09 ハウンドドック
その日の和葉の動きは、明らかに精彩を欠いていた。
いつも後から和葉の戦闘ぶりを見ている俺だから分かる。
動きにいつもの“キレ”がない。
また、探索時にはチラチラとこちらの様子を窺い、俺と目が合ったかと思うと恥ずかしそうにそそくさと移動する。
声をかけても、ぎこちない会話が二度、三度続くだけですぐに会話が終了してしまう有様だった。
理由に心当たりはない、と言いたいところだが――
(まあ、間違いなく昨日の“アレ”が原因だろうな……)
考えてみれば和葉も、いわゆる“年頃の娘さん”なのだ。
一度、意識してしまうと異性の視線が気になってしまうのは仕方のないことなのだろう。
しかし、平時であれば何も問題はないが、ここは恐ろしい魔物たちが跋扈するダンジョンなのだ。
異性の視線が気になると恥ずかしがっていては、その隙がいつ命取りになるか分からない。
(はぁ、仕方ないな)
そもそもの原因は俺にあるのだ。
ならば、この状況をなんとかするのは俺の役目だろう。
俺は意を決して和葉に声をかけた。
「和葉さんや」
「――っ、なに?」
和葉は一瞬ビクッとしたあと、俺の問いかけに答える。
「あー、その、なんだ。昨日の件だけど……」
「う、うん……」
と、そこまで言ったところで唐突に和葉の目付きが鋭いものに変わった。
これまで何度も経験してきたことだ、言葉にされなくとも分かる。
和葉がこの目付きに変わる時、それは魔物の接近を感じ取った時に他ならない。
「――敵三匹、近づいてきてる!」
「おう!」
俺の推測を証明するかのように和葉が合図を出す。
見ると、イヌ型の魔物“ハウンドドック”が三匹、こちらに接近中だった。
(まったく、空気の読めない魔物たちだ!)
俺たちは襲い来る魔物たちの迎撃を開始した。
「――ふぅ」
和葉が小さく息を吐き、剣を鞘に収める。
和葉を中心に据えるようにして二対の粒子の柱が上空へと昇り、やがて消えていった。
(ん? 二対……?)
魔物は三匹いたはずだ。
粒子の柱が二つしか立っていないということは――っ!?
和葉の後方、倒したと思っていたハウンドドックは、しぶとく生き残っており、今まさに和葉に飛びかからんとしていたところだった。
「和葉ぁ!! 後に敵がいるぞぉぉぉーーーっ!!」
俺はあらん限りの声を張り上げ、叫ぶ。
「――っ!?」
生き残りの存在に気付いた和葉は振り返り、飛びかかってくるハウンドドックの攻撃をすんでのところで左腕に装着していたバックラーで受け止めることに成功する。
しかし、和葉はその衝撃で転倒してしまう。
(まずい! あの状態だと抜剣できない!)
不意打ちに失敗し、地面に着地したハウンドドックは、なおも和葉に飛びかからんと、身を低く屈めているところだった。
(間に合え――っ!!)
俺は和葉の元へと駆け出す。
しかし、少し離れた場所から駆け出した俺と、和葉のすぐ近くから跳躍したハウンドドック。
どちらがより早く和葉の“元”へと辿り着くか、なんてことは自明の理で……。
まるでスローモーションでもかかったかのように時間がゆっくりと感じられ、ハウンドドックが和葉の元に辿り着くまでの軌跡を、コマ送りで見せつけられているような気分だった。
少しずつ、少しずつハウンドドックが和葉へと近づいていく。
そして――
――ザクッッッ――
――そんな音が辺りに響く。
ハウンドドックは、和葉の元へと辿り着くことなく、空中でその突進を停止させていた。
見ると、いつの間に取り出したのか、和葉はサブウェポンとして装備していたダガーをハウンドドックの喉笛に突き立てており、これが敵の突進を食い止めていたのだ。
絶命したハウンドドックは、その身を粒子へと変貌させていく。
安堵した俺は、その場に崩れ落ちてしまった。
「アハハ……ちょっと油断しちゃってた……そーちゃんのお陰で助かったよー」
こんなことは何でもないとばかりに笑う和葉。
俺にはその笑い声がとても空虚なものに感じられた。
そんな和葉を見て俺は――
「そーちゃんっ!?」
――思わず和葉を引き寄せ、抱きしめていた。
「良かった……本当に良かった……っ」
「……心配かけてごめんね」
「いや、謝るのは俺の方だ。俺が戦えないばっかりに、ずっと和葉を危険な目に遭わせて、さっきなんて死にそうな目にまで……」
改めて自分の不甲斐なさに腹が立つ。
何故俺は後衛職向きのステータスとスキルなんかを与えられてしまったのだろうか。
そうでなければ、和葉と肩を並べて戦うことも、和葉を守ってやることもできたのに。
「そーちゃんが謝る必要なんてないよ。それに私、嬉しいんだー」
「……嬉しい?」
「うん、元の世界では、ずっとそーちゃんに守ってもらってばかりだったから、今度は私がそーちゃんを守る番になれてね、嬉しいんだー」
は? 俺が和葉を守っていた?
何を言っているのだろうか、こいつは。
「元の世界でお前を守っていた記憶はないんだが……」
「うん、そうだよね。そーちゃんならそう言うと思ってた」
あははー、と和葉は笑う。
守っていたとはアレか、もしや和葉が忘れていた宿題を見せてやったりした時のことを言っているのだろうか。
いや、まさかそんな……。
しかし、その“まさか”がありうるのが和葉だ……。
「さて、私としてはもう少しこうしていたいけど、さすがにダンジョンの中だとねー」
俺がグルグルと思考を巡らせていると唐突に和葉がそんなことを言う。
その言葉で、自分がずっと和葉を抱きしめたままの状態だったことに気付き、慌てて和葉を引き離した。
「す、すまん……」
『別にいいよー』と言いながら和葉は、忘れていた魔石の回収を行いだす。
それは俺の仕事なのだが、ある考え事をしていた俺は回収を和葉に任せ、その場にじっと突っ立っていた。
暫くして、和葉が回収した三つの魔石を受け取り、専用の袋に入れた俺は、和葉を真っ直ぐに見据える。
「和葉」
そして、自分の“決意”を和葉に告げるのだった。
「――俺も、戦うことに決めた」