後継ぎ
明け方を過ぎれば、朝。
それはエア屋にとって営業開始時刻である。
例え営業前に問題が起きていたとしても開店しないわけにはいかなかった。
エア屋は、先代から町人たちに人気の名薬草店だ。
営業しなければ彼らが困ってしまう。
「いらっしゃーい!」
アルベルトは気持ちのいい挨拶を声を張り上げ接客をする。
「おう、アル坊今日も威勢がいいねェ」
「どーも!褒め言葉として受け取っておきますよ」
「アルちゃんいつもの薬作ってくれんかね?」
「はいはい、ちょっと待ってくださいねー」
代わってヴィヴィアーナは主に裏方の仕事をしている。
アルベルトは店頭での売買、客との薬草に関する質疑応答。
ヴィヴィアーナは常備薬及び客注薬の補充・調合。
他の職務は平気だとしても、上記のものは一般人である彼らには禁じられている仕事だ。
「ヴィヴィー!注文!」
「……叫ばなくても聞こえてる!」
普段なら彼らの間にヘルバが入り、売買による不正行為を監視し、防ぐため商品の確認をする。
それによって彼女らは薬草に携わることが出来た。
だが今ここに、ヘルバはいない。
正確に言えば二階の自室で少女の介抱をし続けている。
目の届かない場所での行為は厳密に言えば法律違反になる。
もし知られてしまえば処罰が下るが、彼らが法を犯すなどとヘルバは一度も疑ったことがない。
ある日偶然薬草師の枠が一人分だけ空きが出来、そこにたまたまヘルバが当てはまった。
ただそれだけのこと。
アルベルトやヴィヴィアーナがなってもおかしくはなかった。
「……薬草師、ね」
ヴィヴィアーナが呟く。
彼女が思いはせるのはヘルバの顔、そして彼女の師である男の顔だった。
ヘルバが薬草師になったのは今から、一年前のことだ。
約一年前、薬草師をしていたある一人の男が突如行方不明になった。
原因は不明。
その男は人望がありまだ若く、多くの人が今後を期待していた人材。
町総出で彼の行き先を探したが一ヶ月経っても見つからず、捜索は打ち切られた。
事故にあったとも攫われたとも、殺されたとも囁かれた。
彼は町内だけでなく国としても名の知れた立派な薬草師だったため、騒ぎは国中に広まった。
「…………!」
こつ然と姿を消した男。
男はヘルバやエリーコ兄妹にも深く関わりを持つ人間で、その事実は大きな衝撃を与えた。
彼らにとってその男は父親であり、師匠のような存在だったからだ。
もちろん弟子だからとは言え失踪の原因は分からず、その事実が彼らをより混乱させた。
たくさんの人に質問攻めにあうも何も答えられることはなかった。
時間から暫く経ったある日。
彼らの元に国直々に声がかかった。
弟子に当たる三人の中で、男の跡を継ぐ者はいないかという話だった。
薬草師の席の数は決まっている。
空席のままにしておくのは惜しいのだ。
だが、これはただの空席ではない。
国中から認められていた薬草師が空けた席なのだ。
アルベルトは自分には荷が重いとそれを断った。
ヴィヴィアーナは自分には無理だとそれを拒絶した。
二人はまだ現実を受け入れられないでいた。
「…………俺、やります」
そしてそんな二人の反応を見たヘルバは、自ら立候補した。
自分だって代わりになどなれないと、感じていながら。
二人と同じように抱いたこの感情を、必死に腹の底に隠しながら。
彼ら以上に、男の失踪の事実に打ちひしがれていたとしても、逃げるわけにはいかなかった。
男は、ヘルバの本当の父親だった。
次の日。
試験を受けたヘルバはその日のうちに薬草師となり、店も継いだ。
その店の名前は『エウロパエア』と言った。
*****
ヘルバは少女の側にいた。
アルベルトと鉢合わせた際、彼から一日中少女の看病するよう言い渡されたのだ。
今思えばそれはアルベルトなりの気遣いだったのかもしれない。
「……ふう」
今し方二本目の点滴が終わったばかりで、少女の顔色はだいぶ良く見える。
それもこれも全て店を回してくれているエリーコ兄妹のおかげだ。
今日は彼らの好きな献立で昼食を作ろう。
ヘルバは二人に感謝しつつ少女の頭を優しく撫でた。
頬はほんのり赤く染まってはいるが、もう熱っぽさは感じられない。
規則的に呼吸をしており静かに眠っている。
もう命に別状はない。
ゆっくり撫でているヘルバの指に絡む少女の白く透き通った細い頭髪。
まるで作り物のような、なだらかで真っ白な肌。
初め見た時はくすんでいたからかあまり目に付かなかったものだ。
改めてみると不思議な気持ちにさせられる。
彼女の容姿と純白なシーツと合わせ、彼女の姿はさながら天使のようだった。
「君は、一体何者なんだ?」
答えを期待する訳でもなくぼやく。
状況も安定し落ち着いて考えると、少女の過去が不安になる。
彼女はどこから来たのか。
彼女の身に何が起きたのか。
彼女は何を思ってここにきたのか。
見たところヘルバより三、四歳は年下だろうか。
「君は……」
何故こんなに小さな彼女が酷い目に合わなければいけないのか。
疑問は尽きないが、いずれにしてもヘルバは少女の境遇に同情せずにはいられなかった。
「君の瞳は、何色なんだ?」
白に良く映える、そんな色が良い。
そんなことを考えると急に照れくさくなり、ヘルバはそのまま部屋を後にした。
もうすぐ点滴の交換の時間だ。新しいものを用意してこよう。
ヘルバは照れ隠しにその場を離れる理由を探しながら扉を静かに締めた。
純白の少女は静かに眠る。
*****
町は夜に近付くにつれ人通りが減っていく。
代わりにエア屋からは程遠い、裏通りの灯りが強くなる。
頃合いをみてエア屋はようやく一日を終えた。
「お疲れ様二人とも」
労いの意を込めた紅茶を三人分用意する。
「ありがとヘルバ」
ヴィヴィアーナは礼を言いながら受け取る。
疲れた体に沁みるのか、湯呑み越しに伝わる紅茶の温かさに心地良さそうにしている。
「女の子はもう平気?」
ヘルバとヴィヴィアーナが顔を合わせるたびに交わされる質問。
「もう大丈夫。大丈夫だよ」
「……うん、良かった」
茶の種類は薬草の一種で、ヴィヴィアーナが好む薬草茶だ。
吉報もあってかヴィヴィアーナは嬉しそうにすぐには飲まずに香りを楽しむ。
一方、茶を嗜む趣味のないアルベルトは、ヘルバから湯呑みを受け取るなりそれを一気に飲み干した。
「くはー、喉乾いてたから助かるわ!」
「……下品」
その行動はヴィヴィアーナの機嫌を損ね、露骨に顔を背けながら湯呑みを口にする。
「下品って……ヴィヴィ、そういうの兄に言う言葉かよ?」
「うっさい」
「こら、別にうっさくないだろ?」
「声、大きい」
「えー?」
アルベルトとヴィヴィアーナは別に仲が悪いわけではない。
だが、アルベルトはヴィヴィアーナを子ども扱いをし、それに彼女は反発する。おかげで小さなことでもつい言い合いになるのだ。
互いに喧嘩をしてるつもりはないが、こういったことは日常茶飯事だった。
「まあまあ、お茶の楽しみ方は人それぞれだろ」
ヘルバも湯呑みに口を付けると、ズズ、と行儀悪く音が鳴る。
口を離せば無意識に大きなため息が出た。
「おい、ヘルバ、そんな飲み方してると老けるぞ」
「え?」
「癖。お前って何か飲むときいつもそう」
「……そんなにたくさんため息つくと幸せ、逃げるよ?」
二人にからかわれやっと気付く。
「う……お茶の楽しみ方は、人それぞれなんだってば」
ヘルバはとっさに机に湯呑みを置き、飲むことをやめてしまう。
兄妹はそんなヘルバを見ながら笑う。
笑った時にできるえくぼが、そっくりだった。
「さてと!今日の夕飯当番は俺だっけ?茶も飲んだしさっさと作ってくるわ」
ヘルバをからかい、満足したのかアルベルトは腰かけていた椅子から飛び跳ねるように立ち上がり台所へと向かう。
炊事洗濯はエリーコ兄妹と暮らし始めた頃から当番制だ。
薬草師は手先の器用さを求められる。雑さの目立つアルベルトだが、意外と料理は得意である。
「ヴィヴィ、今日は何食べたい?」
「……昨日仕込んでた鶏肉があるからそれ使って」
「おっいいなそれ、了解!」
ヴィヴィアーナの料理は時間をかけた味わいある料理だ。
その彼女が用意した鶏肉をアルベルトが使用する。
豪快で食べ応えのある料理にヴィヴィアーナの繊細さが加わるのであれば、それは美味しい食事しか出来上がらないだろう。
ヘルバは彼の夕飯を楽しみしつつ、紅茶を手にし、今度は二人に気づかれぬよう静かに飲み干した。