41 セティ
アルファウト家での俺の朝は早い。
俺には朝から、とある仕事が課せられているためだ。
故に俺は今日もお勤めを果たすべく、起床後、手早く身支度を整えて仕事場へと向かった。
仕事場に着くと、先に到着していた仕事相手と合流して朝の挨拶を交わす。
「おはよう、セラ」
「おはようございます。ソウイチロー様」
そう、俺の仕事相手とはセラのことだ。
「それじゃ、エンチャントするぞ」
「えぇ、よろしくお願いします」
そして俺の仕事とは、朝一でセラに≪スキル付与≫を使用することだった。
というわけで、俺が向かっていた仕事場とは、もちろんセラの部屋のこと――ではない。
俺とセラが合流したのはセティの部屋の前、つまりここが俺の仕事場だった。
と言うのも、セラの目が見えるようになってからは、セティの髪をとくのがセラの役目になったからだ。
最初の頃に比べると、だいぶセラの目も良くなってきたらしいのだが、やはりまだ細かい作業などを行うのは辛い状態らしい。
そこで俺の出番と相成ったわけだ。
もとより断る気は毛頭ないのだが、この屋敷に置いてもらってる条件でもあることなので、こうして俺は毎朝セラにエンチャントを行うため、この場所にやってきているというわけである。
「セティ姉様、入りますわよ」
セラがセティの部屋のドアをノックする。
セティの返答を待って、セラは部屋の扉を開いた。
「さ、ソウイチロー様もどうぞ」
セラに促され、セティの部屋の中へと入る。
これは何も今回だけのことではない。
リーリアとの剣の訓練が夜の日課なら、セラがセティの髪をといている様子を眺めながら、この姉妹と会話をするのが俺の朝の日課になっていた。
最初の頃は、年頃の女性の部屋に男が入るのはどうかと思ったし、せっかくの姉妹水入らずの機会を邪魔するのは悪いと思って断っていた。
しかし、何故かセラが是非にと言うので結局は折れてしまい、今では日課とまでになってしまったわけだ。
と言っても会話の内容は大したものじゃない。
昨日食べた料理の話や今日の天気の話、そして時にはダンジョンでのセティの活躍ぶり等々。
そんな、とりとめもない話を延々としているだけだったのだが……。
「セティ姉様、今日はダンジョンに向かわれるのですか?」
「ん? ああ、そうだな……どうだろうか……」
昨日もそうだったのだが、今日もセティの様子がおかしい。
いつもはあんなに楽しそうにセラと会話をしていたのに、昨日に引き続き今日はセラが話しかけても上の空か、もしくは気のない返事を返すだけであった。
先日の一件が、まだ尾を引いているのだろうか。
今日のダンジョン探索はどうすべきか迷っていたが、この様子だと今日も中止にした方が良さそうだ。
「セティ、今日もダンジョン探索は止めておこう」
「――っ、すまない……」
セティは、その整った顔を口惜しそうに歪めると、彼女らしからぬか細い声で謝罪の言葉を口にした。
(……ここが潮時なのかもな)
その時、俺は一つの“終わり”が訪れることを予見していた。
※ ※ ※
「――セティ、剣の訓練に付き合ってくれないか」
朝食後、セティと二人きりで話をしたかった俺は、そういう名目で彼女を庭へと連れ出す。
いつもは夜に訪れているこの場所に、こんな明るい時間帯から来ることになるのは今回が初めてのことで、なんだかいつもの風景が違って見えた。
「さて、それじゃ話をしようか」
前置きもなく唐突に切り出すと、セティはビクッと身を震わせる。
その姿を見て、なんだか親に叱られる前の子供のようだ、なんてことを思ってしまった。
「最近様子がおかしいとセラが心配してたぞ。その、悩みがあるなら話してみてほしいんだが……」
『たとえばパーティーを抜けたいと思っているとか』――後に続くはずだったその言葉を、俺はすんでのところで飲み込む。
実際に口に出してしまうと、本当にそれが現実のものになってしまうように思えたからだ。
しかし、昨日からセティの様子がおかしかった原因は、つまりそういうことなのだろう。
そもそも、セティがダンジョンへと潜っていた目的はセラの目を治すためだったが、その目的は既に達成されている。
もはやセティには、命を賭けてまでダンジョンに潜る理由がないのだ。
それでも普通の冒険者であれば、日々の糧を得るためにダンジョンに潜る必要があるが、良家のお嬢様であるセティにはその必要もない。
確かに俺たちにとってセティの離脱は痛手だ。
しかし、それでもダンジョンに潜る理由がない者――特に潜る気を失ってしまった者を無理やり連れていって危険に晒すわけにはいかなかった。
「……常に皆を気遣い、皆を護るためなら命を捨てることすら厭わぬ者――“真の騎士”とは、きっとソウイチロー殿のような方のことをいうのだろうな……」
「な、なんの話だ……?」
「悩み……そうだな、私はあれからずっと悩んでいることがある。何故私は、こんなにも不甲斐ない人間なのだろうかと……!」
「不甲斐ないって……そんなことはないだろう? セティはみんなを護る立派な騎士じゃないか」
「――違う! 違うのだ、ソウイチロー殿……私は貴方が思ってくれているような立派な騎士とは程遠い――卑怯で薄汚い人間なのだ……!」
「セ、セティ……?」
「私はあの時、セラの顔が思い浮かんでいた! 口ではしんがりを勤めるなどと言っておきながら本当は心の中で『セラためにも死ぬわけにはいかない』なんてことを思っていたのだ……!
ゆえに『カズハを連れて逃げろ』と命じられた時、私は安堵した!
貴方は仲間を助けるために命を捨てようとまでしていたのに、私は後悔や自責の念に囚われるよりも先に安堵してしまったのだ!
何が騎士だ! 何が『我が忠誠を捧げる』だ! 主のために命を捨てる覚悟もないくせに……!
あまつさえ『これは主の命令だから仕方ない』などと卑怯で浅ましい言い訳を必死に言い聞かせて、自分の行為を正当化しようとしていたなどと……!
情けない、不甲斐ない、腹立たしい……!
しかし、そんな想いもセラの顔を見るだけで全て吹き飛んでしまう!
自分が何を犠牲にしようとしていたのかも忘れて『生きていて良かった』と、ただそう思えてしまうのだ……!
本当に……本当に度しがたい……」
俯いたままの状態で、その悲痛な胸の内を吐露するセティ。
彼女の頬にはいくつもの涙の筋が出来ていて、ポタポタと地面を濡らしていた。
そんな彼女に対して、俺はかける言葉を持ちあわせていなかった。
この時までは――
「そうだ……セラのことだって言い訳に過ぎないのかもしれない……『セラのために』などと言いながら本当は自分が生き残るために利用――」
その言葉を言い終える前に、俺は手にしていた木剣でセティの頭をゴツンと叩いた。
「――そこまでにしておけ。人間気分が滅入っている時は悪い方向へと思考を巡らせがちだけど、それでも“今の”だけはダメだ」
「し、しかし……!」
ずっと俯いたままだったセティ顔がようやくあがる。
その瞳は真っ赤だった。
「まあ、まずは俺の話を聞いてくれ。二点ほど言いたいことがあるんだ」
そう前置きしてから俺は話を続ける。
「まず、何か勘違いをしているようだけど、命を捨てることは別に偉いことでも格好良いことでもないからな?」
そう、騎士だかなんだか知らないが、命を捨てることが美徳だなんてことがあるはずがない。
「次に、俺にも妹がいるんだが、これがまたセラに負けないくらいに可愛い妹でな?」
「……は?」
「妹を大切に想う者同士だからこそ分かることがある。和葉に何度もシスコンと言われた俺が保証するよ、お前のセラを想う気持ちは本物だ。決して自分が生き残るために作り出した、都合の良い幻なんかじゃない」
そもそも、セラの目を治すために単身ダンジョンへと挑むような彼女なのだ。
その想いが本物でないなら、いったい何が本物だというのか。
「妹のため、セラのために死ぬわけにはいかない――結構なことだ。悪いことなんて何もないと俺は思うぞ?」
「しかし、私はソウイチロー殿の騎士で……!」
「その俺の騎士というのを認めた覚えがないのは置いておくが、それを言うなら騎士としてちゃんと俺の命令に従ってたじゃないか。だったら別に心の中で何を思っていようが俺は関知しない」
「いや、しかし……」
「それとも何か? お前の言う騎士とやらは、生きたい、死にたくない、そんな人として当たり前の感情すら持ってはいけないのか? それじゃ人形と変わらないじゃないか」
「――っ!?」
「もう一度言うぞ。お前が自分のことをどう思っていようとも、俺はお前のことをみんなを護る立派な騎士だと思っている。それだけは揺るがない」
「こ、こんな私をまだ騎士だと、そう言ってくれるのか……!」
セティの目から再び涙が溢れ出す。
「……分からない。教えてくれソウイチロー殿……私はいったい、これからどうすればいいのだろうか……?」
「すまないが、それは自分で決めてくれ。再び俺たちと来てくれるなら歓迎するし、それが無理でも何も言わない。ただ、後悔のない方を選んでほしいとは思う」
「後悔のない方を……」
その後、明日までに返答してもらう約束を交わす。
(あぁ、やってしまった……)
これでセティは、俺たちのパーティーを確実に抜けることになるだろう。
俺たちとセラ――どちらを選ぶのかなんて考えるまでもない。
しかしこれでいいんだ。
セティと同じで、俺も自分が後悔しない道を選んだだけだ。
俺は自分にそう言い聞かせながら屋敷へと戻った。
――翌朝。
「起きろ、ソウイチロー殿! 今日も良い天気で、絶好の探索日和だぞ!」
「……いや、ダンジョン潜るのに天気は関係ないだろ」
以前にも似たようなやりとりがあったな、なんてことを朦朧とした意識で思いつつ俺は起床する。
てっきり声の主は和葉だと思っていたのだが、目の前に居たのは意外にもセティだった。
「……は? セティ?」
「うん、いかにも私がセティだ」
目の前に居たのがセティなのも意外だったが、もっと意外なのは既に彼女はいつもの鎧を着込んでいて、ダンジョンへと向かう準備が万全だったことだ。
これは俺が寝坊したのではない。
むしろ感覚的には、いつも起床する時間より一時間ほども早い。
「……え? なんで? パーティーを抜けるものだとばかり……」
「確かに昨日まではそう考えていた。しかし、考えが変わった。私はここで、何も成せぬままダンジョン探索を止めてしまったら、きっと一生後悔してしまう。ゆえに再びソウイチロー殿たちと共に征くことを許して欲しい」
そう言ってセティは頭をさげる。
本来は許すも何もないのだが、俺はあえて答えずに一つの質問をすることにした。
「俺たちのような未熟者たちと一緒だと、また危険な目に遭うかもしれないぞ?」
「なに、未熟なのは私も同じ。それに次に危険な目に遭ったのなら、今度こそ私が皆を護ってみせる」
セティはニカッと笑う。
その顔は、昨日まで沈んだ顔をしていた人物とは到底思えないほどに晴れやかだった。
「……分かった。約束通り歓迎しよう」
こうして、セティは再び俺たちの仲間となったのであった。
「ところでソウイチロー殿、肩にゴミが付いているぞ。取ってやるから少しの間動かないでくれ」
そう言ってセティは俺に近づいてくる。
しかし、セティは俺の肩に付いているゴミとやらを取ることはしなかった。
「え!?」
柔らかな感触が頬に触れる。
セティが俺の頬に口づけをしたのだ。
「な、なにを……っ!?」
「い、いやなに! “誓いの儀式”を行った時に“誓いの口づけ”を行っていなかったことを思い出してな!? 今やってみたというわけだ!」
「えぇ、なんで今……」
『まあ、いいじゃないか』と言って、セティはそそくさと部屋を出て行った。
(あれ? でも、騎士の“誓いの口づけ”って、主の手の甲か自分の剣にするんじゃ……)
……いや、きっとこの世界では頬にするのが一般的なのだ。
欧米式の挨拶と一緒だ、うん。
深く考えるとドツボにはまりそうなので、そういうことにしておく俺だった。