〜第三楽章〜 冒険の始まり
第3話。お待たせしました、冒険の始まりです。
まだ敵をぼこぼこにするとか、そういうことはないけど。
それからというもの、ルイは毎日夜に森へと行きました。
お母さんには、「友達ができたから夜に遊びに行きたい」と言いました。
当然お母さんは「え?夜遊び!?」と戸惑うわけで、どういう友達なのか根掘り葉掘り聞きました。夜じゃなくて昼間に行きなさい、ととがめもしました。
しかしルイも、昼間に遊びに行くわけには行きません。学校がありますし、明るいうちにのこのこ行って人間の魔法のえじきになるのはごめんです。
「いろいろあるみたいでね、遊ぶと怒られるお家みたいなんだ。だから夜に行かせてよ」
そう案外間違ってもいない(もしフェリネの両親にルイと遊んでいることが知られたら、さぞ怒られることでしょう。フェリネは人間で、ルイはおおかみ男なのだから)言いわけを話すと、お母さんはしぶしぶ了承しました。
「八時までには帰ってきて、母さんたちと晩ごはんを食べること!」
という条件つきではありましたが。
フェリネのほうも許可が取れたのか、あるいはこっそり抜け出しているのか、二人は毎晩夜に会うことができました。
二人で待ち合わせのあの開けた場所に集まって、二人はいろんな話をしました。
ルイはよく、ガルノア学院の話をしました。
「ぼくはガルノア学院っていう魔物の学校の一年生なんだ。魔法とか武道とか、いろんなことを勉強するんだよ」
フェリネはよく、自分のお城のことを教えてくれました。
「わたしは家庭教師に教えてもらうの。この前は火をつける魔法ができるようになったの」
違う点がたくさんある二人。しかし同じなところは、二人とも魔法を使うということです。
ただ魔物の言う『魔法』と人間の使う『魔法』は少し違います。魔法を使い始めたのは魔物で、それを真似したのが人間だからです。そのため魔物が用いる方が複雑だとか、人間は使うときに杖を使うとか、そういう差異が出てくるのです。
それでも両方とも、魔法なのです。
その違いを人間と魔物の二人で分かちあうのは面白いものでした。
「炎魔法か、いいよね!ぼくは氷魔法が得意なんだ」
「そうなの!わたし、氷はちょっと……」
そう笑いあったり、実際に魔法を使ってみたり。氷の虎と炎の龍がぶつかりつららと火花を散らすのを見るのも二人は大好きでした。
しかし。
結局ルイもフェリネも、二人でいられたなら何だってよかったのです。
だって二人は親友だから。
ある日フェリネはこう言いました。
「ここにきてるのは、別荘に遊びに行ってるからって言ったよね。だからわたし、もう少しで会えなくなるの」
「えっ……」
ルイはぺたんと耳を伏せました。フェリネと会えなくなるなんて、想像するだけでさみしくなってしまいます。
しかしフェリネは隣の国の人間。そう簡単に会える相手ではありません。
それなら、どうしよう?
「……ねえ、ぼくがおおかみじゃなくて人間だったら、お城にいる時も会えたかな?」
そう聞いてみると、フェリネは少し考えて答えました。
「……そうだね。ルイが人間だったら、お父さまたちにも隠さず言えるから。それに友達って言えばきっと兵隊たちも通してくれると思うよ」
ルイはぴんと耳を立てました。
それなら。
「じゃあぼく、人間の姿が取れるように頑張る」
ルイはきっぱりと言いました。
フェリネが目を丸くします。
「そんなことできるの?」
ルイは頷きました。
魔物の中には、たぬきや狐などの化けることができるものがいます。おおかみ男は何にでも姿を変えられるわけではありませんが、練習を積めば人間の姿になることができました。
それは一年生にとってはあまりに難しいこと。大人のおおかみ男だって人間に化けられないひとはいるのですから。
でも、友達のためならきっと頑張れます。
「人間に化けても、ぼくだって気づいてね」
そう言うと、フェリネは「当たり前でしょ!」と返してくれました。
フェリネという友達ができてから、ルイは少し変わりました。
前はあれだけ人間を嫌っていたのに、少しだけ前向きな考え方をとるようになったからです。
何でも決めつけて相手のせいのするのではなくて、自分にも非がないか考えてみる。それをルイはフェリネから学びました。
そんなルイが好かれないはずなどありません。
昼も、夜も、ルイはずっと大好きな仲間に囲まれながら毎日を送っていました。
◇◇◇
そんな、ある日。
「やったっ!」
ルイの部屋から犬が吠えるような歓声が聞こえてきました。
鏡に映っているルイは、いつものおおかみが二本足で立ったような姿ではありません。銀色のふわふわの髪に小さな手足、そして大きな青い目を持った人間の少年の姿です。
ルイはようやく、人間の姿を撮ることに成功したのです。もちろんまだ不完全で、気を抜くと尻尾や耳が出てしまうけれど、一年生にしたら上々の結果です。
成功したときには、ルイは小おどりして喜びました。
「今日の夜、フェリネに見せなくちゃ!」
そう意気込んで、もう一度鏡で姿を眺めたルイは嬉々として出かける準備を始めました。
しかし。
「フェリネ?」
待ち合わせ場所で、時間になってもフェリネは現れませんでした。
もうお城に帰ってしまったのかと思いましたが、帰る日がいつかは聞いています。その話が嘘でないならば、まだフェリネは帰っていないはずでした。
それに、前フェリネがお父さんだと話していた男のひとや家来たちはちゃんといるのです。
胸の中に言いようのない不安がよぎりました。
(フェリネ、どうしたんだろう?)
ルイは茂みの中にそっと隠れて、様子を伺いました。
その時。
「おい、君。そこで何をしてるんだ」
こちらをとがめるような声にルイは飛び上がりました。
ぱっと後ろを向けば、そこに家来の一人と思しき兵隊が一人立っています。どうしてこんなところに子どもがいるのか、と訝しげな目を向けられて、ルイは慌てて立ち上がりました。
「あっ、えーっと。ぼく、フェリネの友達で。今日会えなかったから、心配で来たんです」
そう言うと、ああ、と兵隊は納得した声を出した。ルイは思い切って聞いてみました。
「あの……フェリネは?どうして会えないのですか?かぜでも引いたんですか?」
兵隊は一瞬迷ったような顔になったが、やがて教えてくれました。
「……いや。もう俺らは城に帰るし、帰ってもきっと会えない。諦めたほうがいいぞ」
「え……?」
ルイは思わず目を瞠りました。思わず聞き返します。
「どういう、ことですか?何で会えないんですか?」
兵隊は表情をいっさい変えないまま、言いました。
「姫は、国の奥に幽閉される。魔物とかかわりを持ったらしいからな」
ルイは、目の前が真っ暗に染まったような感覚に襲われました。
幽閉って何なのか、最近教えてもらった。
どこかに閉じ込めて、出られないようにすること。自由を奪ってしまうこと。
姫が、フェリネが、幽閉。
ぼくと、友達になったせいで。
そう知ると、もう耐えられませんでした。
ルイはほとんど本能のままに、変化の術を解きました。人間の少年がおおかみ男の子どもの姿に戻ります。
「えっ、お前、まさか!魔物……!!」
兵隊が慌てて杖を構えるも、おおかみの足には叶いません。ルイは耳を風のようにひるがえし、あっという間に消えていきました。
お前のせいで。
お前のせいで、フェリネは自由を失ったんだ。
その言葉が、呪いのようにしがみついて離れませんでした。
◇◇◇
ルイは、いてもたってもいられない気持ちでした。
どうすればいい?どうすれば助けられる?どうすれば謝れる?
その答えは一つでした。
フェリネを助け出す旅に出ること。
それだけです。
学校のことは心配しなくてよいのです。もうすぐ長期休みに入りますから。
でも、お母さんたちには何と言いましょうか?
『人間の友達が今大変なんだ。助けに行ってくる』
そうばか正直に告げたところで、正気を疑われるかとがめられるかするでしょう。人間と仲良くする魔物などいないのですから。
しかもお母さんは、実の父親の足を人間に奪われているのです。きっと息子が人間を助けに行くなんて、とうてい許せないに違いありません。
でも、見捨てるなんて選択肢はなくて。
(どうしよう……)
ルイはもんもんと悩みました。
その時。
「ルイ。どうかしたのかい?」
優しくしわがれた声がかけられました。
「じいちゃん」
ルイはその顔を仰ぎます。
そこにいたのは、ルイのおじいちゃんでした。片足だけの足を引きずり、銀色のひげの下にある口を笑顔の形にして、こちらを見下ろしています。
ルイはふと思いました。
どうすればいいのか、じいちゃんに聞いたらわかるかもしれない。
ルイは肝心なところを隠して、そっとうちあけました。
「今……今、ぼくの友達が大変なことになってて。ぼく、助けに行きたいんだ。でもその子がいるところはね、遠いし危険なところだし、母さんに言ったっていいって言ってくれるわけないようなところなんだよ。……ねえ、ぼく、どうしよう」
青々とした瞳でおじいちゃんを見上げます。
おじいちゃんは小さく耳を揺らしました。そっと問います。
「……その友達は、人間かい」
「っ!」
ルイは思わず目を瞠りました。ごまかそうにも、優しくもまっすぐなその瞳に口を閉ざされてしまいます。
焦るまま何とか言いわけを口にしようとしたとき、ふっとおじいちゃんが微笑みました。
「焦らなくて大丈夫だよ、ルイ。私たちは仲間だよ。……私にも、人間の友達がいたから」
「えっ」
ルイは驚いてその顔を仰ぎました。おじいちゃんのりんと聡明な黄色い瞳は、どこか遠く────過去を見つめていました。
「そいつとはね、戦争中に偶然仲良くなった軍人だった。そりゃ、私だってはじめは人間なんてと思ってたけどね、そいつは明るくて優しくて。いいやつだったよ」
明るくて優しい、いいやつ。フェリネと一緒です。
フェリネも人間だけれど、とてもいいひとでした。
物思いにふけるルイに、おじいちゃんは微笑んで片足を指さします。
「そういえば。実はこの足はね、そいつを庇って受けたものだったのさ」
「えっ!」
「人間から攻撃を受けたなんて、お前の母さんが勝手にそう言っただけだ。私は自分の意思で、足を無くしたのだよ」
「……」
ルイは黙りこみました。
一つ、覚悟が決まった気がしました。
相手が魔物だろうが人間だろうが、友達は友達で、守るべきであることには変わりない。
それならどうしてこんなところで、ぐずぐずとしている暇があるのでしょう。
ルイは強い瞳で、おじいちゃんを見上げました。
「じいちゃんと話して、気持ちが固まったよ」
祖父と同じりんとした瞳が、明るく輝きます。
「ぼくは、友達を────フェリネを助けに行く」
大切な友達を取り戻す、旅に出るんだ。
おじいちゃんは優しく笑いました。
「ああ。それがいい。母さんには私がうまく言っておこう……ああ、そうだ」
おじいちゃんははっとした顔になって、たんすのもとへと駆け寄りました。ごそごそと何かを探し、そして目当てのものを引っ張りだします。
「私も子どものころ、お前のように冒険に出たことがあってね。そのときに、私を守ってくれたお守りを貸そうか」
その手に握られていたのは、紺色の小さなコートでした。
古そうなものではありますが手入れはきちんとされていて、汚れもほつれもありません。至ってシンプルなコートでしたが、一つ胸元にかわいらしい白い馬の刺繍がつけてありました。
「これが、お守り?」
お守りって聞いたから、宝石や人形を出してくると思ったのに。
そう思って聞いてみますが、おじいちゃんは何も教えてくれませんでした。
「いつかわかるさ」
しわの刻まれた顔が、愛おしそうに緩んでいました。
そして、次の日。
学校の長期休みが始まったその日に、ルイは家を発ちました。
かばんには食べ物と魔法薬、着替えにお菓子。その身にまとうのは、風にひるがえる紺色のコート。
お見送りは、おじいちゃんがしてくれました。
「行っておいで」
おじいちゃんの優しい声。
ルイは元気いっぱいに頷きました。
「いってきますっ!」
それは、朝日ののぼる早朝。
モンステラ帝国の奥、フェリネが囚われる場所と輝かしい勝利を目指し、ルイの冒険が始まりました。
◆◆◆
ここはモンステラ帝国の奥の奥、オルカ牢獄。
重罪を犯した貴族たちが入れられる恐ろしい牢獄です。
モンステラ帝国の帝王へルクはその中に泣き叫ぶ娘を入れたのち、とある兵隊の話に目を瞠りました。
「王女をたぶらかしていたけだものは、おおかみ男なのか……!?」
それは、偶然に二人を見ていた兵隊の証言でした。
フェリネの叫び声がします。
「やめて、お父さま!違うっ!違うわ!」
かん高い叫び声に聞こえぬふりを決め込んで、へルクはその兵隊と向き合いました。
「それはまことか」
「はい。王女があの別荘を離れたときにやつがやってきて……あれは間違いなく、おおかみ男の子どもです。おそらく、あの近くに住んでいるものかと」
きっとへルクの瞳が鋭くなりました。
「そうか……有害な芽は摘んでおくべきだ。あそこに兵を向かわせるか」
さっさとそのおおかみ男のがきを殺してしまおう。子どもであるし、そうそう手はかかるまい。
そう思ったとき。
「陛下、それはご英断とは言いがたいですね。やつはきっと、フェリネ王女を奪いにこちらまで攻めてきますよ」
新たな声がかかりました。
「ああ、お前か、サイラス」
帝王がそちらをちらりと見ます。ふっと短く息を吐きました。
「ではどうすればよいというのだ」
「簡単ですよ」
“サイラス”は、にこりと笑いました。
「僕がなぶり殺してやりますよ。けだもの退治は得意ですから」
その笑みには一体、どんな感情が含まれているのか。
それは、誰にもはかり知ることはできませんでした。