第五十章 心の闇 〜鏡の中の自分〜
女優という職業は私にとっては天職ね。型にハマるのが嫌いな私はいつも周囲の期待を裏切る演技をやってのける。もち、いい意味で。
私は妃山千明。暗黒王ベルフェゴール。
幼い頃は極貧に近いくらい貧しい家で育った。
父が経営していた工場が倒産、財産を全て処分しても返し切れない負債との同居生活だった。
洋服なんて新調してもらった事は一度足りともない。親戚のお下がりや、時には同級生のお古まで袖を通していたくらい。
正直死にたかった。
考えなくてもわかってくれるでしょ?どんなに惨めな事か。
そんな私だから、イジメの対象としては…………。
中学に入ってもうちの家計は変わらなかった。入学と同時に新聞配達を始め、授業が終われば近くの花屋でバイト。一応部活もやったけど、すぐに行かなくなったなあ。
中学最初の夏休みには昼間も花屋でバイトした。その時ね、今の事務所からスカウトされてモデルになり、思ったほどの収入じゃなかったけど世界が変わって楽しかった。生きててよかったと心の底から言えた。
高校に入る直前、映画の出演の話が舞い込みオファーを受けた。ちょい役だけどそういうのを熟し、女優になれれば家計を助けられる………そう思って。
それからは階段を昇るより楽に仕事が来た。一番嬉しかったのは化粧品のCM。汚い話、一番お金になって。
街中に私のポスター、雑誌の表紙、とにかく有名人なったと実感出来るくらい『妃山千明』がいた。夢心地…………ううん、それ以上。苦しかった日々が終わり、お金に不自由しない生活に切り替わった。成人しても相変わらず人気があって…………って自分で言う事じゃないわね。
でも………………。
「千明、明日の合コン人数たんなくてさ、あんたが来てくれると盛り上がるしすんごい助かるんだけど……」
「ごめん、明日仕事入ってる。」
「え〜〜そうなの?休め…………ないよね?」
「無理。」
「あ〜あ、向こうには妃山千明が来るって言っちゃったのに。」
そういうと、別に友達でもないその子は謝りもせずに立ち去った。
女優になり生活は楽になったけど、こんな事が毎日のように続いた。
私をイジメてた奴らみんなが手の平を返し、褒めたて、お世辞を言うようになった。
告白やラブレターも毎日。普通なら嬉しいのかもしんないけど、正直怒りしか感じなかった。
貧しかったうちを親戚は敬遠してたくせに、私が売れると否や、やれ法事だとか正月だとかイベントを運んでくれた。
有名人と親戚なのがよほど嬉しいようだった。
私は付き合いたくなかったが、人のいい両親はイベントある度に出席率を上げていた。
「千明ちゃん、サインもらえないかな?」
「写真一緒にお願い!」
ほとほと人間不信に陥った。
決定的だったのは、皮肉にも両親の言葉だった。
「千明、お前今日吉郎おじさんに会ったそうだな?」
珍しく無躾な顔の父を見た。
「ああ。なんかお金貸してくれって言われたんだけど、断った。」
パシンッと冴える音が響いた。
私の頬が熱く痛みを伴った。
父が私をぶった音だった。
「ちょっと待ってよ!いきなり何!?」
「吉郎はお前の叔父だろう?気持ちよく貸してやれなかったのか!?」
吉郎おじさんは父の弟。なるほど、貸してやんなかったから父にチクったのか。
「貸せるわけないじゃない。いくらだと思ってるわけ?三百万よ!三百万!」
「そのくらい持ってるじゃないか!散々世話になっておいて恩知らずな!」
刺し殺してやろうかと思ったくらい頭にきた。
母は私と父のやり取りを見てるだけ。よく言えば母は未だに父にLOVE。悪く言えばただのバカ。そういえば父の意見に反対してるとこ見た事ないな。
「世話になった?冗談じゃないわ!うちが生活に困ってる時、おじさんが何してくれたの?だいたいさ、この家も持っていかれなかったのだって私が稼いでるからでしょ?私が稼いだお金を誰に貸そうが貸すまいがお父さんに関係ないでしょ!!バカじゃない!」
間違った事は言ってない。
お金に固執してるわけでもない。本当にお世話になった人になら三百万くらい貸してやれる。でも吉郎おじさんには義理が発生しない。
「女優になった途端親に説教か?偉くなったもんだな。」
「いい加減目を冷ましたら?私が女優になって変わったんじゃないわ。周りが変わったんじゃない!挨拶さえしてもらえなかった人が急に挨拶したり、親戚間のイベントなんて呼ばれた事すらなかったのにしつこいくらい呼ばれて。誰も信用出来ないわ!」
無防備に誰かを信用して、利用されて…………そんなのはごめんだわ。
女優という職業は好き。憧れてたし、楽しいし。でも女優になったばっかりに失ったものもある。
人を信じられない事がどんなに辛いか………この人達にはわかんないでしょうね。
「なら出て行きなさい。」
母が言った。
「なんで私が出て行かなきゃならないの?」
昔からこの調子だ。
「お父さんだって一生懸命働いて来たのよ?不憫な思いはさせたかもしれないけど。なのに貴女はまるで自分がお姫様にでもなったような言い方して。一人で生きて行くお金はあるでしょう?」
夫バカだけど優しくてしたたかな母は尊敬もしてた。でももういい。結局はお金。貧しかった時の方が家族らしい家族でいられたなんて。
「最っ低!なら望み通り出てってやるわ!そのかわりもう二度助けてやらないから!!」
家を飛び出し、この日は一晩中街をさ迷ってた。そして………。
体調不良を理由に初めて仕事を休んだ。今日は雑誌の取材だけだったから行ってもよかったんだけど、気分がのらなくてね。
睡眠をとらず疲れてるはずなのに全然眠くなく、河川敷で少年野球を見てた。
私には暗い幼少期しかなかったから羨ましい。そんな目をしてたのかな?見知らぬ男が声をかけて来た。
「何かを手に入れれば何かを失う。例外はない。」
私を見ないで、少年達を見ながら男はそう言った。
「だとしたら怖くて何も望めないわね。失うものが最初からわかっていれば別だけど。」
暇だし付き合ってやる事にした。っていうか私だって気付いてないの?かなりの女優なんですけど。
「知ってるさ。だがな、どんなに有名な女優であっても、俺の前ではただの女だ。」
「…………!!」
びっくりした。なんなのコイツ………こんな事言われたのは初めてだ。
「人は裏切るものだ。それでも誰かを信じるのは人だからだ。」
「くす。面白い事言うじゃない。哲学者か何か?」
「フッ…………悪魔だ。」
「悪魔………ねぇ。」
口説かれてるのかと思ったんだけど違うみたい。アブナイ奴とも違うみたいだし…………何者?
「女優よりもっと楽しい世界をプレゼントしてやろうか?」
「あら、どんな世界かしら?」
海外もいろんなとこ行ったし、これと言ってやりたい事もない。だから何をプレゼントされても期待通りのスマイルさえ出ない。それでもよければどうぞ。
「これをやる。」
スマイルは出なかったが、目は点になった。
「…………石?」
黒光りする石を渡されただけだった。
悪いけどダイヤも持ってるし、今更石貰っても。
「強がって心の傷を隠すのもいいが、泣きたい時には声を上げて泣く事も必要だ。お前は『妃山千明』という鏡から出られなくしている。その石はお前に問うだろう。一生を鏡の中で過ごすか………別の生き方を見つけるか…………と。」
「…………ふうん。そんなに大層な石なら貰っておくわ。」
私が………強がってる?鏡から出られない?バカバカしい。私は誰にも依存しないだけ。
「また会える事を信じてるよ。」
そう言うと、なんと目の前で消えた。
「嘘…………………」
手品……?にしては『怪しくなさすぎる』。
寝不足って言ったって毎度の事だし…………幻覚じゃないか……。
不思議体験はまだ続いた。
立ちくらみがしたと思ったら、真っ暗な闇の中にいた。
確か外にいたはず。土と汗にまみれた少年達もいない。
わけもわからずいると、
「えらくいい女がいたものだな。」
脳みそがえぐられるような金切り声が響いた。
「うるさっ………。」
耳を塞いでみるも、効果のない防御策だとすぐに気付かされる。
「ケケケ。まあいい。お前名前なんて言うんだ?」
やたらとフレンドリーなコイツは、
「俺はベルフェゴールってんだ。暗黒王ベルフェゴール。」
そう名乗った。
「…………千明。妃山千明よ。」
これまた不思議と素直に答えてしまった。
「千明か。まあどうでもいいや。」
「は、はあ?ちょっと!あんた人に名前聞いといてなんて言い草なのっ!?」
「怒った顔も決まってるな。美人てのは得だ。ケケ」
「余計なお世話よ!なんでもいいけど用件をいいなさい!無いなら早く帰して!」
不思議体験をしているわりには冷静でいられる。疲れてイッちゃったかな?
「言われなくてもそうする。長々と話し込む時間は無いし、ヴァルゼ・アーク様は待つ事が嫌いだからな。」
ヴァルゼ・アーク…………多分私に話し掛けて来たあの男の名前であろう事は、想像に難しくなかった。
「千明、もっと自由に生きてみたくないか?」
「十分自由に生きてるけど?」
ヴァルゼ・アークって奴がが言っていた問い掛けが始まった。
「ケケケ。嘘だな。」
「なんであんたにわかるわけ?」
「わかる。お前は自分という役を演じてるのだろう?自分のあるべき姿なんてくだらない思想を持ってるばっかりに。」
「私が………自分を演じてる?」
「そうとも。お前はもっともっとも〜っと自由になれる。本当の自分になれる。」
なんだろ、この胸を叩く感じ…………コイツが言ってる事が図星なの?自分の気持ちがわからない。
「…………どうやったら自由になれるっての?」
「簡単。ケケケ、悪魔になればいい。」
悪魔?
「俺の記憶と力をお前にやる。それだけでお前は人間から悪魔になれる。」
胡散臭い話なのに………………なぜ私は拒否しないの?
いつも満たされる事はなかった。求めていたのか………非現実世界を。
「どうする?」
決まってる。
「なるわ。悪魔に。あんたの記憶も力ももらってあげる。」
「ケケケ、決まりだな。ただし条件がある。」
来た。悪魔から何かをもらうなら条件は必須だもの。
「ヴァルゼ・アーク様を頼む。」
「は?」
急にしおらしげな口調になった。
「あのお方は悲劇のお方。傍にいてやってくれ。」
「…………わかったわ。」
ベルフェゴールの頼みを断る気にはなれなかった。
「約束だ。」
目の前がパアッと明るくなり、ひんやりとした建物の中へと瞬間移動していた。
ベルフェゴールの記憶が微かにある。まだはっきりとはしてないが、なんか私の知らない世界の記憶が漂う。
変な感覚を抱いたまま建物の中を歩いて行くと、大きな扉があった。いかにも悪魔的なレリーフが施された扉を………開けた。
「お喋りベルフェゴールにしては早かったな。」
私に話し掛けて来た男が微笑んだ。
周りに何人かとヴァルゼ・アーク様の脇に女がいる。同じ悪魔だ。
「ヴァルゼ・アーク様、私を…………私を一人の女として見てくださいますか……?」
やっと気付いた。私は常に女優であろうとしていた。親戚も同級生も両親も、私を人間とも女ともみてくれてなかった。
事務所の連中だって商品くらいにしか思ってなかっただろう。薄々感づいてた事だ。
だから尚更………女優でなければならないと思っていた。
「二言はない。俺の前ではどんな女もただの女だ。」
今日何度目の不思議だろう。
愛したい。愛してもらいたい。初めての気持ちに燃えるくらい胸が熱い。
「身も心も、ヴァルゼ・アーク様に捧げます。生涯をかけて………」
膝まづき、忠誠を誓う。
「もう自分を偽る事も、鏡に映る自分を恐れる事もない。」
私は………暗黒王として生まれ変わった。