第二十三章 悪魔の取引
「本来ならお断りしちゃうところなんだけどねぇ……くすくす。」
「捕まえてくれるなら、早いとこ捕まえてくれ。このままでは島が破壊されてしまう。」
島を暴れ回る狂牛を捕獲する。それが千明の試練だ。
話してる相手は、島の主ミノス王。
「どうせなら殺してあげましょうか?手のつけられない狂牛なんて、家畜にもならないならないんじゃない?その方が私も楽なんだけど?」
「いや、駄目じゃ。あれは牛とは言っても、見事なまでに美しいのじゃ。殺してしまうのは惜しい。」
「くすくす。牛は所詮牛でしょう?その感覚はわからないわねぇ……。」
「なんとでも言え。悪魔に物をを頼むのは本意ではないが、誰も手に負えんからな、仕方ない。」
「とても人に物を頼む態度には見えないわよ?くすくす。」
「フン、お前とてワシの依頼を断れまい。黙って捕まえてくれればそれでいい。」
「……………気に入らないわねぇ。悪魔は悪魔でも、私はレリウーリアよ?他の悪魔とはレベルが違うの。どの口がおっしゃってるか知らないけど、口は災いの元よ、気をつけなさい。」
「強気な女だ。そういえば、まだ名を聞いてなかったな?」
「暗黒王ベルフェゴール。後にも先にも、人間の頼みを受けるのは今回限り。感謝しなさい………くすくす。」
妖艶な女は嫌いじゃない。悪魔だと知りつつも、興味が湧いて来る。いや、悪魔だからこそ惹かれてしまう。
「ベルフェゴール………万が一、捕まえて来れなかったらどうする?」
「くす。私に限ってそれはないわ………安心なさい。」
「万が一じゃ。一年も二年もかけられても困るしな。」
「あはは。そんなにかからないわよ。せいぜい一日で捕まえてあげるわ。」
「なら、一日で捕まえて来れなければ、その時はワシの妾になれ。」
「妾?何の冗談かしら?口は災いの元だって言わなかった?」
「条件を呑めなければ依頼は出来んな。」
何かにつけて取引する輩は信用ならない。千明の持論だ。
特に肉体を欲する輩は。
ただ、今回は気分を損ねたからと言って、帰るわけにもいかない。
「……………あんた、いい死に方出来ないわよ。」
「決まりじゃな。今から明日の昼までに捕まえて来れなかったら、お前はワシのものじゃ。ベルフェゴール、お前がワシの玩具になるのもまた一興じゃろう。」
足元を見られているのでは反論しても無駄だ。
「いいわ。でも覚えておきなさい、私にそういう口を利いた事、後々後悔するから。」
「ハハハハッ!忘れないでおこう。」
ミノス王は、一日も経たないうちに忘れるだろう。『玩具』……千明にとっては侮辱に値する言葉。ただでは終わらせないと心に決めた。
「島を暴れ回ってるって聞いてた割に、姿が見えないと思ったら…………こんなところにいたのねぇ。」
島中探しても見当たらず、途方に暮れかけていた時、偶然、洞窟を見つけ探索していた。
地下に続く通路を奥まで進んだところに、目当ての狂牛はいた。
悪魔の気配に怯えているのか、千明を警戒したまま襲って来る気配は無い。
「………どっからどう見ても、ただの牛じゃない。ちょっと、がっかりだわ。」
ミノス王が褒めてたほど、期待する必要もなかったようだ。
権力者というのは、理解出来ない趣味を持つ者が多い。
「フン、まあいいでしょう。でもこのまま連れ帰るのはしゃくに障るから、その自慢気な角でも落としてやろうかしら…」
ミノス王への怒りが収まらない。殺して帰らない限りは、捕獲の試練は達成される。お気に入りの理由には、立派に自己主張する角も含まれているはずだ。
ならば、それを無くしてしまえばいい。きっとショックを受けるに違いない。
「悪く思わないでね………私もこんな事はしたくないんだけどねぇ。くすくす。」
ブルーノイズを取り出し、刃を狂牛に向ける。
狂牛は唸り声を上げはするが、やはり千明に怯えている。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ………どうせまた生えて来るんだから。せめてもの慈悲よ。」
ミノス王のショックを受ける顔だけ見れればそれでいい。
ブルーノイズを狂牛の鼻先まで近付け、奥へ奥へと追い詰めて行く。
狂牛の逃げ場が無くなる。
「痛くしないから、おとなしくなさい………」
ブルーノイズを振りかざす。
「待て!」
男の声がして、後ろを振り向く。
そこにいたのは、伝説の半人半牛……ミノタウロスだった。
(ミノタウロス?……………ふうん………そういう事………)
彼を見た瞬間、ダイダロスが自分達にさせてる事がわかった。
「その角は切ってしまえば二度と生えては来ない。頼む!切らないでくれ!」
見た目は恐ろしい怪物だが、懇願する口調からは優しさを感じる。
そして、千明は試練の意味を理解した。
「貴方、この牛の子供ね?」
「わかるのか!?」
「ええ。」
ダイダロスが歴史を捩曲げた。正確には、蕾斗の力でそうしたのだろう。オノリウスがそうしたように。
これは蕾斗が、確実にインフィニティ・ドライブを物にしている事を意味していた。
「お前は………人間じゃないのか?」
千明の容姿とは重ならないオーラに、ミノタウロスが戸惑う。
「見た目は………ね。中身は上級悪魔よ。」
「どうりで『父』が怯えるわけだ………」
野生の本能だろう。強い者には逆らわない。狂牛は、千明が島に現れてから、ずっと隠れていたに違いない。
「上級悪魔が何故、父を?」
「ミノス王から頼まれたのよ、島を荒らす狂牛を捕まえてくれって。」
「あいつ………まだ父を見世物にしたいのか!」
「……………………。」
ミノス王とミノタウロスの関係は知っている。これを利用しない手は無い。
「憎んでるのねぇ………ミノス王を…………」
「憎んでるなんてもんじゃない。出来れば殺してやりたいくらいだ。」
「殺ればいいじゃない。貴方の力なら余裕でしょ?」
「簡単に言わないでくれ。ミノス王は、ああ見えて魔力に長けている。力だけじゃ………」
「牛一頭抑えられない魔力なんて、たかが知れてるじゃない。」
「………ミノス王は、父を手元に置いて起きたくてしょうがないのさ。それに、父に魔法は効かない。」
「なるほどねぇ…………」
「なあ、見逃してくれないか?俺にとっては唯一の家族なんだ。」
「母親は?」
「母は………俺を産んだショックで死んでしまったらしい………」
「そう…………」
「……………なあ、父が島を荒らすのは、海王様のせいなんだ。本意じゃないんだよ。」
「でも、そのお陰で貴方が生まれたんじゃないのかしら?」
「……何でそれを………!!」
「悪魔って物知りなのよ。」
「ならば話は早い!頼む!どうか父を見逃してくれ!」
驚いた事に、ミノタウロスが土下座をした。
それを不憫に思ったのか、狂牛がミノタウロスに擦り寄る。
親が子を想う気持ち………というものだろう。
「かわいそうだけど、そうもいかないのよ。こっちにも都合がねぇ…………」
「退いてもらえないのなら、力ずくでも………」
「よしなさい。あんたに私を倒す事は不可能よ。」
「不可能でも、みすみす父を差し出すわけにはいかないんだ!」
どっかの誰かを見てるみたいで、思わず笑みが零れる。
「フッ………そんない熱くならないの。」
「なら……!」
「勘違いしないで。私は貴方の父親を捕まえなきゃならないわ。そこで、いい事を思いついたのよ。」
「いい事?」
「そう。その前に、貴方達こんな暗いところで一生を過ごしたい?」
唐突な千明の質問の意図が掴めず、ここでもやはり戸惑ってしまう。
「何が言いたい?」
「…………私は貴方の父親を城へ連れ帰るだけでいいのよ。ミノス王の生死までは関係ないわ。」
「……………?」
「ミノス王を殺す手伝いをしてあげるって言ってるのよ。そうすれば貴方達は自由になれるわ。」
「…………………何でまたそんな事を………」
「ミノス王を気に入らないのは、私も同じなのよ。だから手伝ってあげる。その代わり、あんたの父親を一度ミノス王に見せる。ちゃんと捕獲した事実が欲しいから。」
「しかし…………あんたは悪魔だろう?悪魔は人を欺く生き物だ、信用していいものかどうか……………」
「あら、貴方は『人』ではないでしょう?」
「まあ………人ではないが……」
「こんなところに閉じ込められて、悔しくないのかしら?私が帰ったらチャンスは二度と来ないわよ?」
ミノタウロスは、しばし考えていたが、千明の申し出を受ける事にした。
断ったとしても、自分を殺して父親を連れて行くのは目に見えている。
ならば賭けてみても悪くない。
「………わかった、あんたに従おう。」
千明がほくそ笑む。
「くす。…………それでいいのよ。」
「ね、言った通りだったでしょ。一日はかからないって。」
狂牛の頭を撫でながら、ミノス王に得意げに話す。
「さすがはレリウーリアの悪魔。狂牛すら手なずけるか。」
狂牛は鼻息を荒くしているが、千明の脇から動こうとはしない。
「これで目的は達成した事になるわね。」
「ふむ。妾は諦めるか。」
惜しむように千明を見る。
「残念だったわねぇ……。それよりさ、貴方に会わせたい人がいるんだけど?」
「ワシに?」
「出てきなさい!」
千明が叫ぶと、ミノタウロスが姿を現す。
ミノス王はびっくりして、玉座から立ち上がる。
「お、お、お前は……ミノタウロス!!どうやって城に入った!?」
「あらぁ………正面から堂々と入って来たに決まってるじゃない。」
千明が説明する。
「正面………へ、兵士はどうしたのじゃ!?」
「ああ……ちょっと眠っててもらってるわ。」
早い話が、実力行使に出たのだ。
「久しぶりだな……ミノス王。」
茶化す千明とは対称に、ミノタウロスは真剣な眼差しでミノス王の前に立つ。
「な、何の真似じゃ………?地底から出る事は禁じたはず!」
「………今日は貴方にお願いがあって、こちらにいるベルフェゴールに頼んで連れて来てもらったんです。」
「願いじゃと!?」
「………どうか、私と父を解放していただけませんか?」
ミノタウロスは、千明の策には乗らなかった。その変わり、ミノス王と一度話し合ってみたいと申し出たのだ。
「何をバカな事を………。お前達に自由を与えると思ったか!?たわけめっ!」
「もし、解放していただけるのなら、父が島を荒らさないように、きちんと監督します。」
「黙れ黙れ!化け物の分際でワシに意見する気か!」
丁寧に、下手に出ればわかってくれるかもしれない………殺したいほど憎む相手だからこそ、感情を抑えた。
だが、ミノタウロスの想いは儚く裏切られる。
「気が済んだ?無駄なのよ、言うだけ。」
こうなる事は千明にはわかっていた。
「ベルフェゴール!お前、ミノタウロスに何を吹き込んだ!?」
怒りの矛先は、元凶であろう千明に向けられる。
本人は気にも止めないが。
「私はただ、提案しただけよ………そんなに憎いなら、殺せば………って。」
千明の言葉にぞっとする。
「ミノス王、貴方に選択肢は無いのよ。」
ブルーノイズの青い刃をちらつかせる。
「くっ………………し、仕方あるまい………」
ミノタウロス一人なら臆する事はなかったが、悪魔がバックについてる以上、観念するしかなかった。
「案外すんなり観念するのねぇ………もっと食い下がるかと思ったんだけど……」
なんにしても、これで千明の役目は終わった。
始めの目的とは違ってしまった事で、熱も冷めてしまった。
「はぁ………なんか疲れたわ。…………帰るわね。」
もっと話がこじれるかと期待していただけに、疲労感がどっと押し寄せる。
「ベルフェゴール、ありがとう。」
ミノタウロスが嬉しそうにお礼を言って来た。
まあ、顔は牛だからあくまで口調だけでの判断ではあるが。
「礼を言われる覚えはないわ。後は勝手にやって。」
テンションが上がらない千明は、ミノタウロスを軽くあしらうと窓から外へ飛び出す。
島に来た時と同じ場所へ向かう。
「余計な時間使っちゃったわ。」
気になっていたのは、この試練が、神話に擬えているという事。
他のメンバーは、この事実に気付いているのだろうか?
そして、擬えているとは言え、神話の世界に来ている事実。つまり、過去に来ている。
インフィニティ・ドライブを持ってしか成しえない技だ。
(早く総帥に伝えなきゃ……)
そう考えていると、急に脳を駆け抜ける衝撃があった。
「……………………まさか。」
振り向き、城の方角を見る。
小さくなった城の旗が見える。
一瞬迷ったが、城へテレポートする。
さっき自分がいたところまで移動すると、そこには火だるまになって苦しんでるミノタウロスと、狂牛の姿があった。
「ベルフェゴール!!」
いなくなったと思ってた千明を見て、ミノス王が驚く。
「ミノス…………あんた……………」
業火に苦しむミノタウロスと狂牛が動かなくなった。
「フン………化け物風情がワシに盾突くのが悪いんじゃ!」
悪びれるそぶりはない。
むしろ正当化している。
その態度に、一度は冷めた怒りが甦る。
「救う術がないのよ………」
「何じゃと?」
「あんたみたいに権力に支配された奴は……救えないって言ってんのよ。」
妖艶な千明の瞳が、悪魔の瞳へと変わる。
「ま、ままままま待て!!待ってくれ!!!」
殺気に満ちた千明から逃れたい一心で、土下座をする。
でもそれは、ミノタウロスがした土下座とは別物だ。
そこにあるのは欺瞞だけ。
瞬時に具現化されたブルーノイズが、ミノス王の両腕を飛ばす。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ミノス、あんたは悪魔と取引をした。その取引を反古にした代償には命を奪う事でしか精算されない。あんたも地獄の業火に焼かれるのね!!」
炎の魔法をミノス王に放つ。
ミノタウロス達にした事が、自分に降り懸かる。悪魔の手によって。
ミノス王は、玉座にもたれたまま、息絶えた。
焦げ臭さが鼻を刺激する。
「教えてあげればよかったかしら?悪魔は裏切りを赦さない………って。」
四つ目のオーブが割れた。