いのりのデート その9
上映が終わると同時に客席から人々が次々と立ち上がりドームを後にする。しかし俺は立ち上がることすらできない。というのも、いつの間にかいのりが俺の左腕にもたれかかっており俺が少しでも動こうものなら俺の腕からずり落ちて肘掛けやら床やらに頭部を強打しかねないからだ。しかも、なんだかとても幸せそうに寝てやがる。
そういうわけで、仕方なく俺はいのりが起きるまでま待つことにした。まあ、無理矢理起こすという選択肢もあるにはあったが、こんな気持ち良さそうな寝顔を見てしまった後ではそんな無粋な真似はできなかった。
ドーム内に俺といのりの2人だけになってから50分ほど過ぎたとき漸くいのりが動いた。
「んんーっ! ほぇぁぁ〜」
いのりは大きく四肢を伸ばした後、なんとも気が抜けてしまいそうな声をあげながら一気に脱力した。
「おはよう、いのり、よく眠れた?」
「ん? ふぇ? ここは?」
寝ぼけ眼で尋ねてくる。しかしまあ、寝ぼけるにもほどがあるだろう。
「プラネタリウム見に来たんだろ?」
「プラネタリウム? あぁ……いつ始まるの?」
「いやいや、もう終わったから!」
「ほえぇっ?」
嘘でしょ?! というような顔をされてしまった。
「っていうか、俺がクイズに答えるとこまでは起きてたんじゃないのか?」
「……くいず? うーん、わかんない……」
「お前……」
いのりは寝たら前後の記憶がなくなるという性質・病気でも持っているのだろうか。だとしたら直ぐにでも病院に連れていかなければならなくなる。
「いのり……本気で言ってるのか? 本気なんだったらデートなんか即終了して今すぐ病院に連れてこうと考えてるんだけど……」
「…………ゆるしてにゃん♡」
猫の手を作り、首を少し傾げ上目遣い気味で可愛くポーズを決めながらいのりは言った。
「……」
「な、何か言ってよぉ……こっちが恥ずかしくなるじゃんかぁ」
「オホンッ……ま、まあ記憶はあるみたいだけど、やっぱり脳に異常があるみたいだから病院行こうな……あ、でも脳神経外科じゃなくて心療内科だからな」
「……」
拗ねた様子で口を尖らせ今度はいのりが黙ってしまった。
「1人で行けないなら一緒について行ってあげようか?」
「もぉ……いじわるしないでよぉ、ごめんなさい……この通り……反省してます許してくださいぃ」
いのりは片目を閉じた状態で申し訳なさそうな表情を浮かべながら手を前で合わせ俺に許しを請いた。
「ならもうしない?」
「しません……」
「本当に?」
「はい……」
「最後に何か弁解はある?」
「ごめんにゃさい……」
「……」
ここまでされると逆に潔く感じる。
「噛みました」
「わざとっぽい噛み方だったけど?」
「噛みました!」
「ふーん、じゃあまあいいや、信用するけど、その代わり……もう1回最初みたいに謝って。そうしたら今のも全部無かったことにしてあげるよ」
「え……でも、えぇ〜〜」
「どうしたの? やらないの?」
いのりは「はうぅーっ」と唸り声をあげて悶えていたが、やがて覚悟を決め俺の目をじっと見て言った。
「ご、ごめんにゃさい、ゆるしてにゃん、空きゅん♡」
なんと先ほどのやつとの合わせ技で、しっかり猫の動作つきでやってくれた。今度は恥じらいを持っているせいか顔を少し赤らめている。そこがまたいじらしい。
映像として残しておけないのが残念だ。
「う、うん、ありがとう……その……なんか、良かったよ、すごく」
「も、もうしないんだからね!」
照れ隠しなのかちょっと怒り気味だ。俺も少し調子に乗りすぎた気がするので次は気をつけようと記憶に刻んだ。
「あーでさ、ちょっとこの後、遊園地出た後で雑貨屋さん寄りたいんだけどいいかな?」
「え? あぁ、うん、いいんだけど、何か買いたいものでもあるの?」
「まあ、言えるのは楽しみにしといてってくらいかな」
「そっか、それはそうとして最後に観覧車乗りたいんだけどいいかな?」
「ああ、良いぜ、行こうか」
俺たちがドームから出た時には日も沈みかけており空は真っ赤に染まっていた。夕日が光り輝く様子はさながらレッドダイアモンドのようだ。
「もう夕暮れだね……あーあ、空くんとのデートももうすぐ終わりかぁ……はぁ、残念だなぁ」
「またいつか来れば良いじゃないか、あの月寺って子も一緒に」
「そうだね……うん、そうだよ! 楽しみだねっ」
「まあかなり気が早い気がするけどな、まだ再開できると決まったわけじゃないし」
観覧車の近くまで来るとそこには大きな人だかりができていた。ざっと見て100人くらいいそうだ。
「おいおい、これ全員並んでんのかよ」
「うわぁ、すごいね、何分かかるのかな?」
俺は辺りを見渡し待ち時間の書いてあるボートもしくはプラカードがないか探した。幸運にもプラカードはすぐに見つかった。そこに書かれていたのは【待ち時間30分】の文字。俺はいのりにそのことを伝える。
「待ち時間は30分だって。まあ、喋ってればすぐ経つだろ」
とは言ったものの別段面白い話を持ち合わせているわけではないので、とりあえずさっきのプラネタリウムで得た知識を話すことにした。結果から先に言うとかなり盛り上がったと思う。神々が星座になった経緯や黄道十二星座について話しそこから発展させいのりの星座は何座かということを聞きスマートフォンを使って星座占いを見たりした。そうしているとあっという間に30分は過ぎていった。その頃には太陽も沈み、代わりに綺麗な月が顔を出していた。
「あ、次だよ! ついに乗れるね、楽しみー!」
「観覧車なんて俺もかなり久しぶりだからなんだか緊張するなぁ」
「綺麗な夜景が見れるかな? もしかしたら星も?」
いのりの声が自然と弾んでいる。
「見れると思うよ」
『はーい、次の方どうぞー』
係員の方に誘導してもらい俺たちはゴンドラに乗り込んだ。
『いってらっしゃーい』
「やばい、緊張で鳥肌がたってきたよ」
「空くん子供みたいだよ」
「さっきまでいのりだってテンション上がりまくりだったじゃんか」
「私は大人だからそんなことないもん」
と言いながらもやはり声のトーンが上がっている。よくよく観察すると体も無意識にソワソワしているようだ。
雑談をしている間にも俺たちの乗るゴンドラは着実に上昇していっている。円の中心ほどの高さまで到達したところで漸く夜の街並みが見えてきた。
「すごい、すごいよ、超綺麗だよ‼︎」
無数の発光ダイオードによって照らされている街並みは果てしなく続いている。まるで地上に広がる星空のようだ。
「ほんとだな……」
「こう見ると私たちの存在って凄く小さく感じるよね、居てもいなくても分かんないくらい小さく」
「まあ、確かにな。でも、そのちっぽけな存在——小さな光が寄り集まって作り出したのがこの景色なんだって考えたら俺たちも案外大事な存在なのかもしれないぜ? 少なくとも俺にとっていのりや唯は俺の中では大きな——掛け替えのない存在だよ」
「空……くん」
いのりは甘く囁きかけるように俺の名前を呼んだ。いのりの顔は恍惚としている。
正面に座っていたいのりが突然立ち上がり俺の隣に座りなおした。そのせいでゴンドラのバランスが崩れ微細な揺れを引き起こした。
揺れは大したことなかったはずだが、いのりは慣性の法則に従って俺に寄りかかってきた。
「お、おい、どうかしたか?」
俺が尋ねてもいのりは俺に寄りかかったまま、俺とは反対側の——遊園地のアトラクションがある方の窓をずっと見つめて返事をしない。
そうこうしている間についにゴンドラが頂点へと差し掛かる。ゴンドラから見える景色も広がりさっきよりも街が小さく見える。光がよりきめ細かくなり、一層神秘的な光景へと近づく。
「お、おーい、いのり見ないのか?」
一番良い景色が見れるタイミングなので一応もう一度声をかける。
今度も返事はない。諦めて景色を見ようと振り返ったその時。いのりは俺の背中に抱きつくと細かく背中を震わせながら言った。
「こっち、向かないでね……今……向いたら……怒るから……ね」
いのりの言葉が小刻みに途切れる。振り向かなくともおおよその状態は想像できている。
「わかった、落ち着いたら言ってくれ」
「うん……」
ゴンドラが頂点を通り過ぎ下降し始めたとき外で強風が吹いた。ゴンドラが先ほどとは打って変わって大きく揺れた。それと同時に自動的に観覧車の動きが止まる。立て続けにアナウンスが流れる。
『只今強風の影響により安全のため一時停止しております。ご迷惑をおかけしますが今しばらくお待ちください』
いのりはゴンドラが揺れてもそれについてはなんの反応も示さなかった。
「空くん……」
「なに?」
俺はぼんやりと外の景色を眺めながら尋ねた。
「もう、こっち向いても……いいよ」
いのりの許可が出たのでゆっくりと体を動かし体の正面をいのりに向ける。そっといのりを抱き寄せ距離を詰める。いのりは未だ俯いたままだ。
「空くんで良かった……」
「ん?」
「幼馴染が空くんで……本当に良かった」
「あぁ……もちろん俺も幼馴染がいのりで良かったよ」
さっきよりもよりほんの少し強くいのりを抱き寄せる。するといのりの髪から香る匂いが鼻腔をくすぐった。甘く優しい匂だ。
「ねぇ……もっと強く……抱いて」
意識せずとも自然と腕に力が入る。
「いたっ……」
「あ、ごめん」
「いいの、それくらい強いほうが安心できる、それに……空くんをすごく近くに感じられるから」
もう一度力を込めた。いのりの体は力を入れすぎたら折れてしまいそうなくらい華奢で柔らかい。いのりも俺の腰に手を回しそっと抱きしめてきた。
いのりはゆっくりと顔を上げて訊いた。
「空くん……やっぱりまだ、決められない?」
「……ごめん、まだ……」
「気にしないで……私が空くんの立場だとしてもそうなると思うから」
「でも、いつか必ず……答えは出すよ」
「うん、待ってる……空くんが考えて決めたことなら私も唯ちゃんもきっと受け入れられると思うから」
「ありがとう……助かる」
「ねぇ、1つワガママ言ってもいいかな?」
「あぁ、構わないよ」
「あの……その……キ、キ——」
「き? 気分悪いのか?」
「いや、そうじゃ……なくてね……その、キ、キスしたい……今日の思い出として……お願い」
「うっ……じゃ、じゃあ、目……つぶって」
いのりから目をそらしチラリと外を見る既に風は止み観覧車はゆっくりと動き出していた。
「え?」
「目をつぶってくれないか? 恥ずかしいから」
いのりは驚きながらもゆっくりと、大きくてぱっちりとしたカーネリアンのような瞳を閉じた。
俺は軽くいのりの唇にキスをした。いのりの唇は思った以上に柔らかくほのかに湿っていた。いのりの唇からゆっくりと唇を離すと、いのりは再びゆっくりと瞼を持ち上げた。
「ありがと……意外と優しいんだねっ」
いのりはどこか安心したような笑顔でそう言った。
「意外ってなんだよ」
「まあ、これで唯ちゃんよりは一歩先にたてたかな?」
「唯には変なこと言わないでくれよ?」
「それは、空くん次第かな? なんちゃって」
といのりは軽い冗談のように言ったがどこまで本気なのかは実際のところわからない。
「善処します」
「ありがと……まあ、実は本当のところ空くん、キスしてくれないんじゃないかと思ってたんだ……それでも、仕方ないとは思ってたんだけどね。でも、空くんのおかげで今日が一生の思い出になったから、これでいつでもフラれる準備はできたよ」
冗談にしては度がすぎているような気がする。
「それは言い過ぎなんじゃ……」
「本気だよ」
その言葉に返事をするよりも早く、ゴンドラが終点に着いた。
『お疲れ様です』
そう言いながら係員の人が扉を開ける。
「ありがとうございます」
軽く会釈をし俺たちは素早くゴンドラを降りた。
「この後どうしよっか?」
「いのりはまだ乗りたいアトラクションとかあるのか?」
「いやいや、もう満足だよ」
かぶりを振りながらいのりは答えた。
「そうか、じゃあ少し雑貨屋までは付き合ってくれるか?」
「もちろんいいよ」
かくして、いのりとの長くも短い1日の遊園地デートは終わりを迎えた。そして、俺たちは雑貨屋へとゆっくりと歩みを進めた。
お読みいただきありがとうございます。長かったデート編も次で終わりの予定です。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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