第四十三章 心の闇 〜闇に愛された女〜
私は宮野葵。22歳。魔王サタンを継ぎし者。医大生やってます。って言っても医者になる気は全くなく、無理矢理行かされたような一流大学へは親への義理で通ってるようなもの。
両親は私が大学を卒業したら実家を継いでくれると思ってるらしい。
実家は大病院を経営してて、私は外科医になるべく『訓練』されてきた。
小学校に上がる頃から………口外は出来ないけど長年手術に立ち会い、時にはメスを握らされた。
嫌だった。人の身体にまだ少女の私がメスを入れる。そんな事を両親は平気でさせて来たのだ。
しかし慣れとは怖いもので、中学校に入る頃にはそれなりの腕が身についていたっけ。
当然、今ではベテランの域にいる。同期の友人は天才とか言うけど、キャリアがあるんだから当たり前。
なんでそんな『訓練』をしてきたのかって?理由は単純明解。両親の病院は由緒あるってわけじゃなく、私の祖父が創立したもの。だから周りの病院から疎まれてたみたい。
それこそ由緒ある病院は、優秀な医者を金で買収して両親の病院へは就職しないように小細工してたみたい。
当時は無かった設備なんかも揃ってたうちの病院は、思いの外流行ったみたいで患者を独り占め状態に近かったとか。
そういうのが募ってよからぬ噂も立てられ、いつの間にか経営は苦しくなってた。
両親は腕のいい医者を雇う事が出来ず、それで私を徹底的に仕込んで将来を見据えたわけ。
知識は詰め込む事が出来るけど、経験だけは時間がかかるから子供のうちにって事だったみたい。バカバカしい。
「はい。」
午後の講義も終わり今日は家に帰るだけだったのに、携帯電話のディスプレイには『宮野中央病院』の文字が。何の用事かは見当がつく。
出たくなかったけど、出ないと出るまでかかってくるから出るしかない。
「もしもし?葵?」
人の携帯にかけてきていちいち本人確認しないでほしい。
「そうだけど。何?ママ。」
「貴女講義終わりでしょ?今からすぐ病院に来て。近くの工事現場で事故があって……とにかく手が回らないのよ。」
講義の時間まで把握してるんだから、娘としてはうざくてしょうがない。
「…………わかった。今行く。」
「お願いね。」
それだけ言うと乱雑に切られた。相当患者が運ばれて来たのだとわかる。
こういう事が最近多過ぎて面倒くさい。
気は進まない。トラウマってのとは違うのかもしんないけど、メスを持つと憂鬱になってしまう。だから手術の前には抗鬱剤を飲んでから挑む。
まだ医師免許持ってないのに。
私の努力(?)の甲斐があってか、経営も立ち直り評判もいい。もちろん私が執刀してるなんては言わない。あくまでも『誰か』の変わり。影武者ね。
病院での執刀の半分は私がやってる。院内でその事実を知ってるのはごく一部。ま、両親からお小遣いはふんだくってるけど。口止め料も兼ねてね。
「はぁ………面倒くさいなぁ。」
そう言いながらもタクシーを停め、行き先を躊躇なく告げるのだから私もかわいいところがある。
タクシーの中で運転手がいろいろ話して来た。
「医大生なんてすごいねえ。うちの娘もそのくらいの頭があったらなあ。」
代われるものならこっちからお願いしたい。
大体、娘さんがどんな人かは知らないけど、頭の良し悪しをぼやかれても半分は遺伝じゃないの?期待される方はいい迷惑なんだから。
「そうかい?期待されるってのは信頼されてる証じゃないか。いいと思うけどなあ。ところでお嬢ちゃんは内科?小児科?」
お嬢ちゃんっていうのは気に入らないけど、まあ答えてやるか。
「外科です。」
「外科ぁ?ふへぇ〜〜たまげたな。そんな可愛い顔して何かい?人様の身体にメス入れたりするのかい?」
メス入れなかったら何を入れるんだか聞いてやろうか?
「はい。メス入れたりしてま…………じゃなくてする予定です。」
危ない危ない。言っちゃうとこだった。
「人は見かけによらないもんだねえ。ま、嬢ちゃんみたいな可愛い先生なら切られて本望か。頑張っていいお医者になんなきゃダメだよ?」
「はい。頑張ります。」
こんなやり取りが15分近くも続いた。人柄のいい運転手さんだったけど、ほんっっっっっっっと、めんどくさかった。
ようやく解放されたと喜びたいけど、手術がある。
憂鬱になってるとママが現れた。
「葵、早くして!」
人の顔を見るなりこれだ。
「ママ、場所考えてよ。」
人の多いロビーで叫ぶもんだから冷や汗もんだ。
手術衣の恰好で早くしろなんて叫んだらいかにもって……………まあいいや。めんどくさい。
私は全ての準備を完了させ手術室に入った。
「来たね、大先生。」
男性医師の一人が私を冷やかした。
昔は後ろめたさもあったし、私の腕に嫉妬してるのかと勘繰って冷やかされるのが嫌だったけど、もう慣れた。
「状態の説明をお願いします。」
事務的に事を進める。
「はいよ。」
不謹慎にも苦笑して、その医師は説明をしてくれた。普通の医師ならお手上げだろうね。そんな状態だった。
「どうする?内臓破裂に、両足の切断は免れないと思うんだが?」
「問題ありません。上手く繋がるかどうかは確証はありませんが、切ってしまうより繋がる可能性に賭けましょう。内臓の裂傷についても問題ありません。全て私が繋げます。」
「そう言うと思ったよ。」
「少し長くなりますが、これよりオペを開始します。よろしくお願いします。」
4時間の格闘の末、無事オペは終了した。切断しなかった両足は多分繋がるだろう。長いリハビリは避けられないと思うけど。最後の手術には相応しかったかな。
その夜、私は決意を両親に話した。うん。お医者にはならないって。
「葵、下手な冗談はやめて。疲れてるのよ。」
「冗談じゃないわ。ママ。パパ。決めたの。」
今日オペをしててつくづく思った。私は犯罪を犯している。
医師免許を持たない私が人の身体をいじるなんてあってはならない。
今更かもしれないけどモチベーションも無い。
「ごめんなさい。でも気持ちは変わらないから。」
「勝手は許さん。お前は宮野家の跡取りだ、医者にならないでなんになる。」
出た。パパ得意の跡取り説教。
「私…………保母さんになりたい。」
かなりマジだったんだけど、二人は一回凍り付いてから笑い出した。
「何を言うかと思えば。お前が保母さん?馬鹿も休み休み言え。めんどくさがりなお前が子供の相手など務まるわけがないだろう?それに子供が好きだなんて初耳だぞ。」
「聞く気もなかったくせに。」
「なんだと?」
「私が将来何になりたいかなんて一度だって聞いた事ないじゃない。私がどんな趣味を持ってるとかひとつも興味なかったでしょ?物心ついた時にはいっつも手術室にいて、メスの使い方や人の切り方ばかり。もううんざりなの!」
親に反抗したのはおそらくこれが初めて。他に思い当たらないのは反抗期を堪能する余裕も我が人生にはなかったって事か。
私の声明を聞きパパの表情に暗雲が差し掛かる。
「何を言おうがお前には大学を出て、病院を継いでもらう。大体保母なんて仕事、満足な給料なんてもらえんじゃないか。どうせならもっと………」
「給料は関係ないでしょ!」
ちゃんと話をしてなかったのは…………私だったかも。
正直、絶望した。幼いながらも両親が死に物狂いで経営を立て直していたのを見てたから、私は心に傷を負いながらも必死に頑張って来た。
なのに…………。人の夢まで笑うなんて。馬鹿にするなんて。
「疲れてるのね。だからそんなわけのわからない事を。」
ママ……………私はママから産まれたのに、わかってくれないんだね。悲しいよ。
「もういい。私は家を出て一人で暮らします。大学も辞めて一から保母になる為の勉強するつもりだから。」
「駄目だ。」
「嫌。私はパパとママの為に手を汚した。本来なら医療って崇高であるべきなのに、私の手は汚された。病院だって利益も出てるんだから十分でしょ!?これ以上私を苦しめないで!」
パパの目が厳しい。
「駄目なものは駄目だ。」
「………………わかった。だったら、病院を告発します。」
「葵っ!」
ママがいち早く反応を見せた。でもパパは、
「そんな事をすればお前も終わりだ。強制的にやらせた私達の方が罪は重いかもしれんが、公になれば保母への道も閉ざされるぞ。」
「痛み分けならそれもしかたありません。」
親の言いなりになんてならない。私には私の道があるんだから。
「……………勝手にしろ。」
そう言い残しパパは書斎へ去って行った。
ママはテーブルに伏せて泣いている。
ごめんなさい。ママ……
翌日、パパは書斎で首を吊って、ママは寝室で睡眠薬を大量に飲んで………………死んでた。
二人が私に力を注いでたのは当然の如く感じてたけど、まさか命を絶つとは思わなかった。
なにより驚いたのは、私自身二人の死を悲しんでない事。
あられもない残骸を見た時、
弱い人達……………
そんな風にしか思えない自分がいた。
でも心にぽっかり穴は開いたね。尾を引く終わり方だったし。保母さんになりたい気持ちもどっかに行っちゃった。
やっぱりショックだったのかな。それなりにさ。
あれから一ヶ月。大学だけはまだ辞めないでいる私は、いつの間にかキャンパスにある綺麗に管理された芝生の上で読書するのが日課になっていた。
「難しそうな本だね。」
ひと時を邪魔するようにその人は現れた。
「ナンパはお断りで〜す。」
顔も見ないで意思を伝える。
「ははは。手厳しいな。」
言葉とは逆にまだ余裕が感じられる。だからナンパとか面倒くさいんだよね。
一回断ったくらいじゃめげてくれないから。一回は断られる事が前提だから仕方ないんだろうけど。
「何度誘っても無駄ですから。その気はありません。」
「ナンパをしに来たんじゃないんだ。」
「それじゃご用はなんですか?」
冷たくあしらってやる。ナンパ目的なら、むしろそうだと言ってもらったほうが気持ちがいいわ。
「ストレートに言おう。君が欲しい。」
「な………」
「闇を纏いながらも上手く共存している。人間にしておくには惜しい。」
「あの、おっしゃってる意味が………」
言い終える前に男は私に黒い石を差し出してきた。
「黙ってそれを受け取るんだ。」
見るからに高そうな雰囲気がある。黒いダイヤのようなその石は、
「悪魔の石。そう呼んでいる。」
…………だそうだ。
「いりません。貰う筋合いがありませんから。」
「いらないのなら捨てればいい。」
「いえ、そうではなくてですね…………」
「宮野葵。お前の力が必要なんだ。すぐにわかる。その石が教えてくれるさ。」
石を強引に私に渡すと男が消えた。目の前で。
「………………………。」
言葉など出るわけもなく、ただ口をぽっかり開けるという行為に身を委ねるしかなかった。
それにしても、後半のあのエラソーな態度はなんだったんだろうか?などと考える必要はなかった。我に返ると辺りは真っ暗闇。空も地面も。
「お前がヴァルゼ・アーク様のお選びになった女か。」
「誰!?」
どこからともなく声がする。
若い男の声。
不思議と怖くはない。なんでだろう?
「我が名はサタン。」
サタン?聖書なんかに出てくる悪魔の?
「そうだ。」
夢じゃない。息苦しくなるような威圧感が漂う。直感で『本物』だと感じてる。自分でもバカバカしいとは思うんだけど。
「私に何か?」
「………………なるほどな。この状況で臆しないのか。ヴァルゼ・アーク様が欲しがるわけだ。」
「ヴァルゼ・アークって………さっきの男?」
「そうだ。魔界の神にして我ら悪魔の頂点に君臨するお方。魔帝ヴァルゼ・アーク様だ。」
「魔帝ヴァルゼ・アーク…………聞いた事もないわ。悪魔の頂点ってルシファーじゃなかった?別名サタンっても言うんじゃ…………」
どこにいるかはわからないが、サタンを睨む。
「ヴァルゼ・アーク様は神々から恐れられ、その名を口にする事は奴らにとって不吉を意味する。人間が聞いた事がないのは当然だ。それと教えておいてやるが、聖書は天使が人間を味方につける為に賢者に書かせた偽典。嘘偽りの話だ。私とルシファーも別人だし、ヴァルゼ・アーク様の足元にも及ばん。
「へぇ。」
知的探究心の強い私は思わず唸ってしまう。
「で、そんな話を聞かせる為に私を闇に連れ込んだわけじゃないでしょう?」
興味、好奇心、そんな類いのものじゃない別の心がサタンに近づいて行く。
「クク……。私とお前とはどうやら相性がいいらしい。」
「さあ?どうかしら?」
「私を受け入れろ。私の記憶、力………人間には与えられない歴史の真実、知識。なにもかもくれてやる。」
ふうん。それは奮発したわね。
「見返りは何?悪魔がただで物をくれるわけないものね。」
「望みは一つ。ヴァルゼ・アーク様にその身を捧げる事。」
どうせ暇な身。面白いじゃない、心の穴を埋めるには調度いい。
「わかったわ。」
「それでいい。」
サタンの返事が終わるとフラッシュ現象が起きて目を閉じ、次に目を開けた時には見慣れぬ場所にいた。
開けろと言わんばかりに自己主張する大きな扉。
期待に応えてやろうじゃない。
取っ手を掴み、引く。
重鎮な存在と裏腹に軽い力で開ける事が出来た。
中はキャンドルが並んでて雰囲気は割と気に入った。
「ヴァルゼ・アーク…………様…………」
さっきの男が玉座に座っている。
「闇に選ばれし者よ、ようこそレリウーリアへ。」
身体が勝手にひざまづく。
「魔王サタン、ここに。」
「顔を上げろ。」
言われるままに顔を上げると、にっこり微笑まれた。
「よく来た。歓迎しよう。」
他にも悪魔がいる。
私の仲間だ。
「この身体も心も………全てヴァルゼ・アーク様に捧げます。」
これで私も悪魔の一員。