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021

彼女の身体の一部を手にしてみたいとそう思った。

これまで写真や彼女の残り香を手にしたことはあったが、彼女そのものを手に入れたことは未だかつてない。だからきっとそれはとても自然なことで、私はさっそく実行に移すことにした。


標的はいくつも考えられると同時に、ずいぶんと限られる。

彼女に痛みを与えることは本意ではないから、痛覚の通わない場所だ。


真っ先に思いつくのは髪だろう。


夕焼けに浸る彼女の髪は暗いブラウンに暮れている。

彼女生来の艶やかな栗毛は軽くウェーブしていて、枝毛のひとつも見受けられないほど丁寧に手入れされている。繊維一本一本の隙間にもきっと彼女の色香が絡まっているだろう。水に濡れて開いたキューティクルからあれほどの香り立つのだから、彼女の毛穴にさえ染みついているに違いない。

それに触れるのはどこか畏れ多くもあるが、髪というのは女性の命とさえ語られる部位だ。

彼女の命の切れ端を持ち運べるのだと思うと、沸き立つものがある。

彼女のハーフロングの髪の毛から伝わる脈動はどんなに心地いいだろうか。

美の流体を指先に躍らせる心地を思い描けば、それだけで胸は張り裂けそうだ。

指先に残る彼女の残滓を舌に触れれば(とろ)けるほどに甘いはずだ。


けれど、だからこそ、まだなのではないかとそう思う。


彼女の髪の毛を切り取るというのは、高嶺が頂に咲く花を手折るが如き背徳の所業だ。

野の花を愛で、頂の雄大さを見上げ、山岳を乗り越え、霞に濡れ。

そうやって一つ一つを乗り越えるからこそ、その感動は極まるのではないだろうか。

すべてを省略できてしまう催眠アプリを有するからこそ、あえて段階を踏み彼女という幽玄の霊峰を攻略することに、趣が生まれるのではないだろうか。


であれば彼女に咲く野の花は一体どこだろうか。

ふとすれば通り過ぎてしまうような、けれど目を向ければとたんに世界が彩りを増すような、彼女の淡い色々の花。


それを見つけようとして、僕は彼女の身体をいろいろな角度から眺めた。


彼女の身体は隅々までもが愛おしい。

瑞々しく、麗しく、色めいて、華やかで。

いまや何のためらいもなく彼女の香りを直接鼻腔に堪能できてしまう。

これを成長と僕は呼ぼう。

この成長によって、僕は彼女を踏破することができるのだ。


どれほど卑しい姿であってもどうでもいい。

この光景を見ることのできる人間などいない。


この暁の閉塞に甘え、彼女の全身を、野犬の如く執拗に嗅ぎまわる。

僕の嗅覚は、彼女の匂いをその細やかな部位ごとに嗅ぎ分けることができた。

肌の細胞一つ一つをさえ香る。

彼女の身体を、芳香から思い描けるほどに、胸いっぱいに満たす。


そうしていれば、やがて僕は自然と、彼女という山脈のふもとに立っていた。


ふと見下ろせば、そこにあるささやかながらも愛らしい花に目が奪われる。

なんといじらしいことだろう。

僕はそれに優しく触れてみる。

とても小さく、けれど強く咲く野の花。

欲望のケダモノはこれを見初めた。

であればもはやためらいはない。


こういうこともあろうかと、持っていてよかった。


カバンから取り出した朱肉に、彼女の指を押しつけてもらう。

そうして、用意したメモ帳に、ぺたりと、彼女の指紋を、写し取った。


彼女の指紋のなんと愛らしいことだろう。

日本人には珍しいという弓状紋。

弓なりに重なるしわの隙間に染みた朱肉を、余すところなく、なんども、なんどもぺたりと写し取っていく。


彼女の指の全ては、やがてメモ帳の上にさらけ出された。

ウェットティッシュで拭ってやれば、ほんのわずかに赤らんだ肌だけが名残る。

ほんのわずかに赤くなったウェットティッシュに口づけをして、痺れるように紅をさす。


見上げる彼女はまだ気高い。


いつの日にか、これを見下ろす時が来るのだ。


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