2-5 世界が、変わる。③
近所にあったコンビニから帰ってくると、加倉先輩は布団の中で眠っていた。あんまり眠れていなかったのだろうか。すやすや、なんて寝息が聞こえてきそうなぐらいに、ぐっすりねむっているように見える。
膝をついて、加倉先輩の顔を覗き込んだ。
綺麗な顔をしている。
化粧もしていないのに、ずいぶんと肌艶が良い。
生まれ変われるのなら、こういう顔になりたい。
隙だらけな、先輩。
そっと、髪に触れてみる。
さらさらで、とてもさわり心地が良い。
手のひらを広げて、そのまま頭を撫でる。
撫で続けていると、お腹からほわほわとしたような波が押し寄せて、心地良くもあり、どこか気持ちが悪い。そのバランスが絶妙で、私は手を止められないでいる。
頭を、撫でているだけなのに。
ああ、分かる。分かってしまう。
この気持ちは、この感情は、
言葉で言い表すならば、それは――。
「ん……」
不意に寝返りをうたれて、私は瞬時に手を引っ込めた。
ばくばくと、心臓が音を立てて騒ぎ出す。
平静を装って、私は「買ってきましたよ」と先輩に声をかけた。
「……」
無言でゆるりと左腕を上げる先輩に、シーチキンのおにぎりを持たせる。そうして左腕を掲げたまま、先輩は起きあがった。
「おにぎりが降ってきた」
「天変地異ですね」
「ああ、世界は、シーチキンマヨで埋め尽くされてしまった」
「意外と、その方が平和になるかもしれませんね」
へへ、と先輩は笑う。
「シーチキンマヨが、世界を救う?」
「シーチキンマヨだけで生きられるように、みんな進化するんです」
「世界が、変わるね」
へんなの、と先輩はおにぎりをかじる。
パリっというノリの音が、響いた。
○
お互いに遅めのお昼ご飯を終えて、「帰ります」と私は言った。
「えー、帰っちゃうの?」
「遊びに来たわけじゃないですから」
自戒を込めて、私は言う。
「私がいたら先輩、無理しそうだし……」
「別に、してないけどな」
「早く良くなって欲しいんです」
鞄を持って立ち上がると、「待って!」と先輩に引き止められる。
「その、連絡先を教えてもらっても?」
恐る恐る、と言った風に先輩は言ってくる。
「やっぱり、嫌、かな……?」
勇気を。
勇気が、必要だったのだろう。
だって、その申し出を、私は嫌だと言って一度断っている。
「先輩」
私は鞄を置いて、先輩と向き合った。
ただ、息を吸って、息を吐いて、あなたという存在を網膜に映し出して、あなたの部屋の匂いを感じて、あなたの声を聞いて、あなたとご飯を食べて、あなたにそっと触れただけなのに。
「先輩の連絡先、知りたいです」
「いいの!? やったやった!」
私は、何も変わっていないのに。
「……スマホの画面、バキバキだね」
「落として、壊して、そのままなんです」
「ワイルドだ」
「意外と、見にくくないんですよ」
「へえ。じゃあ、私も割ってみようかな」
「どうしてそうなるんですか」
「バーコード読み取れた?」
「読み取れました」
「おお、じゃあメッセージ送って送って」
「……送りました」
「よろしくお願いします、って無難だね」
「それ以外、何を送るんです」
「シーチキンマヨ食べたいです」
「意味が分かりません」
「平和には程遠いね」
「遠いですね」
「遠いね」
「……」
「遠いね、宮下」
じゃあ、と私は立ち上がり、今度こそ部屋を出ようとする。
「お大事になさって下さい、加倉先輩」
「うん。ありがと。また連絡するよ」
「はい、それじゃあ、待ってます」
扉が閉まる。
世界が、変わる。
私の見ている、世界が、変わる。
私は、加倉先輩のことが、好きだ。




