1-3 VR
女性はテーブルに右肘をつき、人差し指を上向きにクルクルと回した。
天井の梁を見上げながら、何かを考えているように話し始めた。
「まず、この世界は……所謂、ヴァーチャルリアリティの世界と考えて貰えばいいのかな? 或いは夢?」
いきなり思いも寄らない話を、思いも寄らない疑問形で語られ、面食らいながら、私はすぐに自分の両手のひらを見てみた。
手のひらを裏返したり、腕の皮膚を注意深く見てみたりしたけど、VRだという認識はとても出来そうにない。夢としてもこんな現実的な明晰夢なんてあり得ない。
「……とても、夢とも仮想現実とも思えませんけど……」
「精密よ。貴方一人の情報を扱うのにも、量子コンピュータが数台使われてるらしいからね」
私は目の前にある紅茶のカップとミルフィーユスプーンも指で注意深く触ってみた。
現実じゃないと言われても、かえって現実感を疑えない。
……とてもすごいコンピュータが使われていたって、このリアルすぎる感覚が偽物とは、理屈がわからない。
紅茶もケーキも私の喉に入った刺激……その刺激さえ嘘の物と言われても。
「紅茶もケーキも美味しかったですけど……」
「脳へと直接に情報をインプット、アウトプットしてるとからね。シナプス可塑性研究を利用した脳波を受けとるヘッドギアを装着して、逆に電磁波で神経系に刺激を与えて、色々な感覚に介入してるの。どんな外的刺激も自己情報にて変換される反応だしね」
「……実際の私はどうなってるんですか?」
「VRシステムに繋がれて眠ってるってこと。だから、夢を見てるとも言えるのよ」
女性の言い方は衒学的ではあったけど、無知な私には、それを疑問で問う手段も根拠もなかった。
一抹の不安を覚え顔を強張らせる。
「私、何故? いつの間に?」
「そっか。やっぱり記憶障害起こしてるのね。稀にあるのよ、システムとして不完全よねぇ。でも、まあ心配いらない。世界への相性みたいなモノで一過性よ」
女性に微笑まれた。それがかえって私の底の方にある不安を煽り立てた。
「……今すぐってわけではないですけど、これをやめるにはどうしたらいいんですか?」
私は未だVRにいるという実感が得られなかった。
けれど、だからこそ、ここにいることを躊躇する空気はある。
ただ、ミチとカイがここに居るのなら、最低でも二人に会ってから共に離れようと考えた。
「かなり貴重な体験をしてるのよ。それを出たいなんて。……早くゴールしたらいいのよ」
女性は椅子から立ち上がる。そして両腕を水平に上げる。まるで世界を紹介するように空を仰いでいる。
「そう、これはゲーム。貴方がゴールする為のゲーム」
演技染みてる……私は正直にそう思った。
只のVRゲームに、「貴方の全てがそこにある」みたいに言われても。
少し空気が嫌だなと思い始め、ソワソワとした仕草が思わず外に出てしまった。
偽物の世界でも、もうそろそろ二人に会いたい。
女性はそんな私の心理を見抜いたのか、一度私に顔を向けてから腕を下ろした。
私は恐る恐る聞いてみる。
「……ゴールって何ですか?」
「取り敢えずの目的は、お友達に聞いてみて。彼女たちは貴方より経験積んでるから」
「……えーと、このゲームの中止方法はどうしたら良いんですか? 貴方に言えば良いんですか?」
「私はただの案内役。貴方に会うのもスタート前のこの時だけだから」
「では、どうしたら……」
「管理者はログを取ってると思うよ。貴方が中止したいと思えば、いつでも意思は通じてるんじゃないかな?」
「……そうですか」
意思が通じる……っていうのは曖昧な表現だと思う。意思が通じたら中止にして貰えるのかという確約がまるで無い。
ただ、どうもこの女性は変だ。会話が何処かで食い違ってしまってる。
何処かでこんな印象があったなと思ったら、それこそ昔やったことのあるゲームのキャラクター、NPCとの会話だった。私は、こんなところにここがVRのゲーム内である可能性を見出した。
「このゲームの所要時間はどれ程ですか? ご覧の通り学生ですし、あまり遊んではいられません」
「実世界の時間でいいのなら、ホンの数分よ」
「……ゲームって、そんな簡単なモノですか?」
私は安心するより呆気にとられた。
そんな数分のゲームの為に、前置きだけで何倍もの時間がかかるのか。
「でもね、この世界は早い、或いは遅いのよ」
また変な表現。私が「何の事ですか?」と質問する前に女性は続けた。
「時間がね。こちらの一日が実世界では一秒も無い」
「え?」
「この説明を受けてる時間なんて、ゼロコンマの下にいくつゼロがつくかわからない程の刹那ね」
「……どうなってるんでしょうか?」
「精神は物理に縛られないってこと。普遍的ではない時間は特にね。ここは『精神が世界と直結する世界』よ」
あと少しで「言ってることがよくわかりません」と言いそうになった。
けれど、始めから理解が追い付いてない話を、これ以上に話して貰っても余計混乱するのは見えていた。
「あ......ありがとうございます」
無難にお礼で納めたつもりだったけど、直ぐ後悔した。
実時間がそんなに違ってるなら、私がゲームを抜け出したいと思っても、それが管理に届くのだろうか、という疑問が脳裏をかすめてしまったから。
「私の案内は、あとは、ゲームオーバーにはならないようにかな?」
「ゲームオーバーって何ですか?」
「死ぬことね」
ニコニコしながら忌むべき発言を軽く言う女性に対し、私のウチの心は密かに恐れおののく。
「......ここ、死ぬゲームなんですか?」
「ここまでリアルなヴァーチャルリアリティですから、死ぬようなことをすれば当然死にますよ」
「......例えば……死んだら、ゲームから離脱できるんでしょうか?」
「さあ。普通、死んでしまったヒトがどうなるかなんて誰にもわからないでしょ?」
「けど、その可能性があるってことでは」
「否定しませんし、肯定も出来ません。ですが死ぬことはお勧め出来ませんよ。なぜならーー」
私は女性の話を聞き流し、一度ゲームオーバーしてみるのも良いかなと思い始めていた。
「ーーこの世界の死もまたリアルだから」




