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番外・名前を失った女の子 前編

どこかに書いてあったのだが、「名前」と言うのは他の誰でもない子供の為に与えられる「贈物」なのだそうだ。

大多数は「親」から与えられるだろう。

時に子供達にとっては迷惑千万この上ないものかも知れない、時代の流れに沿わないもので不満かも知れない。画数が多くて習字の時間に閉口するかも知れない。読み方次第で不吉なものだと言われるかも知れない。

誰が付けたとしても、日本国憲法では15歳以上になると条件次第で変更する事が不可能ではないらしい。

だが、こんな言葉を知っているだろうか?


名は体を表す。

 新婚の夫にとって、才女の妻は現実の象徴で。

 どこの誰とも知れぬ、ある日突然落ちて来た娘が逃避の象徴だと言うのならば。


 そう言う意味からすれば「来訪者」にとって、その話は寝耳に水だった。

 突如として「いつものように現れた」王子……すり寄って置けば良い生活が得られる「権力者」だと言う認識だった。勿論、心細い慣れない生活の中で親切にして貰えたと言うのは確かに嬉しかったのは確かだ。

 言葉も通じない中で、どうなるかと不安に思っていた。

 その中で、一人の女性が付きっ切りで絵本を見せたりして世話をしてくれた……何だか幼い子供を相手にするかの様な態度だった気がしないでもないが、本人にしてみれば自分自身は決して元の世界で大きいとも小さいとも言われなかったので、これは異国から来た迷子を相手にしているのだろうと思っていた……言葉が通じないから幼く見られているのだ、きっと。

 まさか、異なる世界に居るとは思っても居なかったが……。

 本能に従って綺麗な格好をしている人を目指して甘えてみたら、素晴らしき本能は期待を裏切らなかった。周囲が何を言っているのか言語が理解出来なかったから、持ち物がすべて取り上げられたことも含めて恐怖心が先に来ても片言ならば教えて貰えたのだから最悪な事態になる事はないだろうと思った。

 言葉が少し判るようになった頃、自分はよく言われていないのだろうと言う気はした。

 それはそうだろう、己の立場を理解出来る様になったら他人目線で見れば不信感丸出しな超不審人物だ。それでも牢に入れられたりされずに三度三度食事も出来たからまだマシなのだ。最初こそろくに味を感じなくて苛めだろうかと思ったが、そんな事はなく貴族たちと同じものを口にしている事が判って流石に閉口した。もっと美味しいものを食べたいと思ったが、彼等にとってこれが美味しいと感じるものならば一人で駄々をこねてもどうにもならないだろう……それに、慣れればそれなりに味がないわけではないのだと言う事が理解出来る様になった。

 だと言うのに、興奮して早口になられると理解出来ない中で何とか判ったのは……追い出される? と言うより王子と共に家出をすると言う事らしい。と言う事が理解出来たのは、城から出て馬車に乗せられて外が真っ暗になった頃だった。

 最初の日の夜、落ち着いて寝台で休むと色々と思い起こす事になった。

 確かに、恐怖心や猜疑心(さいぎしん)の為にこの世界の人々を怖がっていた。でも、優しくしてくれて言葉を、この世界の常識を教えてくれた人物……ピュレリティは嫌いではなかった。恐らく、純粋な意味で一番好きだと感じただろう……呼び方が難しくて一度で呼べたことはないけれど。

 でも、知らなかったのだ。自分の世話を焼いていた人物が王子様と結婚したばかりの新妻であるなんて、気づかなかったのは王子妃なんて人の着る服にしては地味だったからと言うのもある。しかも、見知らぬ怪しい人物の世話をわざわざ焼くなんて普通は考え無いだろう……身分制度がはっきりしている世界ならば。例え、そこが女性蔑視の世界であっても。

 ピュレリティにとって、王子妃としての対外的な公務ならばそれなりに(きら)びやかな恰好もする。女性の言動も美しさも立派な武器だからだ。でも、現れた当初の時点では混乱していた事もあって暴れたりして、とてもではないが外交に使う様な姿で接するわけにはいかなかった……一度ならずとも、周囲にあるものを投げつけて来て一度ドレスをダメにした事があったからだ。そんな事、ついぞ思い出す事は無かったけれど。

 後悔のどん底に(おちい)るのは確かだった。もっと、こちらに依存しない程度に甘やかしてくれる、ペットか妹の様な扱いにしてくれれば王子が会いに来ても笑顔で接して(つたな)い言葉のフリをして(おだ)ててあげたのに。でも力加減を間違えて唯一の希望だとでも言うかの様な信望者になってしまった以上は独占欲の塊になってしまったのだろう。本人は上達していると思っていたが、実際には日常生活に問題がないと言う程ではないけれど聞き取りは出来ないわけではない程度だ。それでも、男心をくすぐる術は変わらなかった。

 計算外だったのは、幼い頃からの劣等感による抑圧された精神は破たんするか硬化するかの二択になっていた状態だったと言う事。王子の事を知らない状態だったから全力でぶつかった為に、あっさり王子は夫である事も王子である事も捨ててしまった事だ。

 だけど、すでに甘えまくってしまった身の上では今更標的を変えるわけにはいかなかった……すでに王子に甘えまくった非常識な不審人物として周囲にインプットされてしまった事で、他に頼りたい人が出たとしても権力的にも環境的にも下にある人に頼み込む事はとうてい出来なかったのだ。そこで王子に不況を買ってしまえばどんな目に合うか判らないと言うのもある。


 見知らぬ馬車に乗せられて、延々と走らされた中で。

 ただ座っているだけと言うのも、シートベルトがあるわけでもなく。舗装された道でもなく、しかもクッションはあるが椅子そのものが硬いのが普通なので安定性? ナニソレ? と言う有様だ。

 三つの馬車のうち、一つは自分達と二人の側仕えが乗り込んでいて外では御者が一人いるのだろう。他の馬車二台は荷物が乗っているらしく一人ずつ、残り五人は護衛騎士なのか馬に乗って三台の馬車を警護している。

 下手に声を出すと安定性の悪い馬車の中で、うっかり舌を噛む羽目になるのでおしゃべりをすると言うわけにも行かず。似た様な理由で最近読み始めた本で時間を潰すと言うわけにもいかない。

 まさしく、暇以外の何ものでも無かったのだ。下手に眠ろうとしても逆に馬車の中で踊る羽目になっていただろう……シートベルトなんて素敵なものが存在しない為に座っていても落ちる可能性があるので、馬車の中に側仕えを配置する理由の一つだと言う事を初めて知った。

 一応、結婚もしていない男女が二人きりの密室で過ごす事はあり得ないらしい……何故か両方とも結婚しているのならば夫婦でなくても問題ではないらしいが。その辺りは上手く頭の中で解読も出来なかったし。なぜ既婚と未婚でそこまで差があるのかも思ったが疑問が正しいとも限らないし単語が見つからなかったので聞くに聞けなかったし、侍女や侍従と言った使用人は人数に含まれないから実際には四人で乗っているのに二人きりと言う解釈になるのも訳が分からなかった。


 判っているのは、これから待っているのは(ろく)な事ではないだろうと言う事。


 元の世界……東邦と言う世界に居た頃、普通の学生だった。

 この世界には学生と言う概念さえないのだから説明が難しかったし、それでも話半分くらいの気持ちで王子妃に話をしたことがある。

 実を言えば、本人も意外だと思うが王子を相手にする時は王子の話を聞く事がほとんどだった。王子は話を聞きたがった事もあるけれど、直ぐに持ち上げたり慰めたりすると満足らしくて、そう言う意味ではあまり会話らしい会話をした覚えはない。

 逆を言えば、王子妃であるピュレリティには王子に対するよりは気が付けば流暢に話をしていた……こちらの言語で表現出来る単語が思い当らなくて、一生懸命説明をしていたのだ。本当に、いつの間にか。

 もっとも、ただでさえ原理が理解していない者があてはめられる単語を探すにも手間取り、結果的に合っているのかどうか確認が出来ない状態で話した状態の内容がどれだけ役に立つのか、実行するわけではないので判断はつかないけれど。

 決して、元の世界でも特出したものがあるわけでは無かった……この世界に比べれば男女交際としては奔放(ほんぽう)だった気がする。何しろ、襟元から足元までびっちり着こまなければならないしドレスは古式ゆかしい美しさを持っているが嵩張って動きづらい。最初、コルセットなんて着けられた時には中身が出るかと思ったし拷問だとも思ったくらいだった。ドレスにコルセットを付けないのは寝巻くらいだと言われて閉口したのは有り得ないと言いたかったくらいだ。

 しかし、城に訪れた人々は男女問わずにびっしりと着こんでいる姿しか見た事は無かった……流石に城から出た事がない以上は判断材料が無い。夜会や茶会に呼ばれる事もないし禁じられている事は知らなかったけれど、特定の地域から出る事は許されていなかったから下働きや城下の人達の姿も見た事はなかった……実を言えば、その人達でさえびっしりと着こんでいたのだが


 あえて、未来を考えないようにしていた。

 考えれば、己の所業がどれだけの事かを思い知らされる。

 自分を世話してくれたのは、化粧っ気もなく地味なドレスでもあったけれど優しい人。ダメな事は上から抑えつけて叱りつけるだけではなく、何故どうしてそれがいけない事なのかを根気よく教えてくれた……話を沢山聞いてくれて、泣きそうな気持を何故か理解して、他の人達や侍女が意地悪をしたり噂をしていれば、きっと何かをしてくれたのだろう。常に忙しいらしくて、一日一度は顔を見に来てくれたけれど長い時間は側に居てくれなかったけれど、それでも。

 だけど、そんな人を裏切った事になる。

 そして、そんな人を切り捨てた事になる。

 望んだわけではない、王子の暴走の果てに巻き込まれただけだなんて言った所で信じてくれる人など居ない。王子が側に居る手前、お城に。あの人の側に帰りたいなんて言ったらどうなる事か……王子は可能な限り側に居ようとしたけれど、侍女として着いて来た人物が溜息を洩らした事で決定的にどうしようもなく、どうにもならない事になったのだろうと判ってしまったから。


 何日もの馬車の旅をしてきた、例えこの世界の人達にとっては文字通り王侯貴族のお遊び程度の行程だったとしても。科学技術が進んだ世界から来た身の上からすれば苦行も良い所だったから、旅の目的地についたと聞かされた時には心の底からほっとした。

 王城を外から見た事はないから判らないけれど、訪れた屋敷はこじんまりしていると言って良いのだろう。少なくとも、明かりからお風呂から設備は段違いに悪かった。お風呂一つ入るのに熱いお湯に入れないのは閉口したけれど、出来ないのだと言われてしまえばどうしようもない。

 城と違って、侍女や側仕えが居れば遠出しなければ行ってはいけない場所が無かったのは悪くは無かった。でも、まだ屋敷から出る事は出来なかった。

 ここでも、計算違いはあった。

 まず、この屋敷に仕える人達の目だった。自国の王子に対してでさえ冷たくて、貴族と言うのはこう言うものか。その下に居るから屋敷の住民達の視線も冷たいのか、それとも余所者だからだろうかと思えば違った。

 何をする事も無かったので、数は多くないと言っていたが図書室に向かったら途中で王子を含めて自分達の事を噂している者達が居た。この屋敷で働いている者達なのだろう……侍女は、特に反応しなかった。側仕えも反応しなかった。彼等の視線も、すでに温度を感じさせない程度に冷たく見えた。

 他には、意外にも屋敷の図書室に異世界から訪れたと思われる者の手記があった。見つけたのは偶然だった。

 この世界に訪れ、生活をしていたらしい人の残した数少ない手がかり……断然、のめり込んだ。それこそ、王子には秘密にしてけれど夢中になったのは望郷の念のせいだろう。故郷に帰れるかも知れないと、望まずに現れた以上は思っても仕方がない。

 手記は、全く読めないわけでは無かった。けれど言い回しが少し違うので、同じ世界でも違う地域や時代なのか、それとお近いけれど違う世界から訪れた人の書いたものだったのだろう。王子からは最初のうちは領地で慣れる必要があったから放って置いて貰えたけれど、そのうちに相手をしない事で不満を出される様になった。

 でも、仕方がない。

 流暢に読めない本、解読してもたまに読めない箇所。だけど読みたい。

 どんな風に、どこの誰とも知れぬ人が過ごした時間を読み解きたい……そう思ったのは、あるいは予感がしていたからなのだろう。

美容整形のどこかの女医さんが、豊胸手術をする時にこう言う事があるそうだ。

「貴方が手術をして、考えてみて?

 今は良いけど、これから先。5年、10年、何十年もたって。

 そうして顔も手足も、他の部分もしわしわになってたるんで行くわ。

 でも、手術をした胸だけが今の形を保っているの。

 これから先、そんな事になっても構わないと言うのならば手術をするわ」


こんなエピソードを聞いた時、僕は思った事があります。

もし、今あなたの名前をどうしても気に食わなくて変えたいと思っているのならば。

これから先、何十年も生き残った時に全身が白髪としわしわの老人になった時に名乗る名前が。

今、貴方の求める名前でも構わないか? と。

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