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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

教皇暗殺事件とカストラート

作者: 北白 純

教皇暗殺事件とカストラート



「…特に事件も起きないし、一度故郷に帰省するかな?」


ジョエル兵隊長が街のカフェで昼食を食べながらつぶやいた。


ジョエル隊長はサンヌヴィアラ市国の教皇庁の衛兵だった。


サンヌヴィアラ市国の教皇庁はハーティエ教の総本山であり、教皇のクレモンテ1世が治めている。


しかし警備は中立国のフォールンド共和国に任せていた。


教皇庁の衛兵は100人ほどおり、すべてフォールンド共和国から派遣された傭兵である。


ジョエル隊長はまだ若いが黒髪であご髭を生やしていて、休日中も警備用のプレートメイルとサーベルを装備していた。





近頃教皇庁は何事もなく平穏だったので、ジョエル隊長は休暇をもらっていた。


あくびをしていると、突然部下のティムがカフェに入ってきた。


「大変です、ジョエル隊長!」


ティムの話によると教皇のクレモンテ1世が殺害されたらしい。


ジョエルは急いで現場にかけつけた。



クレモンテ1世は彼の寝室で胸から血を流してベッドの上で死んでいた。


何者かにナイフのような物で刺されて殺害されたようだった。


凶器はその部屋から見つからなかった。




(これは暗殺ではないのか?)


教皇庁内部では憶測が飛び交い、騒ぎになっていた。


ジョエル隊長はクレモンテ1世が死んだのは暗殺であると疑い、聞き込み調査を開始した。



教皇はほぼ無抵抗に見えるのと寝室で亡くなっていたことから、


深夜に寝室に入れるような教皇に近い人物、親しい人物の犯行ではないかとジョエルは思った。


そこで、次期教皇有力候補だと囁かれる二人の枢機卿に会ってみた。


枢機卿というのはハーティエ教会における教皇の最高顧問で、教皇の職務を助けており、全員で12人いた。



候補の一人はエルマルコ・モローネ枢機卿。名門モローネ家出身で、貧民救済のために多くの貢献をしている。


いつも穏やかな笑みを浮かべていて人望が厚い。



もう一人はゴスティト・コンティ枢機卿。


彼はエルマルコに対抗して他の枢機卿たちに取り入り、派閥を作っていた。


壮年で醜悪な顔つきをしており、次期教皇の座を狙っているようだった。




ジョエル隊長はティムを連れて、まずエルマルコ枢機卿に会いに行った。


エルマルコ枢機卿は快く質問に答えてくれた。


彼は枢機卿の証である青い礼服を着ていた。


エルマルコは教皇が殺された夜、自室に一人でいたと答えた。


「教皇に恨みがある人物に心あたりはありませんか?」


ジョエルは尋ねた。


「いいえ…さっぱり見当もつきませんな。お役に立てなくて申し訳ない」


ジョエルはとりあえず部屋を出た。


エルマルコにはアリバイがあるようでないとも言える。




次にジョエルはゴスティト枢機卿の部屋に行った。


しかしドアの前でゴスティトの側近に阻まれてしまった。


「ゴスティト様はお会いになられない!」


「しかし、形式的な質問をするだけですので…」


ジョエルは食い下がった。


「ゴスティト様を疑っているのか?無礼な者たちだ!」


「しかしですね…」


すると側近がニヤリと笑った。


「いいことを教えてやろう。教皇には愛人がいたんだ。聖歌隊のカストラートだ」



(『カストラート』…?)


カストラートとは10歳前後の変声期前に男根を失った、歌い手たちのことだ。


聖歌隊に女性が入ることは禁じられていた。


その代わり女性のような高音を出せる声変わり前の少年を使っていた。


そのうちに去勢されるようになり、成長しても女のような美しい声と男のような力強い声を出せるようになった。


両性具有である天使のような高く美しい声が出せる男…。


ただしそれは人工的なものであった。



そのカストラートが教皇を殺害したというのだろうか?


男としての尊厳を奪われて、教皇に恨みがないとは言えない。




教皇の葬儀が礼拝堂で行われ、聖歌隊がレクイエムを歌った。


ジョエルは聖歌隊の中にカストラートがいるのを認めた。


カストラートはまだ少年だった。金髪でローブを着ており、背中に天使のような翼をつけている。


翼は白い鳥のはく製だった。


カストラートの歌声はソプラノで、まるで天国にいるようだ。


思わず聴き惚れてしまう。



葬儀が終わった後、ジョエルとティム、カストラートの少年と3人だけになった。


「僕はアスフェルと言います。よろしく」


カストラートの少年アスフェルを間近で見たとき、ジョエルは息を飲んだ。


ステンドグラスの光が少年の金髪や肌に当たってキラキラしていた。


本当に天使のようだった。


アスフェルはまだ15歳だった。中性的で少女にも見える。


ジョエルは咳払いをして質問を始めた。


「あなたは教皇が殺害された夜、どこにいましたか?」


アスフェルの顔がこわばった。


「…僕は自分の部屋にいました」


「単刀直入に言うが、君は教皇と愛人関係だったそうだね?」


ティムが訝しそうに少年を睨んで割り込んできた。


「ティム!よさないか」


アスフェルはさっと顔が青くなった。


しばらく黙った後、口を開いた。


「…そのとおりです。でも僕は教皇を殺していません」


「実はその夜…部屋にいたとき、何者かに後ろから殴られました。


僕が気づいた時には朝になっていました。クローゼットから僕の聖歌隊のローブが一着無くなっていました」


「そのあと、教皇が殺害されたことを知りました」


「すると、誰かがあなたになりすまし、教皇が殺害されたと思っているのかね?」


ジョエルが聞いた。


アスフェルはうなずいた。


「白々しい。君が殺したんじゃないのか?」


ティムがアスフェルに詰め寄った。


「ティム、よすんだ。アスフェルさん、しばらく部屋を出ないように協力してもらえませんか?」


アスフェルは不安そうな顔で了承した。



ジョエルとティムは足早に教皇の寝室に向かった。


「隊長、早くあの少年に自白させましょうよ!」


「まだだ、彼が殺したという証拠が見つかっていない。凶器も彼のローブも彼の部屋から見つからなかった」


「まったく、隊長は美少年に弱いんだから…」


「なんだと?」


「いえ!」



ジョエルは教皇の寝室をもう一度丹念に調べた。


本棚が並んでいたが、そのうちの一つが少しずれていた。


もしかしたら…と本棚を手前にずらした。


すると、本棚の奥に通路があった。


「隊長…!」



関係者の話によると、通路は市国の外部へとつながっているらしい。


教皇が万が一の時、身を隠すためだ。


「犯人の目撃者はいないし、犯人はここから逃走したかもしれんな…」




ジョエル隊長とティムは街に出てカフェで昼食を取った。


「俺はカストラートの少年が怪しいと思うんですがね…」


ティムが口をもぐもぐさせながら言った。


「なになに?カストラートですって?」


カフェの女給が身を乗り出してきた。


「カストラートのことを知っているのか?」


「ええ。カストラートはもともと貧乏な農民家庭出身よ。


男の子をお金のために密かに去勢して、歌手として養成したのよ」


「うーむ、アスフェルの出身地に何か手がかりがあるかもしれん」


ジョエルがあご髭を撫でた。



ジョエルとティムはアスフェルが生まれた村へ向かった。


二人は村でカストラートについて聞き込みをした。


村人たちは口が堅かったが、ぽつり、ぽつりと話し始めた。


女給が言ったとおり、貧しい農村は自分の息子を去勢してカストラートにしようとしていたようだ。


歌手として成功すれば大金持ちになる。


しかし、必ずしも歌手として成功するとは限らなかった。


失敗すれば村に帰って来て、「男ではない男」として人々から嘲笑され、侮蔑される人生を送ってきた。




聞き込みを続けるうちに、ジョエルはカストラートになれなかった少年の存在を知った。


アスフェルの親友で、エドモンドと言うそうだ。


エドモンドは自宅のそばで畑仕事をしていた。


「どなたですか…?」


「教皇庁の衛兵だ。君に聞きたいことがある」


「‼」


エドモンドは顔が青くなった。そして鍬を放って逃げ出そうとした。


「ティム!捕まえろ‼」


ティムはエドモンドを取り押さえた。



そしてエドモンドの自宅から、血の付いたナイフとローブが見つかった。


なるほど、エドモンドはアスフェルに背格好が似ている。


「教皇を殺害したのは君だな?」


ジョエルはエドモンドを逮捕した。




ジョエル隊長はエルマルコ枢機卿、ゴスティト枢機卿、アスフェルに礼拝堂へ集まるように言った。


ゴスティト枢機卿は呼びつけられて不服そうだった。


「ティム、エドモンドを連れてこい」


ティムは手錠をはめたエドモンドを礼拝堂に連行してきた。


「エドモンド!」


アスフェルはエドモンドの顔を見て叫んだ。


エドモンドは苦虫を噛み潰したような顔でアスフェルを睨んだ。


「エドモンド、なぜ教皇を殺害したのかね?」


ジョエルは尋ねた。


「…俺はアスフェルが歌手として成功しているのが憎かった。俺はカストラートになれなかったんだ…」


「それで、アスフェルに罪を着せようと?」


「ああ…」


「エドモンド…!」


アスフェルが震えた声でエドモンドに近寄った。


「触るな‼」


エドモンドが恫喝し、アスフェルは手を引っ込めた。


「これで犯人は決まったな。教皇殺害は死刑だ。わかっているな?」


ゴスティト枢機卿がエドモンドにそう言った。


「待ってください、エドモンドを教皇の寝室へ手引きした者がいます」


ジョエルが言った。


「これを見てください」


ジョエルは凶器のナイフを皆に見せた。


「このナイフにはモローネ家の紋章が刻まれている。エルマルコ枢機卿、手引きしたのはあなたではないですか?」


穏やかなエルマルコ枢機卿の表情が一変し、鬼気迫る顔で言った。


「エドモンド…あれほど凶器を処分しろと言ったのに…!」


「エルマルコ枢機卿、あなたがエドモンドに指示したんですか?」


アスフェルは震える声で聞いた。


「…すべては教皇庁の改革のためだったのだよ。教皇は信者からの寄付を遊蕩に使い、愛人を多数囲っていた。


このままではハーティエ教会は腐敗し堕落してしまうだろう…と思った」


エルマルコ枢機卿は観念したように告白した。


「エドモンド…なぜ君が教皇を殺したの?」


アスフェルが悲しい目で尋ねた。


「俺は…あんたがカストラートとして成功したのが羨ましかった。


俺は歌手になるのに失敗し、貧しいままで、体は普通じゃないし、みんなから差別されてきた。


でもエルマルコ様は俺たちの村を援助してくれた。俺の苦しみを聞いてくれた。


だから俺は決めたんだ。エルマルコ様のためなら何でもするって…」


「エドモンド…!」






エルマルコ枢機卿とエドモンドは教皇殺害の罪で死刑になるはずだったが、


エルマルコは周囲の人望が厚かったので死刑を免れた。


『罪を持って罪を裁くことは殺人である』との声が上がり、二人は終身刑となった。



礼拝堂でアスフェルはひとり、壁一面に描かれている天使たちの絵を見つめていた。


「アスフェル、ここにいたのか」


ジョエルが一人でアスフェルのそばへやってきた。


「ゴスティト枢機卿が次期教皇になり、カストラートの悪しき風習は禁止にするそうです。


僕はこれでもうお役御免です」


「これからどうするんだ?」


「僕は故郷の村へ帰って、村を助けて生きていくつもりです」


「そうか…それは気の毒だったな」


アスフェルは首を振って微笑んだ。


「いいえ。これからは無理にカストラートになって苦しむ子がいなくなりますから、これでよかったんです」





1か月が経ち、アスフェルは故郷の村で畑仕事をしていた。


粗末な服を着て、汗を流しながら。


ちょうどそこへジョエルがやってきた。


「ジョエルさん…」


「君の村を手伝いに来た。衛兵はもうやめたよ」


「どうして…?」


突然ジョエルはアスフェルを抱きしめた。


「…俺は君の容疑を晴らしたかったんだよ。いつの間にか私情を挟んでた。君が好きになってしまったんだ。


責任取って衛兵はやめたよ」



______二人で罪を背負っていきたい____



ジョエルはアスフェルに囁いた。


アスフェルは涙を流してジョエルに抱きついた。



穏やかな日差しが二人に降り注いでいた。

















教皇暗殺事件とカストラート

著者 北白 純

発行日 2021年1月23日


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