2-1 同情なんかじゃ、ない。
スマホの画面が割れたままの人を見るたびに、どうして直さないのだろうと思っていた。しかしいざ、それが自分のこととなると、すぐに直そうとするわけでもなく、そのまま使い続けていたりする。スマホの画面が割れてみて、なるほどなと合点する。割れたままでも操作に支障はないし、画面が極端に見づらいというわけでもない。
直すことの手間よりも、そのまま使い続けることを選択する。
つまりは、私もそういう人間であるということなのだ。
楽な方に、楽な方に、流れようとする。
だから、私は――。
○
翌朝。
私の机の上に、丁重に折り畳まれた折り畳み傘があった。誰が置いたかなんて、考えるまでもない。傘の下には、紙が一枚置かれていた。
『昨日は、きちんと傘を返せなくてごめんなさい。怪我はなかったですか? ふざけすぎてしまったこと、反省しています。直接謝れなくてごめんなさい』
スラリとして、どちらかと言えばカッコいいナリをしているというのに、書かれている文字は全体的に丸みを帯びていて可愛らしい。
どこまでもどこまでも、私の心をくすぐってくる。
だからこそ、危うい。
「伝言を承りました」
小波がこちらに振り返って言う。
「加倉凉美先輩より、宮下水葉殿へ」
「……あの人、先輩だったの」
「にゃはっは。ミズっち知らなかったの?」
「何年生?」
「にっ」
「……伝言って?」
「ホントにごめんって、それだけだよ。とてもシリアスな感じで」
二度と話しかけないで、と私は言った。
律儀にも、彼女は、加倉先輩はそれを守りきろうとしているようだった。一度、面識を持ってしまったがゆえに、加倉凉美という存在は学校でも目に付くようになった。意識をしていなかっただけで、私たちは幾度となく廊下ですれ違ったり、体育の時間で見ていたりしていたのだろう。
私とすれ違うたびに、加倉先輩は申し訳なさそうに目を伏せながら、端の方へすすすと寄っていく。この一週間だけでも、三度はそんなことがあった。
居心地の悪さを感じるのは、私の我がままだろうか。
元はといえば、自分がまいた種でもある。
私が無理をして、折り畳み傘を取ろうとしなければ。いや、そこではない。二度と話しかけないで、なんて言わなければ。
「また溜め息ついてるよ、姉貴」
リビングでテレビを見ていると、弟の希月が揶揄するように言ってきた。
「気が散って勉強出来ねえよ」
「自分の部屋ですれば良いでしょ」
「東大王は、リビングで勉強するのが効率良いって言ってる」
「知らないよ」
「彼氏となんかあった?」
「なんにもないよ」
「だよなあ。ななやんと姉貴がケンカしてるのとか見たことねえし」
「ケンカするようなことがないもん」
「前々から思ってたけど、それってどうなの?」
希月はシャープペンを置く。
「カレカノの関係にしては不健全じゃね?」
「ケンカするほど仲が良いなんて、迷信だよ」
「俺には遠慮しあってるだけのように見えるね」
「……妙につっかかるじゃん」
「ずっと思ってたんだよ。姉貴はなんつーか、義理堅いみたいなとこあるだろ? ななやんには悪いけど、そういうところで姉貴が損して欲しくないんだよ」
「どういうこと?」
「だーかーら、同情でななやんと付き合ってるんじゃねーかって言ってるの!」
「……なにそれ」
肝が冷えた、とでも言うのだろうか。
その言葉が、あまりにも的確で。
「同情なんかじゃ、ないよ」
「じゃあ、ななやんと心から笑ったことはあんのかよ、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか、もどかしく思ったことはあるのかよ!」
冷やかしているわけではなさそうだった。
希月は、本気で私のことを案じてくれている。
――そして、この子はきっと、恋をしている。
「希月みたいに、みんながみんな気持ちで生きてるわけじゃないんだよ」
「大人ぶってんじゃねーよ」
「ぶってないよ」
むしろ、教えて欲しい。どうやったら大人に近付ける? 私が大人ぶっているというのなら、大人ぶれているというのなら、きっと加倉先輩を傷つけずに、もっと器用に距離を置くことが出来たんじゃないかって思える。
「集中して勉強しな」
希月は、広げていた勉強道具一式をまとめて、立ち上がる。
「……ななやんが心配してたよ」
「七也と話したの?」
「勉強、教えてもらってたんだよ」
「七也が、何か言ってたの」
「最近様子がおかしいけど何かあったのかって、しきりに聞かれたよ。自分で聞けって話だっての」
「……ごめん」
希月は呆れたように息を吐いて、姉貴が謝ることじゃねえだろ、ってぶっきらぼうに希月は言う。
「なあ、姉貴」
リビングを出ていく間際、希月はこちらに振り返る。
「優しいのと、何も言わないってのは、全然違うって」
「……大人ぶってる」
「このバカ姉貴」
勢いよく扉を閉めて、希月はリビングを後にした。
○