1040 *マルセス2* 上
あぁ恐い。本当に恐い。この令嬢が恐ろしくてたまらない。王城の狐どもが可愛く思えてくる。真の闇が、恐怖が、少女の形になったかのような存在である。
チェレミー嬢は、わたしの意図も立場も苦境も完璧に理解している。ロイを見た瞬間に動いてくれた。こちらが望むことを完璧にしてくれた。完膚なきまでロイの心を挫いてくれた。
これまで優秀な弟を恐れていたが、チェレミー嬢と並ぶとロイのなにに恐れていたのかもわからなくなった。格があまりにも違いすぎる。わたしの人生が笑えてくるよ。
わたしに配慮しつつロイへの気遣いも忘れない。大半がお世辞だろうが、それでも矜持は砕かないでいてくれた。こんなこと、チェレミー嬢にしかできない芸当だろうよ。
闇のような存在なのに悪意はまったくないときている。貴族として当たり前のことを当たり前のようにしている。にも関わらず誰も損はしていない。双方に利しか与えていない。まるで狐につままれたようである。
「ジーヌ家の人材の豊富さには感嘆するばかりです。ジーヌ家の血をカルディム家に注がれることが幸運でしかありませんわ」
そんなことはない。タリールは親族ではあるが、直系ではない。精々血族がよいところだろう。本当ならわたしの娘を嫁がせるべきなのだ。悲しいかな、息子しかいないがな……。
チェレミー嬢もそれはわかっている。直系なんてもらえばカルディム家としても困るだろう。家柄が離れすぎているのだからな。混乱の種となるだけだ。
ましてやタリールは聖女かもしれない。守護聖獣がいるコルディーで聖女など異物でしかない。狐たちが許容できる存在ではないはずだ。
なのに、チェレミー嬢はタリールをカルディムに嫁がせることを提案してくれた。圧倒的に不利でしかないのに、だ。
チェレミー嬢の真意はわからない。その圧倒的な不利を優位的な利に変えられる手があるのだろう。
天才とは違う。怪物とも違う。もっと重厚なものが築かれた人間を超越した存在。幼少の頃、名宰相であったお爺様が思い浮かんでしまう。
……それでもまだチェレミー嬢のほうが濃いがな……。
「公爵様に覚悟があるならわたしの名を使ってロイスタン様を王城に送り込んでくれても構いませんよ。ジーヌ家とわたしの名を使えば王子の側役にはなれるでしょう。あとは、ロイスタン様のやる気と実力次第。異質が跋扈するところで鍛えるとよいでしょう」
無理だ! と言えないのが辛い。まさにジーヌ家の力とチェレミー嬢の名前があればロイを側役にはできる可能性は高いのだからな。
「ロイ。家を出て、広い世界に出てみるか?」




