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書類は嘘をつかない  作者: れーやん
三回死んだ相続人

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第2話 文字の悲鳴

 職務上請求書の「請求事由」欄に、角田はペンを走らせていた。


 相続手続に必要な戸籍謄本等の取得のため——。


 書き慣れた定型文。だが今回は、その先に書くべき言葉を選びあぐねている。改製原戸籍、除籍謄本、戸籍の附票。通常の相続案件なら、被相続人の出生から死亡までを辿れば足りる。だが草薙一郎という男は、三度死んでいた。出生から死亡までの線が、一本ではなく三本ある。


 角田は請求書を三枚に分けた。届出地ごとに、管轄の自治体が違う。鴉森村——現在は横手市に編入されている——の本籍地分。秋田市分。横手市分。三通の請求書に、同じ名前を三度書いた。


 草薙一郎。草薙一郎。草薙一郎。


 同じ四文字が、三枚の紙の上でそれぞれ別の顔をしてこちらを見ている。角田はペンを置き、窓の外を見た。鉄塔の灯りが、夜空に白く滲んでいる。


 もうひとつ、請求すべきものがあった。死亡届の記載事項証明書。届出人の署名が記録されている書類だ。ただし、これは市区町村ではなく法務局への請求になる。しかも職務上請求の対象外で、利害関係人からの委任状が要る。角田は携帯電話を取り出し、志織の番号を呼び出した。


「草薙さん、角田です。……すみた、です。委任状を一通、お願いしたいんですが」


 事務所の時計が午後十一時を指していた。



        *



 志織から委任状が届いたのは三日後だった。速達の封筒に、丁寧に折り畳まれた委任状と、走り書きのメモが一枚。「何かわかりましたか」。角田はメモを裏返して机に置き、改製原戸籍の職務上請求書を横手市役所へ、記載事項証明書の請求書を秋田地方法務局へ、それぞれ発送した。


 その翌日の午前十時。チャイムが鳴った。


 角田がドアを開ける前に、ドアが開いた。


「よう角田ァ! 生きてたか!」


 大きな男が立っていた。五十代半ば。革ジャンにジーンズ、足元はくたびれた革靴。左手にコンビニの白い袋、右手に折り畳んだ紙。顔は日に焼けて皺が深く、目だけがやけに光っている。


 黒田警部。警視庁捜査一課。


 角田は半歩下がった。下がらないと、この男の体積に押し潰される。


「……また来たんですか」


「また来たよ。不用心だぞ、鍵開いてたぞ」


 黒田は事務所に入るなり、段ボール箱の山を見回した。適当な高さの箱を見つけると、その上にどかりと腰を下ろす。箱が軋んだ。


「それ、書類入って——」


「大丈夫大丈夫、俺は軽いから」


 軽くはない。角田はそれを言わなかった。


 黒田がコンビニの袋から缶コーヒーを二本取り出した。一本を角田の机に置く。甘い微糖。角田が飲まない種類だと、何度言っても覚えない。もう一本を自分で開け、一口飲んでから、缶のラベルを爪の先で丁寧に剥がし始めた。剥がし終わると、ラベルを四つ折りにして胸ポケットにしまう。理由を聞いたことがある。「裏にポイントがついてんだよ」。ついていない。角田は確認した。


「で、最近どうよ。儲かってんの?」


「……普通です」


「普通ってのはダメってことだな。行政書士ってのは地味だもんなー。もっとこうバーンとでかい案件やれよ」


「黒田さんこそ、なぜここに」


「ん? ああ、ちょっと確認したいことがあってな」


 黒田の冗談めかしていた口元が、水平に固まった。缶コーヒーを段ボールの上に置く。


「地面師の件でな」


「……ああ」


「秋田の土地なんだわ、これが。旧雄勝郡のあたり。山林と農地、かなりの面積だ。去年、所有者を騙った人間が東京の不動産業者に売却しようとして、登記のところで引っかかった。偽造がバレて未遂で終わったんだが——」


 黒田は革ジャンの内ポケットから、折り畳んだコピー用紙を二枚取り出した。角田の机に広げる。


「この土地の登記簿に、行政書士が関与した形跡がある。書類の作成か何かで。で、旧雄勝郡つったらお前の守備範囲じゃねえのかと思ってな。心当たりあるか?」


 角田は紙を手に取った。登記事項証明書のコピー。所在地、地目、地積。そして所有者の欄。


 草薙善造。


 缶コーヒーの結露が、机の上に小さな水溜まりを作っていた。角田はそれを見ていた。


「……この名前、知ってます」


「おっ、マジで?」


「先週、この人の相続案件を受けました」


 黒田が身を乗り出した。段ボール箱がまた軋む。


「行政書士の関与は俺じゃないです。でも——」


「でも?」


「この土地の所有者の長男が、三回死んでます」


 黒田は三秒ほど黙った。それから頭を掻いた。


「……角田よ、お前の話はいつも意味がわかんねえな。三回死んでるってなんだ」


 角田は三枚の戸籍謄本のコピーを机の上に並べた。昭和、平成、令和。黒田は折り畳んだ紙を膝に放り、前のめりになった。


「認定死亡が一回。死亡届が二回。届出地が全部違います」


「はー……」


「つまり何だ、幽霊か?」


「幽霊は届出を出しません」


「そりゃそうだ。じゃあ誰が出したんだ」


「それを調べるために、改製原戸籍を取り寄せてます」


「カイセイ……何だって?」


「改製原戸籍。はらこせき、とも言います。電算化される前の、手書きの戸籍原本の写しです」


「手書きねえ……」


 黒田は腕を組んだ。


「角田よ、俺は書類のことはさっぱりだ。だがな、三回死んだ人間がいて、その人間の親父の土地を誰かが売り飛ばそうとした。これが無関係だと思うか?」


「……思いません」


「だろ?」


 黒田は空になった缶コーヒーの缶を握り、また爪でラベルの剥がし残しを気にしている。ポイントなどついていない缶を、それでも丁寧に処理する男だった。


「腹が減ったな。近くに旨い店があんだ。付き合え」


「……今、忙し——」


「捜査協力費の代わりだ。経費で落ちるかは知らんが」


 強引に腕を掴まれ、角田は数日ぶりに外の空気を吸った。



       *



 錦糸町駅のガード下。電車の通過音が頭上で響くたびに、古い看板が震える中華屋だった。カウンターだけの店で、客は二人しかいない。


「純レバ二つ。あと瓶ビールな」


「……水で」


 数分後、カウンターに置かれたのは、深紅のタレを纏った鶏レバーが白い飯を覆い尽くした一皿だった。刻まれた白ネギの山がその上に載っている。ネギの断面から水滴が出ていた。


 角田は割り箸を静かに割った。


 タレの絡んだレバーを一塊、飯と一緒に口に入れた。甘辛いタレの下から、内臓特有の鉄の味が遅れて立ち上がる。ネギの冷たい歯触りが、熱いタレを断ち切った。


 角田は無言で食べ続けた。箸の動きだけが、先ほどまでペンを走らせていた時と同じ正確さで繰り返される。額に汗が滲んだ。


「角田。お前、食ってる時だけは人間に見えるな」


 黒田がビールを喉に流し込みながら言った。角田は答えず、最後の一口を、米の一粒まで掬い取った。


「黒田さん」


「ん?」


「秋田、行くのか。俺も行くんだろ?」


「……まだ戸籍が届いてません」


「届いたら教えろ。出張扱いにできるか微妙だが……まあ何とかなるだろ」


「……勝手にしてください」


「言われなくても勝手にするよ」


 黒田は瓶ビールの残りを飲み干し、伝票を取った。角田は財布を出しかけたが、黒田が伝票を握ったまま立ち上がった。段ボール箱の凹みと同じで、何を言っても無駄だった。



       *



 三週間が経った。法務局からの返送が遅れていた。昭和六十二年分の届書は保存期間を超えており、廃棄の有無を確認するのに時間がかかったという連絡が一度入った。角田はその間、別の案件を二件片づけた。十二月に入り、事務所の窓の外の鉄塔が冬の空に白く浮くようになった頃、秋田から封筒が二つ届いた。


 一つは横手市役所市民課から。改製原戸籍の写し三通と、戸籍の附票。


 もう一つは秋田地方法務局から。死亡届の記載事項証明書のコピー三通。


 角田は封筒の糊をペーパーナイフで丁寧に切り、中身を机の上に広げた。


 改製原戸籍は、予想通りの構造をしていた。手書き時代の筆文字で記された草薙家の戸籍。筆頭者は草薙善造。その長男として、一郎の名前がある。昭和三十二年生まれ。そして昭和六十二年五月の「認定死亡」。ここまでは、志織が持参した除籍謄本の情報と一致する。


 角田は二通目を開いた。電算化後の改製原戸籍。活字体に変わっている。認定死亡の記載——があるべき場所に、角田の目が止まった。


 ない。


 角田は椅子から立ち上がり、窓を開けた。十二月の冷気が事務所の紙の匂いを押し退けて入ってきた。窓枠に手をついたまま、頭の中を整理した。


 鴉森村は平成の大合併で横手市に編入されている。合併に伴う戸籍データの移行と、電算化改製。二つの大きな作業がほぼ同時期に行われたはずだ。本来、認定死亡で除籍された一郎は、電算化後の新戸籍に移記されない——それが正規の処理だ。だが目の前の電算化後の戸籍には、一郎が「在籍者」として載っている。認定死亡による除籍の処理そのものが、どこかで落ちた。大量のデータを手作業で移し替える過程で、除籍の記載が脱落し、一郎は「生きている人間」として新しい戸籍に紛れ込んだ。


 だから平成二十六年、秋田市で一郎の死亡届が出された時、届出地の秋田市は形式審査で受理し本籍地の横手市に送付した。横手市側が電算化後の戸籍を確認したとき、一郎は生存者として載っていた。受理された。


 しかし本来なら、横手市側が改製原戸籍まで遡って確認すれば、認定死亡の記載に気づくはずだ。なぜ気づかなかった。合併時の混乱による単純な事務過誤か。あるいは——誰かがそうなるように仕向けたのか。


 角田は窓を閉め、机に戻った。赤ペンのキャップを外し、二通目の改製事由欄を丸で囲んだ。「平成六年法務省令第五十一号附則第二条第一項による改製」。ペン先が紙に小さな穴を開けた。力を入れすぎていた。


 角田は法務局からの封筒に手を伸ばした。死亡届の記載事項証明書。三通。昭和六十二年分も廃棄されずに残っていた。


 一枚目。昭和六十二年の認定死亡に係る届出。届出人は「同居の親族 草薙善造」。死因の欄——認定死亡のため、記載は「転落による死亡と認定」。


 二枚目。平成二十六年の死亡届。届出人は「同居の親族 草薙善造」。死因は「肝硬変」。五十七歳。


 三枚目。令和三年の死亡届。届出人は——。


 角田の手が止まった。


 「同居していない親族 草薙慎二」。


 三男。志織の弟。


 なぜ善造ではなく慎二なのか。善造は令和三年の時点でまだ存命だ。七十五歳。届出の義務は同居の親族が優先される。善造が届けられなかった理由があるのか——あるいは、善造は三度目の「一郎の死」を知らなかったのか。


 死因は「外傷性くも膜下出血(交通事故)」。六十四歳。


 転落、病死、交通事故。三度の死に、共通点はない。年齢だけが正確に加算されている。死んだはずの男が歳を取り続け、別々の場所で別々の死に方をした。


 角田は三枚の届出人欄を並べた。一枚目と二枚目は善造。三枚目は慎二。ここまでは、届出人が変わっただけに見える。


 だが角田の目は、文字そのものに向いていた。


 一枚目の届出書。昭和六十二年。手書き。善造の署名。筆圧が強く、癖のある楷書。「善」の字の三画目が長い。


 二枚目。平成二十六年。同じく善造の署名。


 同じ名前。同じ「善造」の二文字。だが——。


 角田はペーパーナイフの先で、二枚の署名の「善」の字を交互に指した。


 三画目の長さが違う。


 昭和六十二年の「善」は、三画目が横に長く伸びている。平成二十六年の「善」は、三画目が短く、代わりに縦の払いが深い。二十七年の歳月で筆跡が変わることはある。老いによる筆圧の低下、震えの増加。だがこれは、そういう変化ではなかった。文字の骨格が違う。「善」という字の組み立て方そのものが、一枚目と二枚目で異なっている。


 同一人物の署名とは思えなかった。筆跡鑑定の専門家ではない。断定はできない。だが角田は、何千枚という書類を見てきた。人間の筆跡には、意識して変えられない「骨」がある。この二枚の「善」は、骨が違う。


 角田は椅子の背に体を預けた。天井を見上げた。事務所の蛍光灯が、かすかに明滅している。


 一枚目の届出人「草薙善造」は、本物の善造だろう。昭和六十二年、息子の認定死亡を届け出た父親。


 二枚目の届出人「草薙善造」は——誰だ。


 善造の名前で届出書に署名した、別の人間。平成二十六年。善造は当時六十代後半。存命だったはずだ。なぜ本人が署名しなかった。なぜ他人が善造の名前で届け出た。


 角田は赤ペンを取った。二枚目の署名の横に、小さく書き込む。


 ——偽署名?


 そしてその下に、もう一行。


 ——届出人が「善造」を名乗った人物は、一郎の死を「作った」人間か。


 角田は携帯電話を取り出した。三度のコールで繋がった。


「おーう、どした角田。金なら貸さねえぞ」


「黒田さん。秋田に行きます」


「おー、届いたか。明日の新幹線でいいか? 俺、今日は大井競馬があるんだわ」


「……好きにしてください」


「よっしゃ、じゃあ明日な。秋田って何がうまいんだ、きりたんぽか?」


 角田は電話を切った。


 机の上の三枚の届出書のコピーを、もう一度見た。昭和の手書き文字。平成の手書き文字。令和の手書き文字。三つの時代の、三つの筆跡。


 角田はペーパーナイフを机に置いた。ガード下で食った純レバ丼の鉄の味が、まだ舌の奥に残っていた。

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