覚め始めてる…………」
身体を引きずり、なんとか壁にもたれる。スーツの内ポケットからケータイを取り出し、履歴から仲間の番号を探す。ボロボロの身体にはびこる痛みが邪魔で、キーを上手く押せない。
「くっ…………早くしないと………危険だわ………」
勝負は引き分けにもなっていない。結果的に、蕾斗の中に眠るインフィニティ・ドライブを起こすきっかけを作ってしまった。
「あれは……アダムの力………」
ケータイが床に落ちる音が響き、そのまま意識を失った。