第六十章 キャンディ
ヴァルゼ・アーク達は横並びに走り続けていた。
にわかに漂っていた強いオーラが、急激にダイダロスの空飛ぶ城を包み込み出している。
そこから微かに感じる蕾斗のオーラ。猶予が無い事を示唆していた。
「総帥、これはもしや……インフィニティ・ドライブ?」
由利は未だかつて無い不安を感じていた。
口には出来ないが、ヴァルゼ・アークにも劣らないオーラで、どこか質の異なる気配。
「間違いないだろう。ただ、まだ完璧に目覚めたわけではなそうだ。」
由利達にはわからないが、ヴァルゼ・アークには強いオーラの中の微妙な不安定さが感じ取れた。
蕾斗に何が起きてるのかは予想しなくても見当がついている。
「藤木蕾斗…………!」
唇を噛み、憎しみを押し殺すような表情を景子がした。
そんな景子の肩に手を乗せ、
「焦れば事をし損じる。感情的になれば足元が留守になる。クールになれ。」
ヴァルゼ・アークが微笑んだ。
単純と言われようが景子にはなにより効果のある薬だ。
「今のうちにお前達に言っておきたい事がある。」
急に神妙な面持ちで魔界の神は語りかける。
こんなヴァルゼ・アークは滅多にない。
「蕾斗には手を出すな。奴を倒すのは羽竜だ。俺達は美咲を救いダイダロスを殺ればいい。」
「総帥、先程も同じ事をおっしゃってましたが……なぜ目黒羽竜なのです?私達全員でかかれば今なら藤木蕾斗を殺れるではありませんか?それに、確か総帥は以前藤木蕾斗を殺してもインフィニティ・ドライブは手に出来ないともおっしゃいました。目黒羽竜が藤木蕾斗を倒したところで、総帥がインフィニティ・ドライブをものには出来ないのでは?」
「フッ。蕾斗からインフィニティ・ドライブを奪う方法はたった一つと言っただろう。それを知るのは俺とダイダロスのみ。とりあえずは蕾斗がインフィニティ・ドライブを完全に自分のものにしなければ始まらん。」
「しかしそれではリスクが大き過ぎます。」
「由利、リスクを怖がっていては何一つ手に入れる事は出来ないんだ。求めるものが大きければ大きい程、当然リスクも比例していく。お前達は何が起きようと黙って見ていろ。インフィニティ・ドライブが俺の元に来るのをな。」
由利の不安など微塵にしてしまうような自信を見せる。
「もし藤木蕾斗から仕掛けて来たらどうするのです?美咲さんを救うのに避けては通れない気がするのですが………」
愛子も不安は隠せない。闇王ベルゼブブでさえ余裕を失くしていた。
「フッ………頭でも下げて返してもらうか。」
「総帥!!」
冗談だとわかっていても、愛子には笑えなかった。
「落ち着け。言っただろ、黙って見てろと。ダイダロスとて軽い存在ではない。まずは奴が先だ。奴がいては『その瞬間』が来ても邪魔になる。俺の邪魔になる存在は全て消せ。お前達の最後の任務だ。」
一度は崩れた神妙な面持ちが戻る。絶対に逆らう事は許さない意志があった。
あれだけ複雑に造られていた道が一本道になっている。
辿り着けた。もうすぐだ。
誰もがそう思った矢先、結衣が立ち止まる。
「結衣?」
由利も立ち止まり結衣に声をかけると、ヴァルゼ・アーク達も立ち止まった。
「ヴァルゼ・アーク様、ちょっと先に行ってて下さい。」
「どうした?」
「あの………ちょっと……」
何を言いたいのかはっきりしない。が、なんとなく察して、
「わかった。すぐに来いよ。」
「すいません。」
結衣を残してヴァルゼ・アーク達は先に行った。
「出て来たら?」
後ろを振り返り虚空に声を放つ。
すると、柱の陰からあかねが出て来た。
「ヴァルゼ・アーク様達が気がつかないなんて………おかげでトイレだと思われたじゃない。勘弁してよね。」
クラスメートへの感心と無視出来なかった自分への愚痴に追われる。
「ごめんなさい………」
出来れば結衣にも気付いてはもらいたくなかった。
隠れたのは景子がいたのもある。またいちゃもん付けられたら敵わない。そして、千明の件がある。黙ってればわかる事はないだろうが、それでもやっぱりヴァルゼ・アーク達には会い難かった。
運がいいのか悪いのか。ヴァルゼ・アーク達が気付かなかったのに、結衣には気付かれてしまった。驚いたのはあかねの方だ。ヴァルゼ・アークに気付かれなかったのだから。
薄暗い空間の中で姿だけは隠せていたにしてもだ。
「別に謝らなくてもいいよ。私達に会いたくなかったんでしょ?」
心臓が止まりそうになった。
心の中を覗かれてるような気がして。
「わかるわ。こんな状況で普段通りなんていかないもの。」
気晴らしになっているのか、結衣が学校で見せる笑顔で喋っている。
「でもさ、なんだか変な気持ちじゃない?クラスメートと戦場で会うなんて。」
「うん………そうだね。」
共感など出来るものか。
結衣の事は好きだが、相手が誰であれ生命を奪い合う場所でクラスメートと会いたくなんかない。
嘘のリアクションを取るのは、早く去ってほしいから。まさか「一緒に」とは言わないだろう。
「どうしたの?元気ないけど。」
「ううん。ちょっと疲れたみたい。神様と戦うなんて思ってもみなかったから。」
「ええ〜!あかねちゃんも神様と戦ったの?!誰?ねぇ誰と戦ったの?!」
まずった。食いつかれるとは。
「え、え〜とぉ……ミューズさんだったかな………」
「ああ〜、ミューズね。あんまり性格よくないのよ、彼女。」
『ナヘマー』はミューズが好きではないらしい。
確かに、戦場にドレスを着て来るような女だ。性格はいいとは言えないのも頷けるが。
「新井さん、行かなくていいの?」
ヴァルゼ・アーク達の消えた方をちょんちょんと指差して結衣を急かしてみる。
結衣は話し出すと長くなる。ここらで釘を打ってやらないと飽きるまで話し込むだろう。
「そうだった!トイレだと思われてるのに長居なんてしてられないわ!」
こんな時でも女を忘れない。あかねは少しだけうらやましく思えた。
「じゃあね。ま、どうせすぐ来るんだろうけど。」
そう言って近づいてあかねに握手を求める。
「ま、まあね………」
結衣に応え右手を差し出し握手した。これで緊張から開放されるはずだった。ところが、
「あ、新井さん?」
結衣が手を離さない。振りほどこうにも力不足だ。
「あかねちゃん………ミューズの他に誰かと戦ったんじゃない?」
目つきが変わる。
凍り付きそうな冷ややかな視線が降り注ぐ。
「え?あ、ああ………うん、あのツンとした新井さんとこの女の子………え〜と………」
「………景子?」
「うん。そう、その景子ちゃんとさっき………」
「ふうん…………そう。あかねちゃんてさ………隠すの得意だよねぇ…………」
「隠すだなんて…………ごめんね、そんなつもりはなかったの。」
「………………で?」
「え?」
「後は誰と戦ったの?」
「だ、誰って…………後は誰とも戦ったないけど………」
言った途端、結衣が力いっぱい握って来た。
「きゃっ………あ、新井さん、痛い…………」
「なら質問変えるわ。千明お姉様と会わなかった?」
あかねの心臓が再び騒ぎ立てる。危険だ。結衣は知ってると。
(でも………ううん。ハッタリよ。だって私何も千明さんの事言ってないし。大丈夫、落ち着いて。)
そんなあかねの想いは虚しく砕かれる。
「あ、会ってないよ。どうしちゃったの?千明さんがどうかした?」
「………がっかりだな。あかねちゃんがこんなに性格悪かったなんて。ミューズより悪質よ。」
「何を言って………」
「会ってるわよね?千明お姉様に。それもかなり近い距離で。」
「痛いよ…………新井さん………!」
更に強く握る。気のせいか、みしみしと骨がきしむ音が聞こえる。
「なんで隠すの?ちゃんと言わないと骨………折るよ?」
結衣は二面性を持っている。
普段の無邪気さとは裏腹な残酷な一面があるのを。
あかねは以前、水城あさみにロストソウルを突き付ける結衣を見ている。
「言いなさいよ。」
「ごめんなさい………千明さんと会ったわ。お願い………手を離して………」
悲痛に応え手を離す。
あかねは右手を抱えながら座り込む。
「どうしてわかったの?千明さんと私が会った事………」
「わかるわよ。あかねちゃんから千明お姉様の香水の匂いがしたもの。」
「香水…………?」
「千明お姉様の香水は独特な香りでね、変な話、ゴミの中にあっても識別出来るくらい綺麗な香りがするの。でも千明お姉様は周りが不快になるほどは付けないのよ。だからあかねちゃんも匂いが移ってるのがわからなかったのよ。」
得意気に語ってはいるが、あかねはこれから起こる事に警戒しなければならなくなった。
ごまかしは通用しない。真実を知った結衣がどんな行動に出るのか………。
じんじんする感覚と、刺すような痛みが右手にある。折れてはいないまでも、ヒビは入ってるだろう。
「千明お姉様は…………」
結衣が言いかけた瞬間、左手にミクソリデアンソードを具現化して空を斬る。
小さな真空波が結衣の左頬を傷つけた。
「………………なんの真似?」
「ごめんなさい。私………千明さんを…………」
あかねが全てを言わずとも察しがついた。
「…………殺したの?」
「だって………殺らなきゃ私が殺られてた………。」
「かわいい顔して嘘はつくし、人は殺すし………最悪の女ね。」
結衣の両手にロストソウルが握られた。
「許せないっ!!殺してやるわ。お前なんか殺してやるっ!!」
涙を流したまま飛び掛かって来た。
あかねが一番恐れてた事態が起きてしまった。
口に入れたキャンディのように、溶けて無くなるまでお友達でいられはしない。いつかこの瞬間が来てしまう事は覚悟していた。結局最後は、自分の意思とは無関係に噛み砕く事になってしまうのだと。