第三十九章 アンバランス
「ねぇ、景子いないんだけど?どこ行ったの?」
はるかが景子がいない事に気付いた。
「ほんとだ。いないね。お〜い!景子ちゃ〜ん!」
葵が声を出して呼んでみるが応答はない。
全員が足を止め来た道を振り返るも、水面に波一つ立たないように静かだ。
「まさか………敵に襲われたとか…………」
「それはないわよ。私達に気付かれず景子だけ連れ去るなんて。」
那奈の不安は的中しない事を愛子が言う。
屋敷で由利との会話を聞かれたかもしれない。聞いていただろう。あの会話だけから真相を見抜くのは困難だが、あの時の景子の様子は…………
(………勘がいいから……あの子。)
愛子には確信がある。景子は自らの意志で自分達からな離れたのだと。
「何考え込んでるの?」
千明が顔を覗き込んできた。
「ううん。なんでもない。景子の事はほっときましょう。」
愛子が言うと、みんな頷く。
景子一人に時間は費やせない。どうでもいいわけじゃないけが、勝手に行動してるだろう者に甘い顔は出来ない。レリウーリアの掟だ。
掟とは言っても、ヴァルゼ・アークが決めたわけでもなければ由利が決めたわけでもない。これは彼女達が自分達で決めたもの。誰が言い出しっぺだったかは定かではないが、いくつかあるレリウーリアの掟………と言うよりは決まり事である。その決まり事を破る事は許されない。
ヴァルゼ・アークと由利から言わせれば、「難儀な事を……」と「貴女達がそうしたいのなら……」だそうだ。
「待って!」
不意に絵里が叫び、
「来たわよ。神様が。」
と続けた。
高い天井に靄がかかったような怪しげな物体が現れ、次第に人の形を成す。
人の形を成したそれは、明確な存在感を示すまで差ほど時間はかからなかった。
「軍神………アレス!!」
千明の背中に汗が落ちる。
「悪魔も随分華やかになったものだな。」
白く短い髪に青い瞳。軍神の名に恥じない筋肉質な肉体。
一切の武器をも通さない肉体を守るように、自前の髪と同じ真っ白な鎧を纏っている。
しかしながら、腰には軍神からは想像もつかない細く長い剣を携えている。
「これまた会いたくない奴が出て来たもんね……」
「ご挨拶だな。その気配は………サタンか。」
葵は肩をすくめ、
「ほうら、みんなはさっさと行って。こいつは私が面倒見るから。」
「わかった。気をつけてね、戦いの実力は神族の中でも一番よ。」
那奈が葵を見ずに言った。
その後で愛子と視線をかわして互いに頷いた。
「副司令のところまで突っ走るわよ!」
那奈が走ると、純を残して来たように全員走り出した。
「俺をたった一人で相手するのか。見上げた根性だ。」
「大きなお世話。ダイダロスの手下に成り下がった人に言われたくないねっ。」
「フハハハ。俺がダイダロスの手下になっただと?」
「違うの?」
「俺が奴に手を貸すのは、俺にもまた事情があるからだ。利害関係が一致すれば相手が例え貴様達でも協力するさ。力だけで戦場は生き抜けん。自分を利用させるように見せ掛けて、自分も相手を利用する。戦略に際限はない。緻密な戦略があってこそ勝利を収められる。俺が軍神と呼ばれるのは、力だけで勝利を勝ち取るわけではないからだ。」
「別にあんたの事なんてどうでもいいんだけどぉ。なんつーのかなぁ、面倒臭いんだよ。殺るなら早く殺ろうよ。」
葵がマスカレイドを抜いて、手元でくるくると器用に回転させ片手で下段に構える。
「女と言えど魔王。相手にとって不足はない。」
鞘から刃のこすれる音と共に刀のような剣を抜く。西洋剣の幅を狭くしたような剣は、ギラリと鋭い光を放った。
アレスを葵に任せてから少し行ったところで、急にはるかが立ち止まる。
前を走っていた絵里がそれに気付いた。
「はるか?」
合わせて愛子達も立ち止まる。
「…………ごめん、私やっぱり戻る。」
やっぱりと言うことは何やら考え事をしていたように思える。
「何よ急に。」
つっけんどんに絵里が返す。
はるかが何を言ってるのかわからないからだ。
「葵ちゃん一人じゃアレスには勝てないよ。だから私も加勢してくる。」
「はるか…………」
絵里は自分を責めた。ローサの仇を討ちたい。それしか頭になかった。今を戦ってる仲間の事を忘れていた。
なんとかなる相手かどうかなんてわかりきった事なのに。
愛子も千明も那奈も、はるかに言われ己を恥じた。
「お願い!行かせて!」
美咲も助けたいが、葵に万が一があっては元も子もない。
「くすくす。止める理由はないわ。その変わり、必ず勝って来なさい。アレス一人にレリウーリアが二人掛かりなんだから、負けたなんて話にならないわよ?」
「千明ちゃん……ありがとう。」
「礼を言う必要はないわ。くすくす。正々堂々なんて悪魔には似合わないものね。」
千明に異論を唱える者はいない。
はるかは来た道を引き返す。
「私達は先を急ぎましょう。」
そして再び那奈が促す。
「生きて………生きて戻れるわよね、私達………」
珍しく絵里が弱気になる。
「生きて戻っても、総帥は全てを終わらせるつもりよ?ここで死んでも同じだけど、でも…………総帥が野望を叶えるところ、見てみたいわよね。」
愛子は同意を求めたわけじゃない。気持ちはみんな同じ。自分達を救ってくれたヴァルゼ・アークに最後の最後まで尽くすだけ。身も心も捧げると誓ったのだから。
「全てを終わらせる前に頑張ったご褒美はもらわないとねぇ。くすくす。」
意味ありげに千明が笑った。
「千明はHだから。」
絵里も意味深に笑う。
「あら、私は変な意味で言ったわけじゃないわよ?絵里こそ、良からぬ想像はおやめなさい。」
いつもならここで喧嘩になるところだが、今回は二人とも笑って済ませた。きっとまた喧嘩出来る日は来るだろうから。
「どっちもどっちよ。」
肩をすくめて苦笑いを浮かべたのは愛子だった。
「そんな事言って一番Hなのって、愛子じゃないの?」
那奈に冷やかされ真っ赤になる。
「ば、ばかじゃないの!みんな一緒でしょ!」
「それって認めたって事かい?」
絵里も冷やかす。
しどろもどろの愛子を尻目に三人は走り出した。
「ま、待ってよ!」
人として生きる事に絶望し、人に絶望していた日々。ヴァルゼ・アークに救われなければ自ら命を絶っていただろう。悪魔になって後悔はないはずだった。
そんな彼女達が、今は人として生きる事を望んでいる。
彼女達のやり取りを、ダイダロスは不気味な笑みを浮かべ黙って聞いていた。