小さな魔女、時空を超える
階段から落ちました。
正確に言うと、突き落とされたんです。
そしてなぜか気がついたら見知らぬ場所で、まったくの別人になっていました。
何より困ったことに、魔法が使えなくなっていたのです。
⎯⎯落ち着け私。 大丈夫。大丈夫よ。
あちこち痛むけど体は動く。
拘束もされてない。
扉に鍵もかかってないわ。
⎯⎯ここは……治療院?
王国周辺では見かけない異国風の顔立ちの人々。
鏡を見たら自分もそんな感じの顔立ちの女の子になっていました。
⎯⎯って何? この大きな鏡。
他にも見たことの無い器具や道具。
それに⎯⎯薬!?
⎯⎯興味深い!
私は15歳と年少ながら、王国中央魔法局の錬金課に勤務する魔術師です⎯⎯見習い局員ですけどね。
専門は調薬。
新しい薬、より効果の高い薬をつくるために研究をする部署です。
孤児だった私がこんな職場に就職できたのは全てお師匠様のおかげでした。
お師匠様はスラムでゴミをあさっていた幼い私をひろい、弟子にしてくれた優しい人です。
私が12歳で成人したとき、紹介状を書いて、中央魔法局に送り出してくれたのです。
お師匠様が先代の局長だったことはその時初めて知りました。
お師匠様ってすごい人だったんですね。
魔法局始まって以来だと言われました。
女でスラム上がりの孤児ですものね。
無視され、邪険にされ、仕事で組むことを拒否され、それでも食らいついていったら、少しずつ私に声をかけてくれる人が出始めました。
そういうのは、小さい頃からなれてますもん。
仕事に手応えを感じはじめて。
よしっ! 私、ここでもやっていける。
⎯⎯って思ったところにまさかの落とし穴が……
今年に入ったあたりからでしょうか?
新たな “乗り越えるべき人生の試練” が現れまして……。
その名も “貴族令嬢様”という私には全くなじみの無い人々です。
原因は我らが上司、錬金課長様。
20代の若さで課長職。
次代の局長最有力候補にして侯爵家の御曹司。おまけに見た目も悪くない。
なのに未だ独身、婚約者無し。
課長を見る令嬢方の視線の熱いこと熱いこと。
すると、目障りなのが、皆様の目に入ってしまうわけです。
御曹司の回りでうろちょろしているあの女は何だ!?
⎯⎯ということになってしまったわけで……
でもねお嬢様達、私、あの人を結婚相手としてはお薦めしませんよ。
私はひそかに “陰険腹黒メガネ” と呼んでおりますからね。
まぁ、お嬢様方のいじめも、えげつなさは相当なものでしたから、もしかしたら、“お似合い”の相手?
今回突き落とされたのだって、一歩間違ったら死んでますよ、私。
おかげでこんなことになっちゃって。
帰れるのかな? 私。
いや、現実逃避してる場合じゃないですね。
今出来ることをしなくちゃ。
まず困るのは言葉が通じないこと。
文字が読めないこと。
翻訳魔法が使えたら簡単なんだけどなー。
この体の外には魔力を感じるんだけど。
うん? 待てよ?
魔法陣ならもしかして?
ペンと紙を借りてさっそく。
何? このペン書きやすい。
持って帰れないかな?
そして⎯⎯出来ました!
ありがとう魔法陣!
ペンダントに“翻訳魔法”を、眼鏡に“視力強化”と“解析魔法”を付与することが出来たんです。
まずは情報収集からですね。
この体の人も階段から落ちたらしいです。
入院して検査を行うのね。
それは丁度良いわ。
あちこちうろちょろして解析解析……。
すみません、それは何ですか?
ほうほうなるほど。
あっ、あれならむこうでも錬金術で出来るかも?
何してるんですか?
“いんたーねっと”?
やり方を教えていただいても?
おおっ! 何これ便利!
へーっ、こんな治療法が?
えっ、こんな病気も?
この薬の成分はたしか……
白い衣装の女性に叱られました。
それでも諦めずにごねて、書物を手にすることに成功。
ごめんね、この体の人。問題児扱いされちゃってるかも?
いろんな新しい情報が得られたけど、どうすれば元の体に帰れるんだろう?
もうずっとこのままなのかな?
恨みますよ課長。
課長がとっとと婚約でも結婚でもして、子供の二、三人も作ってたらこんなことにはならなかったかもしれないのに……。
その時、私は突然真っ白なまぶしい光に包まれました。
そして光が消えるとそこには⎯⎯
「あれ? 陰険腹黒メガネ…………あっ!」
眉間に深いしわを刻んだ課長が立っていたのです。
そして我に帰る前に、私はあっという間に課長の腕の中に捕獲されていました。
「えっ! 課長っ? 何で? えっ、魂返し? 大魔法じゃないですか!?」
魂返しとは、悪魔に憑依された人間から悪魔の魂を追い出し、元の体に戻す儀式魔法です。
どうやら今回は私だけがむこうに行っていたのではなく、二人の意識が世界を越えて入れ替わっていたらしいのです。
そして前代未聞の事件を解決するために私の体に魂返しをかけたところ、私の体の中にいた魂は元の体に戻り、スコーンと弾き出された私の魂は無事に元の私の体に戻ってこられた……というわけです。
なんだか、そんなゲームがあったような……。
⎯⎯うわぁ。それって賭けの部分がかなり大きかったんじゃない?
私、ものすごーく運が良かったんじゃないかな?
「課長、私なんかのためにそこまでしてくださってありがとうございます。
なんとお礼を言えば良いか。
新しい治療法とか新しい薬とか情報がたっくさん有るんですよ!
忘れないうちに報告書にまとめないとっ!」
えっ? 動くな?
いやいや課長⎯⎯どうしたんですか?
大丈夫ですか?
具合でも悪いんですか?
違う? 疲れが出たのかな?
新しい薬飲んでみますか?
“すたみなどりんく”っていうんですけど。
いらない?
あっ、まさか魂返しで魔力を使い過ぎちゃったんですか?
違う?
魔石を使ったから大丈夫?
えっ、魔石?
……それってお値段いくらぐらいのですか?
えっ……私、一生かかっても返せないんじゃ?
えっ、陛下からのプレゼント!?
返さなくていい?
本当ですか?
信じますよ。信じちゃいますからねっ!
ところで課長、いつまで抱っこしてるんですか? 私は子供じゃないんですよ。
違います!
小さいんじゃありません。
幼い頃に栄養が足りてないと成長が遅れることがあるって師匠が言ってました。
いいですか? 成長が遅れてるんです!
私はこれから大きくなるんです!
食堂のおじさん達が作った栄養たっぷりの食事を食べてるんですから。
今に課長より大きくなって上から見下ろしてあげますからね!!
王国を混乱させた、とある男の暴走による中央魔法局の機能停止事件はこうして解決した。
その後、錬金課の小柄な魔女さんは、ふと何か大事なことを忘れているような気がしたが、日々の仕事に追われ、思い出すことなく忘れてしまったのであった。
まぁ、こちらの世界にはとくに影響の無い事柄ではあったのだが……ね。