紅い時計
紅く染まった懐中時計。
私の家族の血を吸った、記憶の中の真っ赤な懐中時計。
濡れて壊れてしまったからと、優しい近所のおじさんが直してくれた時計。
傷だらけの、懐中時計―
「どうかしたのか?」
「っ!」
いつの間にか、すぐ近くに青年が立っていた。
「辛そうな顔して、なにかあったのか?こんなところで」
「…」
確かに、川べりで立ち尽くし堅い表情をした女の子は、さぞ不審だっただろう。
首にかけた懐中時計をそっと握り締め、彼の問いに答える。
「これを、捨ててしまおうと思ったんです。
嫌なこと、思い出してしまうから…」
「嫌なこと、ねぇ…」
その声が何だか哀しげで、思わず彼の顔を見た。
彼は、あきれたような顔をしていた。
「嫌なことを思い出すものなら、捨てたら駄目だろ。
大事なおまえ自身の思い出につながるものじゃないか」
「それが、辛い嫌な思い出でも?」
「そう。だからこそ、だな。
だって、その出来事がなかったら今の性格のお前はいないだろう?」
発想の転換ってヤツだな、と彼は笑う。
その笑顔は優しく、哀しくて。
言葉を失う私に彼は続ける。
「あー、人を待たせてるの忘れるところだった。俺もう行くよ。
…その時計、大事にしなよ。過去と向き合うことも大切だからな」
ひらひらと手を振って、長く黒いスカーフをなびかせながら彼が向かうのは、なぜか向こうの山の方。
不思議な人だったな、と私は思う。
もう声が届く距離じゃないけど、呟いた。
「…ありがとう」
この時計は、彼の言うとおり大切にしよう。
過去の紅い思い出と、今日のこの想い出とともに。