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悪魔のウイルス

2028年8月4日

ブジウイルス対策委員会 

製薬開発研究主任 藤原克彦 死去

首吊りによる自殺と見られる。


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2022年2月24日

インド、グジャラート州のブジにて男が妻・娘を含む計4名を殺害する事件が発生。男は地元の警察により射殺される。

その際、男は素手による殴打・噛みつき等で殺害したと見られる。

この事件が確認されている『ブジウイルス』による被害の第一号とされている。


2022年3月15日

グジャラート州を中心に同様の事件が頻発する。

調査の結果、新たに発見されたウイルスに感染した者が脳炎を発症し、大脳に異常を起こした結果、理性を失っている事が判明する。

その感染力と異常性からWHOは警戒レベルを5に認定、パンデミックの発生が認められる。

発生地からそのウイルスが「ブジウイルス」と命名される。


2022年4月13日

アメリカ、フロリダ州マイアミで女性1名のブジウイルス感染が確認される。


2022年5月

アメリカ、中国、日本、イギリスなど世界各国で感染が確認される。

各国はロックダウン等により、ウイルスの封じ込めを図る。


2022年7月

潜伏期間の長さ、感染力、そして感染者が暴走するという性質上、感染防止は非常に困難を極め、各国で爆発的な感染者数増加が起こる。

また、発生国であったインドでは政府機関がアメリカへ移動し、事実上の国家崩壊を迎える。

発生の確認からおよそ5ヶ月での国家崩壊は、各国に大きな影響を与える。


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「・・・・い、・・んせい、起きてください藤原先生」

体を揺すられて男はゆっくりと目を開ける。

腕の感覚がない、どうやらまたやってしまったようだ。

「ん…、すまない、気づいたら寝ていた」

男はゆっくりと机から頭を上げて、伸びをする。枕代わりに使われた腕は解放されるが否や徐々に感覚を取り戻し、痺れを起こす。

「先生、ひどい顔していますよ。お部屋に戻られてはどうですか」

事務の女は困り顔で男にそう勧める。

「そうだな、少し休ませてもらうよ」

男はゆっくりと立ち上がると、重い足取りで自身の部屋へと戻った。


座る、というよりは脱力し、男はベッドに腰をかける。

男の名は藤原克彦、研究所では先生と呼ばれている。

「もう7月か....」

PCを見てそう呟いた。


克彦は「パンデミック前」、日本製薬研究の第一人者と呼ばれていた。

ブジウイルスによるパンデミックが起きた後、一時は自宅のあった東京都港区の隔離施設に避難していたが、政府からの要請を受け、ブジウイルス対策委員に参画する。

それからおよそ8年間、ほとんどの時間をこの研究所で過ごし、治療薬とワクチンの開発に尽力してきた。

もちろんこれまでも自身の持てる知識・経験の全てを研究に費やしてきたつもりだったが、ここ半年はさらに目の色を変えて働いている。

理由は2つ。1つは治療薬の開発に光が見えた事。

ブジウイルスが確認されて早8年、ようやくマウスでの実験で成功を収めたのだった。

これは世界初の快挙であり、歴史的にも類を見ないこのパンデミックの終息を期待し、世界中の目が向けられている。

2つ目の理由は、半年前に娘の梨花がブジウイルスに感染した事。

幸い、マウスでの実験が成功した後だった事や、初期症状で発覚したため、現在「収容所」に入っている。

フジウイルスの感染者は初期に認知症のような症状が見られる。その後感染が進むと脳炎により大脳に異常が見られ、徐々に理性を失い、人などを見境いなく襲い始める。

ただこの「感染者」は理由は判明していないものの、暗闇では活動を停止し、冬眠のような状態に陥る。

この性質から政府は、初期症状で感染が発覚した患者が感染が進んだ段階で収容所に収容し、暗闇におく事で静観してきた。



娘と世界を救う、それだけが克彦の動力源であり、希望だった。

そしていよいよ来週には初の感染者に対する投薬実験が行われる予定だ。

克彦は数少ない家族写真を手に取り、思いを馳せていた。

妻をパンデミック前に乳がんで亡くした。死ぬ間際も妻はまだ幼い梨花を想い、私に託してこの世を去った。

その後すぐにパンデミックが起こり、世界は一変した。まだ幼かった娘はパンデミック前の世界のほとんどを覚えていないという。

梨花は今年で10歳になる。そんな幼い娘がウイルスと闘いながら半年もの間暗闇に置かれている。

必ず救う。克彦は写真立てを机に置くと、ライトを消しわずかばかりの眠りについた。

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2028年7月15日

ブジウイルス治療薬「R-3452」投与実験

被験者:田中哲二(22)

発症:2028年7月2日


「それではこれよりR-3452の投薬実験を始めます」

医師がそう告げると、周りのものは固唾を飲んだ。

モニター越しに見守っている克彦も気が気ではなかった。この実験が成功した暁には開発チームリーダーの権限でまず始めに梨花に投薬することが決まっている。

権力の濫用だと言われればそれまでだが、この8年間それくらいは許されると胸を張れるほど尽力してきた。

娘を救いたい、この実験に自信こそあれど、その思いで手が震えていた。


医師が麻酔で眠っている患者に試験薬を投与して3時間。

「心拍上昇、体温低下、いずれも正常値に近づいてきています」

「今のところ、異常は見られません」

数分おきに飛んでくる報告は全て「異常なし」であり、これは現段階での実験の成功を示す。

もちろんまだ予断は許されない状況だが、研究所はお祝いムードが溢れ出していた。

長い間人類史に分厚い雲を覆ったウイルスによるパンデミック。しかし人類の叡智はついにウイルスは克服する。

その瞬間にもうすぐ立ち会えると思うと、心が踊るのも克彦は理解できた。


そして....、投薬より26時間後、ついに男が目を覚ましたとの報告を受ける。

克彦や医師たちは慌てて防護服に身を包み、男の元へ向かった。

「田中さん、田中哲二さん。私の声が聞こえますか?理解できますか?」

万が一の事を考え、完全に拘束され、さらにガラス越しの部屋に隔離されている患者へ、声を投げかける。

田中哲二はゆっくりとこちらを向き、頷いた。

「は...い、き、きこえます」

フロアから歓声が湧く。克彦は溢れる涙も気にせず天へと吼えた。



だがまだ終わりじゃない。ここがスタートラインだ。

克彦はそう体に鞭を打つとすぐさま梨花が収容されている収容所へ向かった。

隔離エリアから収容所までの移動は安全を考慮し3日かかる。3日後には半年ぶりに「正常」な娘に会えると思うと、1週間はほとんど寝ていないはずだったが、この8年間で一番身体が軽かった。


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「先生、こちらへ来ていただけますか?」

看護師から呼ばれて、投薬を担当した医師である門脇勝は田中哲二の元へ向かう。

投薬実験から約80時間後、未だ体調面に異常は発生しておらず、また脳炎もほぼ改善しており、田中哲二はかなりの回復傾向にあった。

その彼が徐々にはっきりと話しはじめたので、門脇は呼ばれたのだった。

「田中さん、具合はどうですか?」

「はい、おかげさまで悪くないです」

田中哲二はまだぎこちなくではあるが、ゆっくりとそう答えた。

「そうですが、本当に良かったです。それではこれから田中さんにいくつか質問に答えていただきます。ゆっくりと答えられる範囲で構わないので、ご協力をお願いします」

門脇は同じくらいゆっくり、はっきりと田中に問いかけた。

田中は世界で初めてのビジウイルスを克服した人間であり、被験者でもある。入念な調査が必要だった。


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梨花に投薬されてから20時間。

バイタルに異常はなく、数値はどれも正常値に近づいて来ている。

克彦は一睡もせずに隔離部屋のガラス越しに娘を見守っていた。

そろそろ目を覚ましてもおかしくはない。抱きしめることはできないが、せめてその瞬間はそばにいてやりたいと思っていた。

研究所からのメールで田中の意識が明確になりはじめたと報告を受けている。実験は成功だ。


そして、梨花の右手がピクッと動いた。ついにその時が来たのだ。

パンデミック前を知らない娘、母を知らない娘、唯一の肉親である父にもほとんど会えず、さらにそれが当たり前で、世界はそういうものだと思っている。

違うんだよ、世界はもっと自由で明るいものなんだ、とずっと教えてやりたかった。

梨花の目は半年ぶりに光に触れた....。


梨花は体を横にしたままで、ゆっくりと克彦の方を向いた。

克彦は大粒の涙を流し、娘に微笑む。梨花は何も分かっていないような顔でじっとこちらを見ている。


次の瞬間。

梨花は聞いている人間の心を引き裂くような甲高い声で喚き、喚き、喚き.....

そして数分後に死亡した。死因はショック死だった。


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「R-3452 投薬実験レポート」

ブジウイルス治療薬「R-3452」投与実験

被験者:田中哲二(22)


2028年7月2日

被験者である田中哲二の感染が確認される。


2028年7月13日

感染の進行が進み、見境なく人を襲い始める。

麻酔で拘束後、本投薬実験の被験者に選ばれる。


2028年7月15日

「R-3452」の投薬を開始する。

バイタルサインに異常はなく、正常値への回復が見られる。


2028年7月16日

田中哲二の覚醒が認められる。

麻酔の影響と筋肉の硬直により、身体動作に軽度の麻痺が見られるが、その他目だった異常はない。


2028年7月17日

麻痺の回復が見られる。

田中哲二は確かにこちらも言葉に反応・理解し、的確に返答をしている。

徐々に話せるようになったため、いくつか会話をすると驚くべき事実が判明する。

田中哲二は感染が進行し、理性を失い人を襲いはじめた後も意識が残っており、麻酔を打たれるまでの記憶もあると証言した。

彼曰く「無理やり自分という乗り物に載せられて、自分の体が人を襲う姿を見せつけられているようだった」と話す。

これまで感染者は当然意識を失っていると見られていたが、仮にこれが田中哲二だけでなく、全ての感染者に当てはまる場合......、やはりこのウイルスは悪魔のウイルスと言える。


門脇勝


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『人道的に科学的実験こそ行われていないものの、人間は暗闇の中に長期間放置されると、数日で精神に異常を来たし、発狂する、と言われている』


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2028年8月4日

ブジウイルス対策委員会 

製薬開発研究主任 藤原克彦 死去

首吊りによる自殺と見られる。

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