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第2章 糸(1)

   第2章 糸(1)



 翌朝、良太と美咲は、分かれ道の前に立っていた。

 遊園地に行くなら、駅のある右の道へ。そのことは美咲も知っているから、そこで立ち止まった良太に不思議そうな目を向ける。

「お兄ちゃん、はやく行こうよ」

「う、うん…」

 良太は、美咲に引かれて駅へと歩き出した。

 マーナさんは、今日もあの木のところに来るだろうか。

 来るだろう。彼女はそのためにこの町にいるんだろうから。

 マーナさんは、今日も美咲を待っているだろうか。

 待っているだろう。彼女は、美咲に会わせてほしいと言った。

 僕は、美咲を、マーナさんには会わせない。

 それは、正しいんだろうか。

 マーナさんは、人助けだと言った。

 僕はそれを、

 人助けを邪魔しているんだろうか。

 ひょっとして僕は、悪いことをしているんだろうか。

 マーナさんが助けようとしている誰かを、見捨てようとしているんだろうか。

 良太は、はしゃぎながら先を行く美咲を見つめる。

 美咲にしか見えないもの、

 美咲にしか助けられない人、

 もしそれが本当にあるのなら、

 僕は、どうするべきなんだろう。

 いくら考えても、答えは出てこない。答えを出すための材料が、少なすぎるから。答えが出ないなら、

 そうだ、今日は楽しもう。美咲と、遊園地で、夕方まで。



 快速電車が通り過ぎるこの駅には、あまり利用者はいない。駅前には大げさなロータリーがあるけれど、これは奥まった場所にある駅舎の前までバスが来て、ぐるっと回って戻って行くためのものだ。あとはたまに出迎えの車が暇そうに止まっているくらいで、この駅前には活気というものが感じられない。

 良太の父は「この落ち着いた感じがいい」とこの街を選んだそうだけれど、引っ越してきた後で、数年後には大きな道路が良太の家のすぐそばを通ることになると知ってがっかりしていた。道路ができれば生活が便利になる、と学校で教わっていた良太には、父の気持ちはわからなかった。

 良太と美咲は、バス停から離れて駅舎の壁に寄りかかっていた。バス停には屋根がなく、日差しの強い日や雨の日にはたいていの人がこうしてバスを待っている。

 良太は、交差点の向こうのコンビニ、バスが顔を出すあたりをじっと見て待った。

 やがて来るはずのものを待つ――。

 そのじれったさをマーナの気持ちに置き換えそうになって、慌てて頭を振る。

 今日は、決めたんだ。一日楽しく、美咲と遊ぶって。

「まだー?」

 美咲がTシャツの裾を引っ張る。良太は駅の時計を見て、遅いね、と答えた。「この駅の時計は少し遅れていて、たまに騙されるのよ」と母が言っていたことを思い出した。

「あっ」

 だんだん飽きてきた美咲の気を引こうと、突然良太は叫んだ。

「来る…、来るぞ。バスが来るぞ」

「どこ? どこ?」

「まだ見えないね。でも…、」

 良太は、真剣な顔つきでコンビニをまっすぐ指さした。

 当然、本当にバスが来たことがわかったわけではない。けれど、良太は少しでも時間を稼いで美咲を飽きさせないように、

「もうすぐだ…。十、九、八、七…」

 美咲は目をまん丸にして、良太とバスが来る方向を交互に見ている。良太は笑いをこらえながら、

「六、五、四、三…」

 これでちょうどバスが来てくれたらすごいんだけどな。そんなにうまくは行かないだろう。

「二、一……、ゼロ!」

 そう言った瞬間、

 二人が注目していたコンビニの影から、杖をついた老人がゆっくりと現れた。

「お兄ちゃん、バスじゃなかったよ」

「あれー? おっかしいなあ」

 頭を掻く良太に、お腹を抱えて笑う美咲。バスは、少し遅れて二人を迎えに来た。

 バスには、数人の乗客しかいなかった。

 はしゃいで大声を出す美咲を軽く叱る。

 バスが停まるたびに、あといくつ、あといくつと訪ねる美咲に閉口する。

 やたらと降車ボタンを押したがる美咲の小さな手を押さえつける。

 それらすべてが、美咲にとっては楽しく、良太にとっては幸せだった。

 だから、遊園地までの二十分は、あっという間に過ぎた。



 市営のこの遊園地は、少し大がかりな遊具がある公園のようなものだ。小さなジェットコースターもあるけれど、子供向けだから、良太くらいの少年には刺激がない。それでも、ヤギやヒツジ、ウサギとふれあえる一角もあったりして、子供にも親にも、それから良太のように妹や弟を連れてくる兄にも、とても評判のいい遊園地だ。

 入園ゲートをくぐると、美咲は良太の手を引いて動物ふれあいコーナーに向かった。目当てはヒツジでもヤギでもなく、柵に囲まれたウサギ広場だ。

 美咲のウサギ好きは相当なもので、身の回りの物にはたいていどこかにウサギのプリントや刺繍がある。

 去年の冬、インフルエンザがはやっている頃にマスクが必要になったけれど、どうしてもウサギのマスクが見つからなかった。ウサギじゃなければマスクを着けないとごねる美咲に、母は半分呆れながらも、白いマスクにウサギの刺繍を入れてくれた。それはウサギというよりも葉っぱがついたヒョウタンのように見えたけれど、美咲はそれを着けてくれた。母の指に巻かれた絆創膏を見て、美咲なりに気を遣ったのかもしれない。

 それからだったと思う。ウサギ柄でなくてもしぶしぶながら身に付けてくれるようになったのは。

 良太は、そんなことを考えながら美咲を眺めていた。

 ウサギ広場はそれほど広くないから、子供だけが入っていいことになっている。良太は小学生だから入ってもいいのだけれど、美咲くらいの子たちと一緒に遊ぶのは少しみっともないと思って中には入らなかった。

 親たちは柵の周りのベンチに座って、はしゃぐ子供たちの写真を撮っている。良太の家のパソコンにも、ウサギと遊ぶ良太の姿が残っているけれど、

 ――そういえば、美咲がウサギと遊んでる写真はなかったな。

「お兄ちゃーん、捕まえたよ!」

 大きなウサギを抱きかかえて、美咲がよろよろと歩いてくる。ウサギは少し迷惑そうな顔をしていたけれど、抱かれ慣れているのか、おとなしくしていてくれた。

「放してあげなよ。だっこされると暑いってさ」

 そう言われて素直にウサギを放す美咲を見ながら、カメラを持ってくればよかったな、と良太は悔しがった。かわいいのは今のうちだけよ、と親戚のおばさんにからかわれたことがある。そんなことはない、と思うけれど、少し不安になる。もし――、

 もし、マーナさんみたいになっちゃったら。

 まさかね、と苦笑いしていると、突然少年が良太の前に顔を出した。

「良太、なに変な顔してるんだ?」

「あっ、山田…じゃない、ヤマカワか」

「どっちでもいいよ。つか山田が正しいんだけど」

 この少年は良太のクラスメイトで、山田銀河という。最初と最後の一文字ずつを取ってヤマカワというあだながついているけれど、ヤマダもヤマカワも名字のようだから良太はいつも間違ってしまう。山田本人としてはせっかく銀河というかっこいい名前があるのだからそう呼んで欲しいところだけれど、今のところ少年はクラスの担任を含むほとんどの人からヤマカワと呼ばれている。

 ヤマカワは、良太とウサギ広場を三回ずつ交互に見てから、最後に良太に向いた。

「で、良太は何だ。幼女を愛でてたのか」

「…バカなこと言うなよ。妹を連れてきたんだ。ほら、あそこ」

「幼女じゃないか」

「そりゃまあ、まだ保育園通ってるし」

「愛でてたんだろ?」

「…」

「ほらみろ。俺は間違ってないじゃないか」

 ヤマカワには四つ上の兄がいるけれど、兄弟そろってこんな感じだ。ヤマカワは憎めないけれど、良太は、

 ――なんとなく、苦手なんだよな。嫌いじゃないけど。

「ヤマカワは何でこんなとこにいるの? 弟とか、いなかったよね?」

「出会いを求めてな」

「…怒っていい?」

 ヤマカワは真剣な目つきで良太を正面から見据えた。その口をゆっくりと開き――。

「だ・め」

 良太はヤマカワを無視することにした。けれど、ヤマカワは真剣な顔つきのまま、良太の横に座った。

「ま、それは冗談だけどさ――」

 知ってる、と良太は頷いた。ヤマカワのすることは、たいてい冗談か悪ふざけだ。

「ここなら情報が集まるかと思ってな」

「…情報?」

 ナントカごっこでもしているつもりだろうか?

 良太は、いつも美咲と一緒にテレビを観ているから、同じ年頃の子供たちとはあまり話が合わない。

 かといって、今さらナントカ戦隊とかには興味が持てないし――。

「夏休みに入ってから、良太には会ってなかったよな。最近、俺たちの間にこんな噂があるんだ」

 良太はごくりとつばを飲み込み、警戒する。

 油断しちゃだめだ――。

 真剣な話をするふりをして、突然ふざけ出す。いつものヤマカワの手だ。驚けば、僕の負けだ。けれど、

 ヤマカワは、ふざける様子もなく、あたりを見回してから小声で言った。

「出るんだってよ。妖怪が」

「はぁ?」

 やっぱりふざけてるのか、と一瞬だけ思ったけれど、

 ――マーナさんだ。

 マーナが聞いたらきっと怒るだろうけれど、良太にはすぐにそれがマーナのことだとわかった。

 ヤマカワが指で目をつり上げる。

「こおーんな目でさ、」

 ――やっぱりマーナさんだ。

 人差し指を下に向けて、口の両端に添える。

「牙が生えててさ、」

 ――牙はないと思うけど…。

「夕方にさ、小さい子を見つけると、追っかけてくるんだってよ」

「…ふうん」

 良太の胸が、少しだけ痛む。

 マーナさんは、美咲が必要だと言った。それは人助けのためだと言っていた。

 どうしても美咲に会いたいと、

 夕日を金色に映し込んだ瞳で、

 まっすぐに僕を見て。

 けれどそれは、

 僕だけに向けられた言葉じゃなかった。

 良太は、昨日マーナのテントまで行ったことで、マーナとの間にかすかに細い糸のような繋がりが見えてきたような気がしていた。けれど、

 その細い糸をたどってマーナの手まで行き着くと、そこには同じような糸が何本も握られていたのだった。

「それ、妖怪じゃないよ」

 良太は、胸の痛みをごまかすように口を開いた。それは、自分とマーナとの繋がりを誰かに知ってほしい、という無意識からの言葉だった。

「僕、その人に会ったよ。話もした。その人が住んでる所まで行った」

 ヤマカワは真剣な目つきのまま、口をあんぐりと開けていた。間抜けな表情だけれど、今の良太には、それを見ても笑いがこみ上げることはなかった。

「確かに怪しいけど、悪い人じゃない、と思う」

「マ…、マジっすか、先生。すげえっすよ、先生」

 言葉はふざけているけれど、本当に驚いている、というのがわかる。良太は少し得意げに続けた。

「美咲に、特別な力があるらしいんだ。その力が、人助けのために必要なんだって」

「特別な力? ってどんな?」

「それは…」

「人助けって、なによ?」

「ええと…」

 良太が答えに詰まると、ヤマカワは片方の眉だけをつりあげた。そして肩をすくませて両方の手のひらを上に向け、つまりは完全に人を馬鹿にした態度で、

「何もわからないんすかァ、先生ェ」

 と言い捨てると、「俺もウサギと戯れるかな」とウサギ広場に入ってしまった。

 ヤマカワはたちまち五匹のウサギを捕まえ、抱え上げた。子供たちはずるいずるいとヤマカワを取り囲む。けれどそれは決して独り占めを非難しているのではなくて、おどけるヤマカワを囃し立てて一緒に遊んでいるのだった。

「うわはははは! ウサギたちを返してほしければこの俺様を倒してみろ!」

 高らかに笑うヤマカワに子供たちは少しひるんでいたけれど、一人が勇気を出してヤマカワに体当たりすると、他の子供たちも果敢に飛び込んでいった。

「うおおおぅおぅおぅ…」

 ヤマカワはやがて子供たちにシャツの裾を引っ張られ、奇妙な悲鳴を上げながら崩れるように地面に倒れ込んだ。こうしてウサギたちは無事解放され、めでたしめでたし、というわけだ。ヤマカワの背中はフンまみれになってしまったけれど、そのことに彼が気づいているかどうかはわからない。

 美咲は他の子たちと一緒になって笑っていたけれど、ぴくりとも動かないヤマカワを見てヤマカワショーが終わったことを知ると、ウサギ広場から出てきた。普通なら真っ先に良太のところに駆け寄ってくるけれど、ウサギに触った後だけは違う。広場の出入り口にある手洗い場で、真剣な表情で手を洗い始めた。

 子供用にしては少し高い蛇口に苦労しながらすすぎ終えると、美咲はその場で手のひらをいっぱいに開き、ウサギ広場の反対側にいる良太に見せた。神妙な表情で、身動き一つしない。

 良太はわざと難しい顔をして、美咲の手のひらを数秒見つめた。そしておもむろに頷く。美咲はやっと笑顔になり、ぱたぱたと走ってきた。

「ところで良太」

「うわっ」

「みぎゃっ」

 駆け寄る美咲と、それを抱き留めようと両手を広げた良太の前に、突然ヤマカワが割り込んだ。美咲はフンまみれの背中にぶつかりそうになって、ぎりぎりのところでかわしたけれど転んでしまった。

「ななななんだよヤマカワ」

「あのさ、」

 美咲がヤマカワのすねを蹴ったけれど、ヤマカワは気にしない。

「俺を、連れて行ってくれないか?」

「…どこに?」

 良太の胸が、ざわざわと騒ぎ出す。

「決まってるだろ、妖怪のとこだよ。会ってみたい」

「だ…、だめだよ、そんなの」

「先生ぇ〜」

 ヤマカワが、ねちっこく良太の顔を覗き込んだ。

「ほぉんとぉうに〜ぃ、よぉうかぁいに〜ぃ、あぁったぁんでぇすかぁ〜?」

「妖怪じゃないってば!」

 良太は、美咲の手を引いて逃げてしまった。



 美咲が転んでしまって、やっと良太は足を止めた。

 美咲はさっきから心配そうに良太の顔を見上げていた。それで良太にひっぱられて走っているのだから、転ばないほうがおかしい。

「けんかしちゃだめだよう…」

 擦りむいてはいないようだったけれど、膝を痛そうに押さえながら、それでも美咲は自分より良太のことを心配していた。

「…そうだね」

 ――けんかしたわけじゃないけど。

 それでも、良太は美咲の優しさが嬉しくて、美咲の言葉に頷いた。

「ちょっと早いけど、お昼にしようか」

 売店はまだそれほど混んでいなかった。時間が早かったということもあるけれど、この売店はメニューが少ないのでお弁当持参の来園者が多いからだ。

「美咲、なに食べる?」

 たこ焼き、焼きそばといったありふれたメニューの中から美咲が選んだのは、

「がっかりドッグ!」

 もちろんこれは本当の名前ではない。

 メニュー代わりに並んでいる写真には、ホットドッグと書いてある。ツヤツヤふっくらとしたコッペパンがスッと縦に割られ、そこにパンから溢れるくらいにたっぷりのレタスと大きなフランクフルトが乗っている。黄色い粒入りマスタードと真っ赤なケチャップで彩られ、立ち上る湯気が見えそうなくらいおいしそうな写真だ。

 けれど実物は、なんだか萎れたようなコッペパンが切れ味の悪いナイフで雑に割られ、水気のないレタスと細くて小さなフランクフルトが申し訳なさそうに割れ目に収まっている。もちろんそれは寂しげに冷めていて、マスタードはなく味の薄いケチャップがちょいちょいと塗られている。

 写真を見てホットドッグを選んだ客が十人中十人ともがっかりするので、いつしか「がっかりドッグ」と呼ばれるようになった。もちろん、売店を経営する市に苦情が入ったこともあった。

 とはいえ、このホットドッグの真実の姿をほとんどの客が知っている今でも、これはこの売店の一番人気だ。誰もが写真との落差を一つのアトラクションとして楽しんでいるようだった。今では、店員に「がっかりドッグ!」と注文しても笑顔で答えてくれる。

 良太が、料理好きな母の申し出を断って弁当を持ってこなかったのは、がっかりドッグを食べたいからだった。

「お兄ちゃんは何食べるの?」

「わかってるくせに」

 二人は、顔を見合わせてしばらく笑いをこらえた後、「がっかりドッグ!」と声を揃えた。



 午後になり、いよいよ勢いを増してきた太陽を見上げながら、良太は「次は何をしようか」と考えていた。

 横では、美咲がお腹をさすりながら「けふー」と言っている。結局美咲はがっかりドッグを半分しか食べず、残りは良太が食べたというのに。

 ――まあ、

 良太には、わざとらしくお腹をさする美咲の考えはお見通しだった。

 ――少しお腹に余裕を持たせておいて、あとでソフトクリームか何かを食べたいって言い出すんだろう。

 母がよく「甘いものは別腹なのよ」というけれど、美咲にはまだお腹は一つしかないらしい。賢いのか食い意地が張っているのか、美咲はときどきこうしておやつのぶんを空けておくために、お腹がいっぱいのふりをして昼ごはんを残すことがあった。必ず「けふー」と言ってお腹をさするから、すぐわかる。

 それにしても、

 ――一日楽しく遊ぶつもりだったけど、ヤマカワのせいで午前中はあまり楽しめなかった。

 でも、これからジェットコースターやいろいろな乗り物に乗れば、ヤマカワやマーナさんのことなど忘れてしまうだろう。

「美咲、観覧車乗ろうか」

「うん!」

 がっかりドッグを一本半食べた良太は、まだ激しい乗り物には乗りたくなかった。この観覧車は、小さいけれどとてもゆっくり回るから、お腹がこなれるくらいの時間は稼げるだろう。

 大人二人が乗ったら窮屈そうな小さなゴンドラの中は、むうっと暑かった。少しだけ窓が開けられるけれど、熱い空気が逃げるほどではない。鉄製の手すりを「あちち、あちち」と握りながら、それでも美咲は楽しそうに空中からの眺めを楽しんでいるようだった。

 ――美咲は、

 良太は、笑いをこらえながらその姿を見ていた。

 ――いつ気づくかな。

 遊園地のことで、美咲に内緒にしていることが、一つだけある。

 この観覧車とミニSLの間にある、池。

 これがウサギの形をしていて、一部ではウサギ池と呼ばれていること。ウサギ好きの美咲はいつ気づくだろうか。気づいたら、どんなに驚くだろう。それが楽しみで、良太はこの遊園地に来ると必ず美咲と一緒に観覧車に乗る。けれど、

 今回も、美咲はウサギ池に気づかなかった。

 美咲の目は、向こうのジェットコースターに向いていた。

 美咲は恐がりだけれど、こういう乗り物は大丈夫らしい。もっとも、美咲でも乗れるようなコースターだから大したものではないけれど。


 子供向けとはいえ、何度も連続で乗ればそれなりにこたえる。

 ほとんどの子供が一日パスポートを持っているから、くりかえし乗るのがあたりまえで、みんなそうしている。良太も、昔は何回連続で乗ったかヤマカワや他の友達と競っていた。

 何度目か忘れるほど乗って、もう一回乗りたいと美咲はせがんだけれど、良太は乗り場近くのベンチに崩れるように腰掛けた。

 帽子のつばの下から、美咲がいたずらっぽくのぞき込む。

「疲れちゃった。ちょっと休ませてよ」

 美咲は、しょうがないなあ、と良太の隣に座った。

 子供たちの歓声と安っぽい音楽、蝉の声とコースターの轟音が入り交じって、ここはかなり賑やかだ。けれど、とても気が休まる。肌はじりじりと焼かれて、

 ――日焼け止め持ってこなかったから、帰ったらお母さんに叱られちゃうな。でも、

 夏の陽に焼かれるのは、とても、心地良い。


 足をぶらぶらさせている美咲を見ると、その目は、向こうでジュースを飲んでいる子供を追っている。

 ――そろそろ、かな?

 美咲は、ちらちらと良太の顔を見る。良太は気づかないふりをして、暑いなあ、と空を見上げた。

「お兄ちゃん、あの…」

「なに?」

「ソフト…クリーム…」

 ほらきた。

「あれ? さっきお腹いっぱいって言ってなかったっけ?」

 にやり、と笑う良太に、美咲は少しむっとする。

「甘いものはべつばらなのよ」

 別腹じゃないだろう、と思ったけれど、下から見上げるようにねだられては断れない。

 良太は、母から預かったお小遣いを美咲に渡した。

「じゃあ、買っておいで。僕のジュースもお願い」

 ――やっぱり僕は甘い。いいんだ、しつけはお母さんに任せるんだ。

 下手なスキップで売店に向かう美咲を見送りながら、良太は苦笑いした。

 美咲がいなくなると、とたんに頭の中にマーナが割り込んでくる。

 マーナとジュースを分けあったことを思い出して良太は真っ赤になったけれど、その直後、今もマーナが待っているかも知れないということも、思い出した。

 それも一時のことで、美咲が早くも口の周りを真っ白にして戻ってくると、マーナのことなど忘れてしまった。


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