第三十五章 I'm shadow
ルシファー………戸川純に食い下がる始末になるとは思ってなかった。
ヘラの攻撃を受け純自身も傷を負っていて、ヘラの方は体力を消耗して足元がおぼつかない。
「ちょこまかと……!」
神とは言え、若い時分とは違い身体能力は格段に落ちる。加えて、第六感と魔力に関しては冴え渡るのだが、そうであっても頼れる能力が『嗅覚』という屈辱感を味わう結果に終わっている。
純が動く度に長い髪から香りが残る。
悲しいかな、神であるヘラが生物として逃れられない現象が理由で、視覚でも触覚でも純を追えない。生きていく上で、それほど重要としていなかった嗅覚に頼らざるを得ない皮肉が、ヘラの神経を擦り減らしていた。
「神様にも引退という制度を設けてはいかが?どの世界でも老人は世を嘆きながら死を待つもの。私の言ってる事がお分かりになられて?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れッ!!!老人だとっ!!?わらわは全知全能の神ゼウスの妻なるぞっ!!悪魔ごときが愚弄するなど………」
多分、純にはヘラがこう答える予想は出来ていた。
「ゼウスが偉大だというのはわかりますけど、貴女はその妻であるだけでしょう?それに、常に夫の浮気を心配しなければならないなんて、同じ女性としては目標にはならなくてよ?もっとご自分を大事になさいませ。」
「言わせておけば………!」
口で勝てないのも歳のせいか。
何を言っても若い純に勝てる気がしなかった。
だからヘラがした行動はただ一つ。四方八方に魔法を放ち、当たるもはっけ当たらぬもはっけといった、神が神頼みをするような奇跡を目の当たりにする事となる。
「最終的に勝るのが若さなら、誰しもが不老を求めたのも頷けるというものですわ。」
ヘラの攻撃をかわしながらぶつぶつと独り言を言う。
ここまで優位に立てるとも期待してなかっただけに、この状況は純の優位性に更なるパワーを注ぐ。
かわしきれない攻撃で肉体は傷ついて行くが、精神がそれを充分に上回りカバーしきれている。
「はぁ…はぁ……さすがミカエルの双子の片割れ………実力は申し分ないという事か……」
時折、ルシファーである純にミカエルが重なって見えた。
ミカエルの強さは幾度も見てきた。あの勇姿が寸分違わずシンクロする。
「まだ本気は出してなくてよ?思ったより手応えがなくて残念無念ですわ。」
してやったりの微笑で悪魔が神を見下す。この光景をミカエルが見てたらなんと言っただろうか。
「こんな…………こんなはずは…………」
「こんなはずはない……とでもおっしゃいますの?」
グングニルの刃をヘラに向けた。
「おのれ…………ルシフェルごとき堕天使に敵わぬとは……」
純にしてみれば、カッコつけた手前いま少しだけでもヘラに頑張ってほしいのが本音と言える。
実に拍子抜けした神を足蹴にする。
「だらし無い神様ですわね〜。そもそも、組織の上位に立つ者であるならば自分の得意とする分野からはみ出してはならないのです。なぜなら、威厳というものを確固たるものにしなければならないからだと、お父様がおっしゃってましたわ。」
純がどんな教育をされて来たかなど神様には興味はなく、ただ傍若無人ぶりを発揮する小娘を睨みつけていた。
「あらまあ、なんて恐い顔をなさるのかしら。」
軽い口調とは真逆に、何度もヘラを蹴る。その度に低いうめき声を上げ悶絶する。
「弱くて助かりましたわ。多少の傷は負いましたが、すぐに治るでしょうし。No PROBLEM!」
「ルシフェル……………このままで………このままで済まされると……………思うな………」
「プライドの高い人でございますわねぇ。」
最後にヘラの顔を踏みつけた。
グングニルがヘラの首にぐっさりと刺さった。
「がはあっ………!!」
「……………バ〜カ。」
特に勝ち誇る様子もなく、浄化されていくヘラの死に顔を目に焼き付けていた。
そして、ふぅ、と息をついて仲間の後を追う。
「ん?」
不意に違和感を感じて後ろを振り返る。
もちろん誰もいない。
戦いの残香すらも。
「気のせいかしら。気配を感じたんですけど………。」
やっぱり誰もいない。
「ま、いっか。」
お気楽に、止めていた足を再び動かす。
妙に身体が重い事さえ除けば、僅かに感じた気配など問題にはならなかったはずだ。
相手が神だったという事を純は…………いや、ルシファーは忘れていた。