第1話 夜の薬匣
皇宮の薬匣に灯るのは、夜の薄い光だけだ。
私、莉里は棚の隙間からそれを眺めて、誰が薬を救いに使い、誰が毒にするかを考える。今日も誰かの「病」が、誰かの嘘に隠されている――私の仕事は、それを見抜くことだ。
「莉里、初めての調合だぞ」
背後から声をかけられ、私は振り返る。蒼川医師。温厚な顔の下に、深い秘密を抱えた瞳が光る。
「はい……」
小さく答え、机に並べられた薬材を確認する。今夜の依頼は、宮廷内で咳が止まらない少女の処方。病は単純だが、原因は不明だ。
棚から乾燥した草根を取り出し、私は匂いをかぎ分ける。微かに薬草の香りに混じる、異質な甘い匂い。
「……これは、普通の風邪ではありません」
蒼川医師の眉が一瞬上がった。
「莉里、何か見つけたのか?」
「はい。咳の原因は、使用されている薬の混入です。混ぜ物は、普通の薬ではありえない……」
そのとき、棚の隙間で小さな影が動いた。阿助、図書番の少年だ。彼は私の目を盗んで、紙切れを私に渡す。
「莉里さん、これ……」
手に取ると、内廷の使用人が口にした言葉と一致する数字の書かれた紙。薬の量を操作した痕跡だ。
「やはり……」
微かな痕跡から、誰が何のために薬を混ぜたのか、理由までは分からない。しかし、事件の糸口は確かに存在する。
夜の薬匣は静かだ。だが、ここで見つけた小さな異変は、やがて帝都全体の陰に絡むものになる――そんな予感を、私は静かに胸に抱いた。
「まずは、この小さな事件を解くことから始めましょう」
棚の灯りに照らされる薬瓶を前に、私はそっと心で決意する。
――薬は命を救う。だが、嘘もまた、薬のように人を傷つける。
小さな薬師の、宮廷での初仕事は、こうして静かに幕を開けた。