2-4 世界が、変わる。②
ナビに従って辿り着いたのは、三階立ての、昔ながらのなんて形容が良く似合いそうなアパートだった。
加倉先輩がいる、202号室の呼び鈴を押す。
ドタドタと、おぼつかない足音がして、扉が開かれる。
「はぁーい……」
と、寝巻き姿の、加倉先輩の姿がチラリと見えた瞬間。
ガチャンと、勢いよく扉を閉められた。
「ちょ、あの、加倉先輩!?」
「ななななな、なんで宮下さんがここに!? ゆ、夢!? 幻!?」
「夢でも幻でもありません!」
ドアノブを引く。容易く扉は開いて、私は足を踏み入れる。
「現実で、本物、です」
「ふ、不法侵入だよ!」
「いくらでも訴えて下さい!」
扉を閉めて、内側から鍵をかけた。
「それならそれで、諦めがつきます」
「……諦める気配を感じないけど」
呟いて、加倉先輩はくすくすと笑った。
ああ、なんて可愛く笑うのだろう、この人は。
こちらまで、心がくすぐられるようだ。
そんな気持ちを悟られないように、私は下唇を噛む。
「奥、入っても良いですか?」
「鍵まで閉めといて、それはないな」
「そうですよね、すみません……」
「急にトーンダウンするね」
おいで、と加倉先輩に導かれるまま、足を踏み入れる。
キッチン付きの、ワンルームだった。無駄なものは全く置かれていない。フローリングの床に、テレビと机とベッドが置いてあるだけだ。
「サッパリした部屋、ですね」
「ん、まあね」
「……一人暮らし、なんですか?」
「少なくとも、介護人はいないね」
加倉先輩は、曖昧に微笑む。
「ま、慣れればなんともないよ」
「そう、ですか」
あんまり深入りしない方が良さそうだ。
私に家族の話を振られても――困る。
「そういえば、そう。加倉先輩、風邪だって聞きましたよ!」
「う、ケホッケホ!」
「わざとらしすぎる!」
「具合悪かったのはホントホント! ちょっとタイミングも悪くて、ひどめにグロッキーになっちゃってね」
声高に、そんかことを言う加倉先輩だったけれど、その額はうっすらと汗ばんでいた。
「む、無理しないで、横になってください!」
「無理しちゃうよ」
加倉先輩は、ささやく。
「だって、ね。宮下さんが、来てくれたんだもん」
無防備に、無邪気に、無垢に、そんなことをこの人は言う。
ああ、魔法にでもかけられているみたいだ。
加倉先輩の一言一言に、翻弄される。
「それに、もう二度と話せないかと思ってた」
「……すみませんでした」
私は正座をして、頭を下げた。
「言い過ぎだったって、反省しています」
「いやいや、むしろ私が謝りたいぐらいなのに!」
加倉先輩も、私と向き合って正座をする。
「二度も怪我させそうになっちゃって、本当にごめんね!」
「二度?」
「曲がり角でぶつかったのと、宮下さんが倒れ込んで来ちゃったやつ……」
「……先輩、優しすぎです」
怖いぐらいに。
寄りかかりそうになる。
でも、それは、いけない。
「何でも自分が悪いって、思わないで下さい」
「……そんなつもりは、ないんだけどな」
「私は、ずっとありがとうって言いたかった」
曲がり角でぶつかった私を、許してくれて。
折り畳み傘を、私まで届けてくれて。
理不尽に怒った私を、嫌わないでいてくれて。
「――ありがとうございます」
「……」
加倉先輩は足を崩したかと思うと、のそりのそりとベッドの方へ行き、布団に潜り込んでしまった。
「あのー、先輩?」
「ぐあいわるくなってきた……」
「そ、そんな急に!?」
「だって、だってさ!」
布団に潜ったまま、加倉先輩は言う。
「なんか、ズルいよ、宮下……」
「ず、ズルい?」
「もー、調子狂うなあ!」
言いながら、ひょっこり頭を出す加倉先輩。
「本当に具合悪くなりそう」
「か、帰りましょうか?」
「……」
口元まで布団を被って、目だけで何かを訴えかけてくる。
こういうことも出来るのか、この人は。
ころころと表情が移ろいでゆく。
これだけ見ていて飽きない人も、なかなかに珍しい気がする。
じっと先輩を見ていると、くぅとお腹が鳴った。
「宮下さん、もしかしてお昼ご飯食べてない?」
「忘れてました」
「私、何か作ろうか?」
「どうしてそうなるんですか」
起き上がろうとする先輩を、私は制す。
「どっちが病人なのか、分かってますか?」
「でもほら私、そんなに重病じゃないし」
「それで無理をして、悪化したらどうするんですか。ただでさえ一人暮らしだって言うのに」
「……ごもっともだね」
「先輩は、ご飯食べましたか?」
「ううん。作る気力がなくて」
「……私、何か買ってきましょうか」
「いいよ。悪いよ」
「悪くないんで、言って下さい」
「……頑固者だなあ」
じゃあ、シーチキンマヨとチョコラBB、と先輩は言う。
気をつけてねと、先輩は小さく手を振った。
「不良女子高生に間違われないように」
○