目覚め
静まり返った部屋。
新しい家具などは特になくどれも丁寧に使いこまれ掃除も行き届いている。
狭くはないが薬草に関する書物がたくさん保管されており、部屋の広さ以上の圧迫感があった。
ここはヘルバの部屋だ。
日はとうに暮れ、窓からは優しい月明かりが差し込んでいる。
この部屋で少女は目を覚ます。
彼女の身を包んでいるのは何日も着古されたぼろ布ではなく、清潔感のある真っ白なシャツ。
点滴を打つためにさらされている左腕だけがシーツの外に出されていた。
「生きてる……」
少女はか細い声で呟く。
空いている右手を顔の傍まで持っていき、拳を作っては広げ、何度かそれを繰り返す。
「ほんとに、生きてる」
先ほどよりしっかりとした声で言葉にする。
生きていることを実感するように。
少女がどうやって左腕を動かさず体を起こそうと試行錯誤していると、急に隣の部屋から物音がした。
かと思えば間髪入れずに、勢いよく部屋の扉が開け放たれる。
「あなた、目覚ましたのね!」
ヴィヴィアーナは聞き耳を立て隣の部屋で待機していたらしい。
少女の呟きにすぐさま反応しこの部屋に飛んできたといったところだ。
ヴィヴィアーナの登場に少女はさほど反応していない。視線だけが彼女の姿を追う。
「……」
というよりも表情が無表情のままだ。
「えっと、驚いている?あ、あのね、わたしの名前はヴィヴィアーナ!」
「……ヴィ?ヴィヴィ、ア……?」
彼女の名前を聞き復唱しようとしているが上手く口が回らないようだ。
「あ、ヴィヴィでもいいよ。アルもそう呼んでるし」
「……ヴィ、ヴィ」
「うんそう!ヴィヴィ!」
名前を呼んでもらうとヴィヴィアーナは嬉しそうに何度も頷く。
「ねえ、あなたの名前は?」
今度はこちらから呼ぼうと少女の名前を尋ねる。
少女はすぐに答えない。問われた意味を理解するのに時間がかかっているのだろうか。
「……」
それはとても小さな声だった。
だが、その声は目の前のヴィヴィアーナにはしっかりと届く声だった。
「ティリア、ティリアっていうのね!」
少女――ティリアはわずかに頷く。挙動が全て小さいのだ。
ちゃんと彼女を見ていないと差が分からない。
ヴィヴィアーナはティリアを言動を見逃さないように前のめりになる。
「とりあえず、着替えよっか。汗かいたでしょ」
ベッドの横に置いていた着替えを手に取りティリアの傍に寄る。
ティリアは何をされるのか分かっていない様子ではあるが、抵抗をする様子はない。
ヴィヴィアーナは安心した。
もし誰かに酷いことをされてきたのなら他人が傍に近づくのを拒むこともあるだろう。
何があったのか聞きたいところではあるが、今はヴィヴィアーナのことを怖がらず受け入れてくれたのだと解釈し看護を続けた。
ヴィヴィアーナは少女に対し、誰よりも親身になって接している。
出会った時から、何かを少女に自分と近しいものを感じていたのだ。
容姿が似ているとかそういう話ではない。
ヴィヴィアーナは黒髪。少女は白髪。
髪質もヴィヴィアーナが剛毛でそれでいて綺麗な髪であれば、少女は絹のように繊細で美しい。
肌の白さはどうあがいても勝てないし、ヴィヴィアーナ以上に少女は小柄で華奢だった。
年齢なら自分が一番近いように思える。
だが、そうではないのだ。そういうことではないのだ。
ヴィヴィアーナ本人でもそれを上手く表現することは難しかった。
「あれ、ヘルバの声……?」
ティリアの着替えが終わり一息つくと庭園から聞きなれた声がする。
今は今朝の仕事をやっていると聞いていたがどうやら今は誰かと話しているようだ。
こんな夜更けに庭で誰かと話すなんてこと今までになかったはずだ。
しかも、相手の声はどうも霞んでいて上手く聞き取れない。
ヘルバの様子からして楽しい会話をしているようには思えない。何やら不穏な空気が漂っている。
「……だめ」
彼の様子を見に行こうかと部屋の外に出ようと立ち上がると、ティリアに服の裾を掴まれる。
突然の行動に驚き振り返ると、ティリアは無表情ではなく微かに眉をひそめ苦渋の顔をしている。
もしかして。
「……あそこにいるのって、あなたを追ってきた奴なの?」
ティリアは、小さく頷く。
「だめ、ヴィヴィ、行っちゃだめ」
ここまではっきりとした彼女の意思表示をむげにはできない。
だが、余計にヘルバと追手を会話させていてはいけないと予感がしている。
どうしたらいい。
どうしたらいいのか。
悩んだまま立ち尽くしていると、アルベルトが現れた。
「なんだヴィヴィ、どうかしたのか?」
締めたつもりだったが少し扉を開けたままにしていたようだ。
「あ、アル!あのねヘルバがなんか庭園で変なのと……」
「おお!あんた目覚ましたんだな」
部屋に入るなり起き上がったティリアを見つけて歩み寄る。
ヴィヴィアーナの話はまるで聞こえていないようだ。
急に声をかけられ驚いたのかティリアはヴィヴィアーナの後ろに隠れてしまう。
「あ、あのアル」
「なあ、名前はなんていうんだ?」
隠れたティリアを追うようにアルベルトはベッドの上に乗りだし笑いかける。
「……」
「んー?」
「ちょっとアル」
「もう少し大きな声で言ってくれない?」
「んもう!アル!わたしの話聞いてよ!」
ヴィヴィアーナは怒った。
アルベルトはあからさまに彼女を無視しているようにすら感じる。
大きな声を出すとようやくアルベルトがこちらを向いた。
「だって、せっかくこの子が起きたんだから初めに挨拶しといた方がいいだろ?」
「それはそう……だけど……」
そうこうしているうちにヘルバたちの会話はどうやら終わってしまったらしい。
追手の存在も今は何も感じられない。今更庭園に行っても何もできはしないだろう。
「……もう、アルの馬鹿」
当の本人であるアルベルトは何に怒られているのか分かっていないようだ。
「んー?ま、とにかく灯りをつけるぞ?何暗いところで会話してんだよ」
言われて部屋がまだ暗いままだということに気が付いた。
ティリアが目を覚ましたことが嬉しく、つい灯りをつけることを忘れていたのだ。
アルベルトが壁にある照明に火を灯す。
「へぇ、あんたの目良い色だな」
アルベルトに言われて振り返る。
「……ほんとだ」
ティリアの灯りに照らされたその大きな瞳は、若草色をしていた。
その色は、白く美しい髪にとてもよく似合っていた。
第一章 完