第五十四章 心の闇 〜器〜
「変なの〜那奈ちゃんの絵。太陽は真っ赤なのになんで青いの?」
「那奈………ちゃんとした絵を描きなさい。下手じゃないんだからもうちょっと考えなさい。」
「芸術家気取るのもたいがいにしろ。」
「生半可に上手いからこんな絵を描きたがるんだよな。」
私が散々言われた言葉。どれだけ傷つけられただろう。
絵って見たまま描くのもありだけど、どうせなら感性に委ねてみたい。私はそう思ってた。
でも世間は私を変人扱いした。
ある時なんか、近所の女の子の絵を描き、その背中に羽を描いた。天使に見えたから描いただけなのに、その日の夕方にうちに乗り込んで来て、
「うちの子は死んだって事!?」
なんて意味不明なクレームをつけられた。
幼い頃からそんな事の繰り返し。時には絵画セットを捨てられた事もあった。
「那奈、大学どこにするか決めたの?」
高校三年の夏に母が聞いて来た。
「まさか美大なんて言わないでしょうね?やめてよ、美大なんて何の役にも立たない。」
部活も美術部には入部させてくれなかったし、予想はしてた。
「私、大学へは行かない。」
「那奈!」
「高校を卒業したら美術関係の仕事に就くつもりだから。」
「またふざけた事を!許しません!!」
「許さなくていいわよ。勝手に出ていくから。」
王道とも言うべきパターンで横っ面を叩かれた。
「生意気な子!誰に似たのかしら!」
ヒステリックな母を見てるから私はヒスを起こさない。
「貴女の子であるのは間違いないんじゃない?」
「変な絵を描くしか能がないくせに!」
これが母親が娘に言うのだから呆れてしまう。
「変な絵で結構。わかる人にはわかるのよ。」
「恥さらし!」
私の足が止まる。何か退いてはいけない気がして。
「一円にもならない事して。ほんとやだ。」
私の中で触れてはならないところに触れられたと確信した。
「嫌なら今すぐ出てってやるわよ。母親らしい事もした事ない人に言われたくないわ!」
「出ていきなさい!あんたの顔なんて見たくない!」
望み通り私は家を出た。アルバイトで貯めた僅かなお金を手にして。
一週間も経てば捜索願いでも出されるかと思ってた。結果はなんと、知らない間に学校に退学届けが出されていた。
それを知ったのは友達から。
あまりにショックで頭が真っ白になったのを覚えている。
そんな親のところに帰るつもりもなく、一人で生きて行く事を決めた日だった。
それからはどん底。夏はまだいい。でも冬はきつかった。未成年の私が保護者の許可なく働けるところもなく、行き着いた先はホームレス。その生活は六年続いた。でも、相変わらず絵は描いてた。僅かに得たお金があれば、迷わず画用紙と鉛筆を買った。
それからまた月日が過ぎたある日、私が河原で風景画を描いていると、
「今日は晴れてるのに空が黒いのはどうしてだい?」
見るからにプレイボーイな男が後ろにいた。
みすぼらしい私に何の用だろう?
「…………空が…………病気だから………」
無視も出来たけど、何となく答えてしまった。どうせバカにされるのに。
「空が病気か…………確かにそうだな。病んでる。何十億という人間がいるのに、誰もその事実と向き合わない。今日は青い空も、明日は黒いかもしれん。君はそれに気付いたのか。」
男は空を見上げて思いに耽っている。
「絵…………好きなのか?」
思わず目が合って慌てて反らした。初めて女を自覚した。
シャワーさえ浴びてないのに、異性がすぐ目の前にいる。心臓が飛び出す勢いだ。
「好き……かな……」
「そうか、君名前は?」
「な、那奈………岩瀬那奈。」
「那奈か。俺はヴァルゼ・アーク。よろしく。」
変な名前だとは思いながらも差し出された手を握る。
…………処女危うし。
「そんなに絵が好きなら、仕事を斡旋してやろうか?見たところあんまり褒められる生活はしてないみたいだし。」
うう………軽く片目を閉じる仕草にクラクラする。
「でも……………身元を保証してくれる人がいないし……」
「心配はいらない。俺がなるよ。」
売られるのかと思ったけど、18から26までこんな生活してるんだ、甘い話を甘い男にされたら乗らないわけがない。
「い、いいんですか?」
「ああ。君にしか出来ない仕事だ。」
あれから半年、私は美術館の館長をしている。希望も無かった生活から一変、今は毎日が充実している。
「やあ。」
声をかけて来たのは、私をどん底から助けてくれたプレイボーイさんだった。
「ヴァルゼ・アークさん!お久しぶりです!」
私の胸が弾んだ。
「どうなさったんですか?」
多分、私は少女のような顔をしていただろう。
「今日は君に頼みがあって来た。」
深刻な目つきがまた惚れ惚れする。
「何でも言っておっしゃって下さい。貴方には恩があります。私に出来る事ならなんでもします。」
「ありがとう。実は………」
彼の口から聞いた事があまりに突飛していたので、信じるまでに時間はかかった。
「那奈が俺のところに来てくれるのを待ってるよ。」
そう言って立ち去った。
話を戻すと、彼は私に悪魔になれと言う。その為に必要だという黒い石を渡されて。
どういう意味で悪魔になれと言ったのだろうか?その真意はすぐに知る事となる。
私は闇の中にいた。確かまだ勤務中だったはずだが?
「お前が私の転生先か。まずまずだな。」
高飛車な女の声だけが辺りに轟く。
「誰?」
「私は魔王アドラメレク。」
「魔王……アドラメレク?」
「そうだ。お前が望むのなら私の記憶と力、全て与えよう。」
なんだか話が見えて来ない。
「お前はただ頷くだけでいい。」
「ちょっと待って。何がなんだかわからないわ。」
「わかる必要はない。」
「魔王だかなんだか知らないけどなんでそんなにエラソーなわけ?」
「お前はヴァルゼ・アーク様に恩があるのだろう?ヴァルゼ・アーク様はお前を選んだ。恩に報いる時ではないか。」
それはそうだけど………
「悪いようにはしない。」
「…………………わかった。」
あの人は私にとって神様だ。彼に出会わなければ、一生ホームレスだったのだから。
「それでいい。今日から私とお前は一心同体。生きるも死ぬも一緒だ。」
アドラメレクが言うと、目が眩むほどの光に包まれ、知らない場所にいた。
「ここは…………?」
赤いカーペットがあって、キャンドルも何本も立って神秘的な雰囲気だ。
「来てくれたか。」
「ヴァルゼ・アーク様………」
一瞬、フラッシュバックする。私の記憶じゃない………これは…………アドラメレクの?
「うっ…………」
頭が痛い。
「大丈夫だ。すぐに慣れる。」
ヴァルゼ・アーク様が座っていた大きな椅子。玉座か。神様には相応しいその玉座から降りて来て私の肩に手を乗せた。
「私…………」
厳密に言えば思い出すという行為とは違う現象がまだ続く。
「那奈、お前の感性は素晴らしい。その感性、俺の為に使ってくれるな?」
そんなに見つめなくても答えは決まってる。
「喜んで。」
頭痛に苦しむ私を、知らない女達が………いや、知ってる…………説明出来ないけど知ってる。彼女達が私を介抱してくれる。
「大丈夫?」
優しそうな女………ベルゼブブが微笑む。
「あ、ありがとう………大丈夫よ。」
ホッとする感情が込み上げる。
「誰にも遠慮する事もない。自分の感性のまま生きればいい。」
人間とは思えぬ生活をして来た。そんな私の絵を一度見ただけで私を認めてくれた。感謝しなければならない。一生着いて行く。この人に。
「どこまでもお供しましょう。例え地獄にでも。」
人間に未練はない。