第三十八章 ワンダフルボイス
「一人か?」
唐突に私に向かって総帥はそう言った。
私はただ黙って頷く。
「やれやれ……参ったな……」
総帥は頭を掻きながらため息を漏らした。
悪魔に生まれ変わってまだ一週間。あの頃の私はまだ総帥に『慣れて』いなかった。
話し掛けられれば緊張したし、大人の男に対して免疫があったわけでもなく、ましてや魔帝。シュミハザの記憶を手にした私には、『総帥』と呼ばれる彼がどんな人物か知ってしまっていたからだ。
なにより、知らず知らず無意識に語尾に『なのです』を付けてしまうので、恥ずかしくて話せなかった。
「由利まで出掛けたみたいだし………屋敷には俺と景子だけか。」
どうやら腹が減ってるらしい。
総帥の腹が鳴いた。
「…………景子、お前メシ作れるか?」
今思えば、総帥のこの言葉にどうしてあんなに照れたのか。
私は顔を紅潮させ、煙りを噴いた。多分。
作れないわけじゃなかったけど、総帥の口に合うかは甚だ疑問で返答に困っていると、
「はは〜ん。作れないわけじゃなさそうだな?」
少年のような笑みを見せる。
私もだけど、お姉様達も総帥のこの笑みが好きなのだ。
何をやっても様になる彼だが、屈託のないこの笑顔は反則だ。勝てる女性などいないと思う。
「ようし………一緒に作るか!」
「!!」
「作れ」と言われるかと思ってたら、まさか共同作業とは……。
緊張のあまり慌てて首を振りまくるも、
「心配するな。俺がいる。」
普段なら頼もしく聞こえるはずの言葉も、この時ばかりは疑惑に満ちていた。
まず何を作るかというところから入った。結構な設備の自前の厨房にある、ステンレスで出来た業務用冷蔵庫。その中を総帥が覗き、後ろから私も覗いた。
「…………まいったな。」
同感。冷蔵庫の中は肉、野菜、果物、なんでも揃ってた。総帥は料理の経験がないのがわかる。これだけの材料があるにも関わらず、「まいった」と言った。要するに、何を作ればいいか定まらないんだ。心配するなってのは聞かなかった事にしておこう。
「昼飯にステーキってのも重いよなあ……」
分厚い高級ステーキ肉を手にして呟いた。高級ステーキ肉は、純さんが取り寄せたものだ。お嬢様の純さんは、肉は口の中でとろけるものと言い張って聞かない。
初めて会ってそれを聞いた時、びっくりしたのを覚えている。
レリウーリアはとにかく個性派揃いだ。自分の殻に閉じこもってた私には刺激が強すぎた。
でも、嫌いじゃない。私はお姉様とは呼ばないけど、わかりやすいから言うだけで、お姉様達は優しいし面白い。
司令は厳しい人だけど間違った事は言わない。
副司令の美咲さんは、知能指数が高く頭がいい。
那奈さんはちょっと口の軽いところもあるけれど、物知りでいろんな事を教えてくれる。
愛子さんは穏やかで日だまりのような人で、非常に聞き上手で信頼がおける。たまに凶暴な人格にさえならなければ。
千明さん。職業が女優だけあって、肌のお手入れだとか化粧品にはうるさい。新しいのを買って来ては私で試し塗りをする。妖艶な雰囲気がよく似合う女性というのが第一印象だった。
純さん。彼女は根っこからお嬢様だからわがままで困る。下着は一度着たものは捨てるというのだから、どれだけ裕福に暮らして来たのかよくわかる。
葵さんは読書が好きらしく、どこに行くにもハードカバーの本を抱えている。面倒くさがりがたまに傷だけど。
ローサさんは常に総帥の近くにいたがる。エスプレッソが大好きで、和室の部屋にはエスプレッソメーカーがいっぱい置いてある。総帥を一番愛してると口癖のように言う。………ダイダロスに殺されてしまったけど。
はるかさんは、天真爛漫で明るい人。レリウーリアのムードメーカーだ。ただ落ち込むととことん落ち込む。良くも悪くもわかりやすい。
絵里さん。いっつもローサさんと喧嘩してた。皮肉屋で口は悪いけど、優しさに溢れた人。
翔子さんはメイド衣装がお気に入りで、それ以外の私服を見た事は一度もない。
結衣さんはお姉様達が大好きで、お風呂まで一緒に入る始末だ。私とは歳も二つしか違わないのだが、美人で賢く、大人びている。
これだけ個性の強い女性の集まりをまとめ上げる総帥が料理に苦戦するのだから可愛い。
「単純にオムライスで行くか。」
そのくらいなら私にも作れる。
私は頷くとすぐに冷凍庫に保存されたご飯を取り出した。
「ふふん。楽しくなってきたな。景子、お前はガーリックライスを。俺はスープとサラダを作る。これは任務だ。心してかかれ!」
総帥の掛け声に思わず敬礼してしまったっけ。
今でも忘れられないくらい一番の総帥との思い出。初恋の瞬間だった。
二人で挑んだオムライス。そう、確かオムライスを作ってるんじゃなかったっけ?
5分後には厨房はえらいことになってた。
玉子はひっくり返すし皿は割るし。総帥も、何を入れたのかは知らないけど、スープを作る予定の寸胴の中が紫色に染まってた。
「ううむ………なんでこんな色になったんだ?」
首をひねって考え込んでるけど、それは私が聞きたい。
私も、緊張が解けず、失態の連続だった。
結局、生卵をかけてご飯を食べた。汚れた互いの顔を見ながら気まずいムードに包まれていた。
「俺達もしかして似た者同士か?」
ジョークをかます総帥の顔に見惚れてしまう。
「………かも……なのです。」
私は慌てて口を塞いだ。
笑われたら嫌だから。
でも総帥は、
「気にする事はない。俺はお前のその口癖、好きだぞ。なんて言うか………安心するんだ。だから恥ずかしがらなくていい。」
「はい……なのです。」
照れて返事をした私の頭を、大きな手で撫でてくれた。優しく、ゆっくりと。
もう少し………せめて成人と呼ばれる歳になっていたなら、総帥は私を女として見てくれたのだろうか?
不死鳥族と戦う時、制限されていた私達の力を解放する為、みんなに口づけをした。
でも………でもでも、私だけは額にキスをされた。
どうして私だけ?
聞きたかったけど聞くわけにもいかなかった。
あの後は、司令が帰って来てにたっぷり怒られた。もちろん総帥も。
二人で厨房の掃除を夜遅くまでやったっけ。
途中、「特訓だ!」とか言って、モップでチャンバラ紛いの事をしてもっと怒られた。
だけど……楽しかった。
「吉澤あかね………絶対に殺してやるのです……」
屈辱は返さなければ。
私は再び戦場へと歩み出した。
ヴァルゼ・アーク様の野望を叶える為。
ねぇ……総帥。総帥の野望が叶って宇宙が無に還り、また生まれたら……私達も生まれ変われる?
もし生まれ変わる事が出来たら、私いっぱい努力してお姉様達に負けないくらい綺麗になって総帥に会いに行くから……そしたら、たった一言でいいから聞きたい言葉があるの。
「綺麗になったな」って。
そう言って、今度はちゃんとキスしてね。額じゃなくて、私の唇に。
それまで……私、我慢するから………………。
いい子で待つから………。
約束してね。私の愛しい人…………………………。