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中絶のとき

 実家の母と義母に付き添われ、義父の運転する車で病院に向かう。

 午後の陽射しが窓から入ってきて、眩しいくらい良い天気、五月晴れである。お腹の赤ちゃんの処置を受けるというのに――。


 1日入院の上、行う施術ということで病院に着いて直ぐ、入院手続きを済ませ、用意された病室に入る。看護師の指示で入院着に着替え、ふたりの母を病室に残し、彩ひとりが婦人科の診察室へと行く。

 明日の手術に備え、子宮頚管拡張術という、子宮の入り口を広げるための処置を受けるためである。

 二ミリほどしかない子宮の入り口を、もう少し、三ミリほどに広げるため、挿入後に徐々に広がるスポンジのようなものを入れるらしい。

 スポンジを入れるとき担当医が言う。

「これから施術をします。少し痛みます。スポンジは十五分ほどで、ジェル状になりますから、そうしたら痛みはなくなります。それまで頑張ってください」


 施術が始まって間もなく、生理痛のような痛みが、下腹部から腰周りを襲う。数分で処置は終わったものの、あまりの痛さで処置後も彩は立てない。看護師に支えられ、処置台から奥のベッドへと移り、痛みが治まるまで横になる。

――う、ツー、痛い! ちくっ、とするだけかと思っていたのに……。

 自分の浅はかさを悔いる。

 それでも、30分後には痛みも消え、またひとり歩いて病室に戻った。

 そこで待っていたふたりの母には、ひとりで大丈夫だからと帰ってもらった。

 ひとりになると、涙が溢れた。痛みに耐えても、悲しみが残ることが、切ない。これが出産なら、痛みに耐えた分、喜びがある。けれど彩が耐えた痛みのあとには――。


 夕食後、随分と経ってから、会社帰りの真司が病室に顔を見せた。朝、顔を合わせたのに、何だか久しぶりのような気がする。ほっとしたのかも知れない。

 けれども真司に余計な心配をさせたくはない。それに暗闇に落ち込みたくもない彩は、今日の施術の痛みを陽気に話す。少し、オーバー気味に――。

 病院の消灯時間は早い。

 明日の手術は朝早くから行われる。

「じゃあ、明日、迎えに来るから、俺は帰るけど、彩、大丈夫か」

「うん、大丈夫。明日、お願いね」

 時間を確認して、真司は帰った。

 彩は眠りに着く前、思い出したように涙が溢れた――。


 翌朝、看護師が体温やら血圧やらを測ったあと、膣座薬を膣内に挿入する。出産を誘発するのだそう。定期的に三回も挿入した。

 暫くして、義父母と実母、それに真司がやって来た。

 その直ぐあとには、ストレッチャーを押した看護師が入ってきて言った。

「では、今から手術室に行きますので、こちらへ移ってください」

 言われるままに、ストレッチャーへと移り、そのまま運ばれる。廊下の中央に並ぶ蛍光灯が眩しいのか、それともストレッチャーで運ばれる自分の姿が仰々しいのか、とにかく彩は目を閉じていた。


 手術室で、手術台に移ったあと、「では始めますね。痛くもなく、気付いたら終わっていますから」と、言い、麻酔医に全身麻酔を掛けられ、意識が遠のく。

 気が着いたら看護師の声がして、気が付いたかと問われた。

 その言葉で彩は、赤ちゃんがいなくなったんだと気付いた――。


 再びストレッチャーに、今度は彩の身体の下のシーツを、看護師四人が「せーのっ!」と掛け声を掛けて、持ち上げて移す。

 帰りは天井の蛍光灯が次々と足元へと流れるのを、ぼんやりとした意識の中で見ながら、病室に戻った。そこには真司だけが待っていた。少し意識もはっきりとして、ここでのベッドへは身体を回転させ、転がるようにして自分で移る。

 彩が落ち着いたところで、看護師が真司に向かって言う。

「あと少ししたら、飲み薬を持ってきます。先生も説明に来ます。そうしたら、帰っても良いですよ。じゃ、もう少しだけ、待っていてくださいね」

 真司が応じ、看護師は出て行った。

 

 真司が穏やかな声で言う。

「赤ちゃんを火葬にするため、親父の車で母さんたちも一緒に行ったよ。弔いは賑やかなほうが良いだろうって」

 麻酔の残る彩は黙って頷く。聞きながら、他人事のようで、別世界の出来事のようにも感じた。

 あまりにあっけない。

――こんなに簡単に赤ちゃんが居なくなってしまうなんて……。


 施術前に聞かされてはいたが、本当に昼前には、帰された。

 真司の運転する車で家に帰る。窓外には昨日と変わらず、青空が広がっている。

 家には皆が戻っていて、義母が真っ先に言う。

「おかえり、大変だったわね。赤ちゃんは、お寺へ葬ってきたよ」

「そうですか……」

 彩は何とも表現しづらい思いで、うなだれた。

「疲れているでしょ、二階でやすみなさい、あとで食事を真司に持って行かせるから」

「はい」

 彩はそれだけ応えるのがやっとで、早々に二階へと上がった。

 ベッドに入ると、哀しいようでいて、怒っているような奇妙な感情がわき、困惑しながら天井を見つめる。

――これが喪失感というものだんだろうか……?


 昼食にと義母が作ったふたり分のうどんを、真司が運んできた。

 食欲はないが、朝から何も食べてはいない。

 彩はゆっくりとベッドから身体を起こし、夫婦のリビングへと移動した。

「彩のお母さんは帰ったよ」

 それだけを真司が言ったあとは、ふたりは差し向かいで無言のまま、卵とじうどんを啜った。

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