不審者
この国アルボムンドにおいて一番需要のある職業は、薬草師だろう。
彼らの主な仕事内容として次の三つがあげられる。
薬草の管理、保護、生薬の生成。
薬草の対面売買、用途、使用方法などの適切な指導。
新しい薬草、薬効の発見および開発。
特に上二つは、一般人にとっても重要視されている。
火をおこし暗闇を照らすなど生活に使う物。
怪我や病気に効く物。
人間たちの食事、動物への餌などにも使える物。
中には嗜好品として使われる薬草もある。
価値ある資源として薬草は一般人による売買、売買目的での所持は禁止されている。
生活になくてはならない薬草を唯一管理し譲渡することが出来る存在。
それが薬草師だ。
「いらっしゃいませ!」
街の中で一際賑わいを見せている薬草店、エウロパエア。
通称『エア屋』
薬草師をやっている者の大半は、町に定住し自分の店を持っている。
彼――ヘルバもまたそのうちの一人だ。
*****
『エア屋』の朝は早い。
「……っん」
太陽がまだ地平線の奥から顔を出さない時間帯。
ヘルバは欠伸をかみ殺し身体を捻りながら、店の裏手にある庭園に向かう。
庭園には彼が丹誠込めて育てている薬草たちがいる。
二階の寝床から階段を降りればすぐだ。
寝間着の上に上着を羽織っただけの身なりの整わない格好で、今日も仕事が始まる。
まず初めに害虫の駆除。
収穫時期がきた薬草摘み。
日乾しにする薬草の設置。
空いた場所の土の用意。
新しい薬草の種植え。
ついでにまだ寝ている彼らのための朝食作り。
この店の従業員は二人おり、彼らとは同じ屋根の下で生活している。
朝の内にそれら全てを一人やる。
別に苦ではない。
ヘルバは好きでこうして働いている。
他の二人を起こさぬように慎重に静かに廊下を歩き、階段を降りる。
特に妹の方は妙に耳がいいのだ。
裏口の前まで来ると庭用の靴に履き替え、扉に手をかけた。
そしてヘルバは気付く。
「…………え」
扉が、僅かに開いていた。
昨晩確実に内側から鍵をかけたはずの扉が、だ。
真四角でどこか畑にも似た彼の庭園は壁に面した辺以外、全て柵で覆われている。
それは街の周辺に聳える山々に居座る野生の獣から薬草を守る為だ。
腹を空かせたとしても山には他にも薬草がある為奴らは滅多に降りてくることはない。
とは言え、ヘルバの頭ほどまである柵は人除けにもなる。
薬草を盗もうと考える輩もいないわけではないからだ。
ふいに庭の方から、物音がする。
「…………誰かいるのか」
こんな朝早くに薬草店の庭に用がある人間などいるはずがないのだ。
弱冠十七歳にしてこの店の主人である、ヘルバの許しも受けずに。
そっと扉を開き視線だけを庭園に向ける。
おそらく侵入しているであろう不審者を探し、辺りを見渡す。
寝起きの頭が冴えていくのが分かる。
その分心拍音が大きくなっていく。これは焦りだ。
じっくりと右端から睨みつけていると、急に視界が遮られた。
目の前に突如何者かが現れたからだ。
「……ヴィ、ヴィヴィアーナ!」
「おはよヘルバ」
それはよく知った従業員の姿だった。
「な、何だ。お前だったのか」
安堵感からかヘルバは腰を抜かし座り込む。
従業員――ヴィヴィアーナはヘルバの手が払われた扉を開け放つ。
そこで彼女の姿が露わになった。
一本に緩く三つ編みにされ腰まで伸びた綺麗な黒髪。
澄んだ空色の瞳によく合う同じ色の寝間着、その上からは黒く細やかな刺繍の入った彼女のお気に入りを羽織っていた。
ヴィヴィアーナはヘルバの二つ年下で、上で未だに寝ているであろうもう一人の従業員の妹に当たる。
「それで」
彼女の声には微かに怒気がこもっている。
「ヘルバは訳もなくわたしが庭に、こんな時間に、いると思った?」
華奢な腰に手をつき、少し偉そうな態度をとる。
どうやら不審者と間違えられ腹を立てているようだ。
「……いや、お前に限ってそれはない、ごめん」
彼女は無駄な行動を嫌う節がある。
首を振りながら言うヘルバの台詞にヴィヴィアーナは頷くと、庭園の左奥を指さした。
「あそこに、女の子倒れてる」
ヴィヴィアーナの耳は人並み以上の聴力を身につけている。
本人が言うには、つい先ほど庭の方で不自然な音を聞きつけ様子を見にきたらしい。
するとそこには一人の少女が倒れていた。
素肌に薄汚れた布切れ一枚を身に纏い、力尽きたのか気を失い倒れている少女。
見知らぬ顔ではあるが、状況から急を要すると判断しヘルバを呼びにいこうとしたところ、運良く彼と鉢合わせしたとのことだった。
それが今から五分前の出来事。
「見たところだいぶ衰弱しているな」
ヘルバは少女の側でしゃがみ込み彼女の様子を見ていた。
荒い呼吸。痩せ細った体。
足の裏は傷だらけで山の中を素足で歩いてきたことがわかる。
ところどころ肌にも木々で擦れた傷があり、ただ汚れでいるだけではない。
額に手を当てながら、真剣な表情になる。
「……それに熱も高い」
自分の体温と比較し、簡単に熱を計る。
これは衰弱からくる発熱だろうか。
ヴィヴィアーナは静かに息を呑んだ。
「……ねえヘルバ」
「ん、何だ?」
「その子、助かる?」
普段と変わらぬ口調だが、声色には微かに不安の色が混ざっていた。
自分の歳よりも若い少女のことが心配なのだろう。
「ああ、当たり前だ」
ヴィヴィアーナの質問に力強く頷いた。
急を要するが、助からない症状でもない。
「絶対に助ける」
その一言が、彼女の不安を消し去った。
「ひとまず彼女を手当てすることが先決だ。俺の部屋に運ぼう」
ヘルバは立ち上がる。
肩にかけていた上着で少女肌を隠し、そのまま抱きかかえる。
治療に用いる薬草。用法、用量。
頭の中で手順をふみながら歩き出す。
「ヘルバ」
不意にヴィヴィアーナが近付くと、彼女の上着も少女の上に被せられた。
これは彼女からの優しさだ。
「……ありがと。先行くね」
一瞬笑顔を作るとヴィヴィアーナは足早に、二階へと向かった。
*****
ヴィヴィアーナはまず台所でお湯を沸かし始め、すぐ階段を駆け上がり自室に帰る。
引き出しの中から客人用の真っ白な衣服を一式手にすると、早々と部屋を後にする。
次にヘルバの部屋に入るとヴィヴィアーナは手早く彼のベッドのシーツを清潔な物に取り替え、少女を迎える支度を続ける。
生活感溢れるヘルバの部屋はひっくり返せばたくさんの治療するための器具が埋まっている。
それは故意に。
このような緊急時に備えてのことだ。
全ての物の位置を把握しているヴィヴィアーナにとっては探し出す手間などないに等しい。
「ヴィヴィアーナ、この子を頼む」
少女を気遣いながらゆっくり歩いてきたヘルバは、ようやくここで辿りつく。
すでに準備は万全だった。
「任せて」
腕まくりをしながらヴィヴィアーナは頷く。
そうなった彼女は頼もしい。
ベッドまで静かに少女を運ぶと、ヘルバは踵を返し下へ戻る。
今度は治療に使う薬草を調合しなければならない。
裏口にたてかけてあるかごを手に取るなり庭園へと繰り出す。
エア屋は、あまり乾物を扱わない。
乾物にしないと使用できない物はもちろん干すが、それ以外の品は基本的に庭から採ってくる。
「……一、二……三」
調合順を頭に浮かべ適量の薬草を摘んでいく。
途中害虫が所々見えたが、今はそれどころではない。
今頃ヴィヴィアーナが炊いた湯で少女の身を綺麗にしてくれているはずだ。
摘み終えるなり店内に戻ろうと走り出す。
急ぎだからと注意力が散漫となり、ヘルバよく前を見ていなかった。
「う、わ……!」
そして出入口に佇んでいた存在に、激しくぶつかった。
「ちょ……ヘルバ、お前ら何やってんだよ?」
反動で尻餅をついたヘルバが見上げれば、寝間着というより肌着に近いだらしない服装をした長身の男が立っていた。
派手な寝癖のついた短く切り込まれた黒髪に、切れ長な空色の瞳。
ヴィヴィアーナと同じ遺伝子を持つこの男。
「……ごめん、アルベルトのこと忘れてた」
彼はヴィヴィアーナの兄、アルベルトだ。
ヘルバより二歳年上であり、つまりヴィヴィアーナとは四歳離れていることになる。
彼もまたこの家に住み従業員として働いている。
「忘れてたって、そりゃねぇだろ」
苦笑いを浮かべながらヘルバに手を差し伸べる。
「う、わ!ちょっと!」
彼の手を借り引き上げられたヘルバは一瞬にして宙に浮き、慌てて地に足を着ける。
「アルベルトはいちいち乱暴だって!」
「そりゃどうも」
アルベルトの苦笑いは続く。
「全然、褒めてない」
ヘルバの肉体は人並みぐらいはあると本人も自覚している。
しかしそれでも、アルベルトにとっては子猫程度の重みでしか感じられないらしい。
立ち上がったヘルバと向かい合ってもアルベルトの方が背が高い。
ヘルバよりもたくましく引き締まった手脚、健康的な肌。凛々しく整った美しい顔立ち。
「ヘルバはもっと食べて太った方がいいんじゃね?」
アルベルトは今度はヘルバをからかったように笑った。
今ではもう慣れたが男としては、少々ヘルバは自尊心を傷つけられていた。
悪く言えば、兄は馬鹿力。
そして妹は地獄耳。
エリーコ兄妹は、少し変わった兄妹だ。
「で、何があったんだ?ヴィヴィはお前の部屋に引きこもってるみたいだし。お前はお前で薬草摘んでるし」
大きな欠伸をかみ殺しながらぼさぼさの髪の毛をかきむしる。まだ彼は寝起きだ。
さすがにこの騒がしさにアルベルトも起こしてしまったようだ。
この大騒ぎが気にならないというのも無理な話だった。
「……」
当事者でないにしても、彼も他人事では済まないだろう。
「……分かった。話すけど、急いでるから中で話す」
「うん。それでいいからよろしく」
ヘルバはそう言うとこの建物の一階である店内へと二人で向かった。
「目が覚めたらアルベルトも手伝ってくれ」