第四十二章 心の闇 〜灰色の花〜
「もう無理だろうな。」
「自業自得だろ。クスリなんかやっちまったんだから。」
「相当やってたんだって?」
「生ける屍だよ。社会復帰どころか、人としても終わりだな。」
「かわいそうに。クスリやる前の写真見たけど可愛かったな。もったいない。」
知らない男が二人、鉄格子の前で私の事を話してる。
朦朧とする意識の中、耳に入ってくる音と声だけが私を刺激する。
なのに……私の身体は何の反応もしない。病室のベッドに横たわり、ただ天井の染みを見つめていた。
病室って言っても鉄格子がある事自体まともな人が入る病院じゃないってのはわかる。
廃人。
人として生きる事はこれから先望めない人。
ドラッグをやって自分の身体をボロボロにした馬鹿な女。
批難されても構わない。
いっそ…………死ねたらいいのに。それも叶わない。
私は綾女はるか。22歳。高校の時、両親が離婚して私は父親についた。
離婚後、間もなくして父が女性を家に連れ込むようになり、私はあまり家に帰らなくなる。
たまに帰ってもその女性が我が物顔で住み着いていて、私の居場所は無かった。帰る度に喧嘩になって、そのうち全く帰らなくなる。
当然行き場所もなく、最初は友達ん家、次第に知らない男から金をふんだくってはクラブに通ってた。
後は想像に苦しくないと思う。そんな生活が今日まで続いて来たのだ。知らない間にいかがわしい奴らが近寄って来るようになり、そういう連中でも一人でいるよりマシだった私は、反社会的な道へ足を踏み入れる事を躊躇わなかった。
「何これ?」
私の前に出されたのは薄い緑色の粉。予想はついたけど、とりあえずしらを切った。
「パーティーをもっと楽しくしてくれる薬さ。」
ヒゲを生やしたラッパー風の男が言った。
「ええ〜〜、やばくない?」
楽しくはなれるかもしれない。でも犯罪だ。今更と言われても、怪しげなドラッグに手を出すのは抵抗があった。
「やばくねーって。マジ気持ちイイし。はるかもやれって。」
「い、いいよ私は………。興味ないし。」
この時がモラルの境界線だったのかも。手を出せばなにもかも終わる気がしてた。
「いいからやれって!みんなやってんだよ、仲間だろう?それとも回されて埋められてーのか?」
脅しじゃない。この連中ならそういう事を平気でやる。
逃げる勇気もなく、成り行きのまま……最初は軽い気持ちだったの。一回くらいならって。
「…………どうやんの?」
「へへ。そうこなくっちゃな。ほら、これでおもいっきり吸えばいいんだよ。鼻からな。片方は指で塞ぐんだ。俺が手本見せてやるよ。」
そう言うと、ストローを取り出し鼻から吸い出した。
「ふぅ〜。やっぱ最高だぜ……」
目がイッてる。そんなにすぐ効くものなのか、半信半疑で私も真似た。
「……………あぁ………」
一回。たった一回が、私をクスリ漬けにしていく。
とにかく気持ちがよく、全身が快楽に満ちた充足感。無駄にテンションが上がって来る。
「ねぇ………もっと無いの……?」
そして私は、ベッドに横たわる今へと至る。
クスリをやり過ぎ、骨も内臓もボロボロ。体重は落ち、手足を動かす事も不可能。迷惑な事に、心臓だけは逞しく動いてる。
「ほんとによろしいんですね?」
「ああ。もう決めたんだ。変更はない。」
今度は女とさっきとは別の男の声がする。視線を感じる。多分私を見てる。
「………聞こえるか?俺の声が。」
話かけられても答えられないんだって。何の用なの?
「言葉で返さなくていい。頭の中で思うだけで俺達には伝わる。」
……………私の考えてる事がわかるって?嘘でしょ?
「嘘じゃないわ。」
女が答えた。信じられないけど本当らしい。私の思ってる事が不可解な意思伝達方法で伝わってる。
「綾女はるか。その若さで廃人なんて………バカな子ね。」
「誰も望んで廃人なんかにならないさ。そうだろ?はるか。」
私を否定する女。そして馴れ馴れしくファーストネームを口にする男。一体何者?まだクスリが切れないの?幻聴?大体どうやって入って来たのよ?すんごい近くにいるみたいだけど…………鉄格子が開く音なんてした?
「今の貴女には何を話してもムダなようね。」
何なの、この女。頭に来る事さらっと言ってくれるじゃない。
「その元気があるようだと、廃人までは行ってないか。いいだろう、ごちゃごちゃ言ってても始まらん。論より証拠だ、お前にこれを渡そう。」
男が私の手に丸い何かを握らせた。
「よく聞きなさい、それは悪魔の石というもの。これからその石が貴女に選択を迫るでしょう。」
洗濯?
「……………選ぶ選ばないの選択よ。下手なギャグはいらないわ。」
ギャグじゃないもん。てゆうかそんなにムキになんなくったっていいじゃん。ひょっとして堅物女?
「あ、あのねぇ…………」
「まあ落ち着け。いきなり押しかけたのは俺達だ。警戒されてもしょうがないさ。俺が説明するよ。」
表情は見れないけど、女がむくれてるのがわかる。
「いいか、はるか。悪魔の石は生か死か……どちらかを迫る。生を望めばお前は廃人から立ち直る事が出来るが、人間としては生きられない。その石の名のように悪魔として生きる事になる。」
悪魔ぁ?何言ってんの?
「そして、死を選べばお前は廃人として存在する事も許されない。お前は死に、人々の記憶にすら残らず消え失せる。」
………………………。
「お前が俺達の仲間になる事を信じて待ってるよ。廃人なんかじゃない本当の綾女はるかをな。」
目の前にぼんやりと何かが現れた。
「生きて戻って来い。お前の居場所はレリウーリアだ。」
レリウーリアが何か聞く前に、ぼんやりしたものが私に近づいて…………キスされた。
キスなんて初めてじゃないけど………なんだか優しくて、触れただけなのに熱かった。
もう一度したい。そんなキスは初めてだった。
キスの余韻からふと感覚を戻すとそこに二人の気配はなく、程なく闇に落ちた。そこで機械めいた声が私に会話を求めて来た。
「綾女はるか……………ヴァルゼ・アーク様が選んだ新たな私………」
誰?
「私は破壊神アスモデウス。神でありながら悪魔になった者。」
悪魔…………そう………生か死か…………選んだった。
「生を望むなら私の記憶と力。その全てをお前にやろう。」
記憶と…………力?
「だが死を望むなら、お前を産んだ母親ですらお前の存在を忘れてしまう忘却の底へ堕ちるだろう。誰もお前を思い出さない。肯定はおろか、否定すらされない。もっとも、廃人同然のお前には忘却すら苦にはならんか。」
冗談じゃない。22年も生きて来たのよ!苦しんで………苦しんで………苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで!!嫌っ!忘れられてたまりますかっ!
「フッ………身体は弱っても心にはまだ火が燈ってるようだな。」
生きるっ!!悪魔だろうがなんだろうが、生きて私という存在を忘れさせない!!
「気に入った。破壊神の力、渡すに相応しい。」
闇に穴を開けて光が射し込む。
光は私を照らす。
「破壊の責任………任せたぞ。」
ふわっと身体が軽くなり一瞬の目眩の後、気がつくと知らない場所にいた。
「あ……………私………」
身体が動く。痩せ枯れたジャンキーの身体じゃない。張りのあるツヤツヤの肌。
私の身体だ。
なんだかよくわからないまま、正面にある変な模様の描かれた扉を開けた。
重い音が緊張を煽る。
中は薄暗く、赤いカーペットが敷かれててその両脇にキャンドルが等間隔で並んでいた。
カーペットの先に大きな玉座があり男が座っている。かなりのイケメン。その脇に冷たい表情の女。でも凄く綺麗な女。病室にいた二人だというのはすぐわかった。
「ヴァルゼ・アーク様………」
「それがお前の本当の姿なんだな。」
にこりと笑ってくれた。破壊神の記憶が私の主である事を教えてくれた。
「はい。今日、たった今、この瞬間より私綾女はるか、破壊神としてヴァルゼ・アーク様にお仕えします。」
よ〜く見ると、キャンドルの向こう側にも何人か人がいる。いや、悪魔か。
「破壊は新たなものを生む為に必要な力。すなわち、俺達にも無くてなはならない力だ。」
「この身も心も、全てヴァルゼ・アーク様の想うがままに。」
私が人を捨てた瞬間だった。
「あのぅ………一つだけお願いが…………」
「なんだ?」
私が何を言い出すのか興味があるのか、じっと見られている。
なら遠慮なく言っちゃうまでよ。
「キスして下さい!」
そう叫んだら、周りがどよめいた。ヴァルゼ・アーク様も口をぽかんと開けている。
「な、な、何を言い出すのかと思えば!ダメに決まってんじゃん!!」
この時は知らなかったけど、真っ先にムキになったのはローサちゃん。
「新人のくせに図々しい!冗談はおやめあそばせ!!」
これは純ちゃん。
「だってもう一度キスしたいなんて思った男性、ヴァルゼ・アーク様だけなんだもん!」
飛び出そうとしたらがんじがらめに制止された。
「うぬぬぬ……負けるものか……もっかいキスを………」
表情の冷たい女も頬が引き攣っている。
「元気があるのは何より……」
ヴァルゼ・アーク様が呟くと、表情の冷たい女がキッと睨んでた。
それを受けて小さくなるヴァルゼ・アーク様が可愛かった。
私だけみたい。悪魔になって早々にこんな行動をとったのは。
私の居場所。やっと見つけた。