第一章 まほろばの女
「待ちなさい!景子!!」
広い屋敷の中を、昼間から妃山千明は南川景子を追っかけ回している。景子は無言で逃げ回る。
廊下を駆け抜け、普段みんなで談笑する部屋へと景子が駆け込む姿を確認すると、千明も足を早め追い詰める。そこからの出入口は一つしかない。
「景子!!」
いつもの妖艶な千明じゃない千明が入り込んで来たものだから、くつろいでいた九藤美咲とローサ・フレイアルが飲んでいたコーヒーをこぼしそうになる。
「二人共、景子来たでしょ!どこ!?」
「どうしたのよ?そんな怖い顔して……らしくない。」
どんな事があっても自分を崩さない千明が自分を崩す時は、かなり怒っているとか精神的に余裕のない時だけだ。
もちろん今は怒っている。
ローサもすんなりと景子の居場所を言ってしまうほど子供ではない。相手が絵里となると別だが。
「あの子、私の化粧品引ったくったのよ!」
表現が正しいかどうかはさておき、何かを抱えていたのは確かだった。
「引ったくったって……大袈裟ね。年頃なんだもの、お化粧くらいしたいんでしょうから貸してあげなさい。」
ヴァルゼ・アークや由利と歳の同じ美咲が、年長者らしく千明をたしなめる。
「他の化粧品ならいざ知らず、あれはその辺で買える代物じゃないんです!金額云々じゃなくて、変えが無いものなんですから!」
女優がそう言うくらいだから、相当貴重なものだというのはわかる。
「にしても大人げ無いんじゃない?ちょっとくらい貸してやりなよ。」
ローサがなんとか説得して千明の怒りを鎮めようとするのは、テーブルの下から景子に睨まれているから。
「だ〜か〜ら〜、貸せる代物じゃないって言ってんの!」
ローサとの会話もそこそこに、部屋の中を見回して片っ端から景子を捜し始める。ご丁寧にクッションの下まで。
「景子!マジギレする前に出て来なさい!」
灯台元暗しとはこの事だろう。どう見ても、テーブルの下くらいしか隠れる場所はない。テーブルクロスが絨毯まで垂れているのなら尚更見るべきなのだが。
(どうすんの?おとなしく返した方がよくない?)
ひそひそとローサが景子に言ってはみるものの、景子は首を横に振り返す気がない事を伝える。
「景子っ!!あんたいい加減にしなさいよ!!変わりのもの買ってあげるから!!」
棚の後ろまで見る始末だ。千明の人間の部分が出ている。
人間というのは、物を探す時有り得ない場所まで探したくなるらしい。まして人を探してるのに。
景子はテーブルの下から、千明がドアから離れるのを伺っている。離れたところを見計らって逃げる間際ドアを閉めてやる作戦だ。
美咲はただ苦笑いをして成り行きを見守る事にした。頑固という言葉では足りないほどの頑固さを持つ景子には、何を言っても無駄だ。
一方、千明もこれだけ必死なってるところを見ると、思っている以上に貴重な化粧品らしい。
「クソガキ!出て来なさい!!」
怒りで我を忘れそうになる千明が、ドアから一番離れた窓を開けて外を見る。
その隙をついて、景子がテーブルの下からダッシュで出て来た。
「いたっ!!」
部屋を出て行く景子を逃すまいと飛び出すが、間一髪景子の方が早く部屋を飛び出してドアを閉める。
「!!!!!!」
思いきり音を立て、見事なほどぶつかる。
「やったわねぇ〜………もう許さないから!!」
勢いよくドアを開けて飛び出すと、またも何かにぶつかった。
「いったぁ………何よ!もうっ!!」
「傷を癒してるのかと思えば………頼もしいよ、お前達は。」
女は強し。ヴァルゼ・アークがそう思った瞬間だった。
「そんな事があったの。」
「ええ。景子が何をしたかったのかは結局わかりませんけど、ヴァルゼ・アーク様も追求するつもりはないみたいで。」
外出先から帰って来た由利に、愛子が屋敷での珍事を報告していた。
「どうしたのかしら?あの子………」
「まあ年頃ですし、お化粧に興味があってもおかしくはないですから。素直じゃありませんから、景子は。」
そう愛子に言われれば、自分も景子と同じくらいの歳には化粧に興味はあった。
きっと愛子も、千明も、女性ならみんな。大人への階段を登るのに必要不可欠な儀式とも言える。
「それより、どうでした?」
愛子は由利の外出先での結果が気になる。
「……………想像通りよ。」
「そうですか。」
「こんな大事な時に、私って………」
「気になさらないで下さい。誰にも言いませんから。」
「ありがとう。頼りになるわ、愛子。」
「ヴァルゼ・アーク様には………?」
「言わないでおいて。余計な心配はかけたくないわ。」
「わかりました。少しお休みになられては?お疲れでしょう?」
「そうね、そうするわ。」
「では私は失礼します。今日は食事係ですので。」
笑顔で一礼してドアノブに手をかける。
「愛子……」
「はい?」
「よく気付いたわね。」
「………………過去へ行ってから、司令の様子おかしかったですから。女の勘ってやつでしょうか?」
「頼りになるわね。」
「ふふ………頼りにして下さい。」
もう一度礼をして部屋を出る。
すると、ドアの横で景子がじっと愛子を見ている。
「きゃっ!もう〜、びっくりさせないでよ。司令に用なら後でになさい。疲れて休んでるから。」
心臓を押さえて深呼吸をする。
「………………………司令はどこに行ってたのですか?」
「どこって…………さ、さあ……どこかしら?」
「………………………どうして知らないのですか?」
「どうしてって………」
「………………………言えない場所に行ってたのですか?」
「景子、どうしたの?貴女変よ?とりあえず向こうで話ましょ、ほら………あっ!」
愛子の手を払いのける。
「…………………………。」
睨みを効かせるように愛子を見つめ、景子は何も言わず走り去る。
「景子………………」
今日の景子の昼間の行動…………愛子にはその理由がわかった。女の勘が働く時、それに間違いはない。
「まいったわね、なんとかしなくちゃ…………」