29 専属メイド
(――んっ?)
朝の光に眩しさを感じながら覚醒する。
目を開くと、そこには見知らぬ天井が広がっていた。
(ここは……?)
最初に違和感を感じたのは背中だった。
背中に感じる感触が、毎朝感じていた、あの安物のベッドの硬さではない。
とても柔らかい高級感溢れるものであることからも、ここがいつもの宿でないことは明らかだった。
「――そーちゃん! 良かった、目が覚めたんだね!?」
突如、聞き慣れた声が聞こえる。
声のした方へと向くと、そこには憔悴した顔を見せる和葉がいた。
「和葉……ここはどこだ?」
「ここはセティさんのお屋敷だよ。昨日のこと覚えてる? そーちゃんってば、急に倒れちゃうもんだから一晩泊めてもらうことになったの」
「倒れた? 俺が……?」
言われて昨日の記憶が蘇ってくる。
そうだ、あの時セラさんにスキルをエンチャントしたあと、何かとても恐ろしいものが身体中を駆け巡る感覚に襲われて、それから……。
「ともかく、そーちゃん。体は平気? どこか痛いとこはない?」
「ん……ああ、特に痛みはないな」
そう言って上半身を起こす。
少し体を動かしてみたが、やはりどこにも痛みや異常は感じられなかった。
「というか、俺よりもお前の方が平気か? 酷い顔してるぞ」
おそらく一晩中俺の看病をしていたのだろう。
和葉の目の下には立派なクマが出来上がっていた。
「言い方! もー、そーちゃんのせいでこうなったんでしょ!」
和葉は両手でベッドをバンバンと叩く。
俺は笑いながら謝り、和葉をなだめた。
「――おお、ソウイチロー殿! 目が覚めたのだな!」
「良かった……心配したんですよ!」
喜びの声をあげながら、セティさんとアエリーが部屋へと入ってくる。
その後には、メイリアさんに手を引かれたセラさんの姿も見えた。
「すみません、なんか迷惑かけたみたいで……」
「何を言う、迷惑をかけたのはむしろこちらの方だ。今回の件、私の我が儘でソウイチロー殿に無理をさせてしまい、誠に申し訳ない!」
セティさんは深々と頭をさげる。
無理をしたつもりはいっさいないので、そんな風に頭をさげられても困るのだが……。
「――そして、本当にありがとう! ソウイチロー殿は我ら姉妹の恩人だ!」
「恩人……?」
「こういうことですわ、ソウイチロー様」
後に控えていたセラさんが一歩前へと出る。
そして、瞳をパチリと開かせた。
「目が……見えるようになったんですか……?」
「ええ、全てはソウイチロー様のお陰です。本当になんとお礼を申し上げてよいのやら、感謝の言葉もありませんわ」
「いや、お礼とかは別にいいんですが……でも、エンチャントの効果はとっくに切れてるはずなのに、なんで……?」
「勿論、その辺りの説明はさせていただきます。ですが、その前に――食事にしますか? お風呂にしますか? そ・れ・と・も――」
「――お風呂がいいかなっ!」
セラさんの言葉を遮るようにして意見を出す。
一晩泊めてもらったうえに、風呂まで借りようなどどは不躾の極みだが、それも仕方ない。
彼女のセリフを最後まで言わせてしまったら、絶対にややこしいことになると俺の直感が囁いたのだから。
※ ※ ※
「あぁー、生き返るわー」
猛烈におっさん臭いセリフを吐きながら、俺は湯船に浸かっていた。
“疲れがお湯に溶けていく”といった表現があるが、今がまさにそんな感じだ。
いつもは大浴場という、いわゆる銭湯のような場所で、大勢に囲まれながら風呂に入っていたせいだろうか。
この大浴場に勝るとも劣らない広さの湯船を独り占めしていると、優越感や開放感といった――
「まあ、気持ちよければなんでもいいや……」
今の俺の脳は、疲れと一緒にお湯で溶かされていた。
そんな極上の一時を味わっている時、ふいに浴場の扉が開かれる音が聞こえる。
「旦那さま~、湯加減はいかがですかにゃ~」
「お背中を流しに参りました」
元気な声と落ち着いた声、そんな対照的な女性の声が浴場に響く。
「何事っ!?」
「初めまして、本日よりお客様の専属メイドとなります、“リーリア”と申します」
「同じく、“ミケコ”ですにゃ!」
そう言って二人の少女は頭をさげる。
彼女たちはメイリアさんが着ていたようなメイド服ではなく、日本のメイド喫茶で見かけるようなタイプのメイド服を着ていた。
「せ、専属メイド!? 何それ、聞いてないけど!」
「ついさっき決まりましたにゃ!」
えへんと胸を張って報告するミケコさん。
それと同時に、彼女の頭に生えている(?)猫耳がピクピクと動いていた。
「へー、そうなんだ……じゃあ、それは分かったんで出て行ってくれるかな……?」
「いえ、先ほど申し上げた通り、私たちはお客様のお背中を流しに参りました」
長い黒髪をポニーテールにまとめた少女リーリアさんが、少し困った顔をして言う。
「いやいや、大丈夫だから! 背中くらい一人で洗えるから、どうぞ俺のことはお構いなく!」
「あの、そういうわけにも……」
「遠慮なんてしなくていいにゃ、旦那さま! 全部ミケコにお任せにゃ!」
「遠慮なんてしてないから! 近づかないで! ちょ、腕を引っ張らないで! やめてぇーーーっ!!」
こうして俺は、強制的に同じ年頃であろう少女二人に、背中を流されるという珍事を体験することになった……。
「お客様、痛くないですか?」
「はい……大丈夫です……」
リーリアさんの問いに、今にも消え入りそうな声で答える。
今の俺のはというと、背中はミケコさんに、そして左腕はリーリアさんに洗ってもらってる状況だった。
(なんだこの状況! いや、マジでなんだこの状況っ!?)
心の中でそんな言葉ばかりを呟く。
状況がありえなさすぎて、実はまだ夢の中にいる可能性だって考えが、一向に目覚める気配はない。
「にゃははっ、旦那さまってば緊張してて可愛いにゃ~」
「ききき、緊張なんかしてねーし!?」
「えー、ほんとですかにゃ~?」
突如、ピトッと俺の背中に、二つの柔らかなものが押し当てられる。
「ヒィッ!?」
「旦那さまぁ、そんなに体を強ばらせて、どうかしましたかにゃ~?」
「い、いや……体をくっつけたりなんかしたら、服が濡れるんじゃないかにゃ~と……」
鋼鉄の理性をもって言葉を絞り出す。
しかし、彼女に釣られ、思わず言葉に『にゃ』を付けてしまったのはご愛敬だ。
「え~、服を脱げって言うんですかにゃ~?」
「誰もそんなこと言ってないよね!?」
「恥ずかしいけど、旦那さまがそう命令するのにゃらミケコは――ふぎゃっ!?」
後方からミケコさんの悲鳴と共に、スパーンと小気味よい音が聞こえる。
「ミケコ、真面目に仕事なさい」
「あ、ありがとうございます、リーリアさん」
正直この人がいてくれて助かった。
俺一人ではミケコさんの相手は到底出来そうにない。
「お客様、私のことはリーリアとお呼びください」
「あ、ミケコのこともミケコでいいにゃ!」
「はぁ、分かりました……」
「あと、私どもに敬語は不要ですので」
「はぁ……」
そう言ってリーリアさん……いや、リーリアは淡々と仕事に戻る。
ミケコのように騒がしいのもアレだが、こう淡々とされるのもどうなんだろう。
二人っきりになった場合に、会話が続かなさそうだ。
「……そういや、ミケコ」
「なんですかにゃ、旦那さま!」
「その、なんで俺のこと“旦那さま”って呼ぶんだ? 俺はただの客で、この屋敷の人間じゃないんだけど」
先ほどから気になっていたことをミケコに質問する。
リーリアは俺のことを“お客様”と呼ぶのに、何故彼女のは“旦那さま”と呼ぶのかと疑問に思っていたのだ。
「えー、今はそうかもしれにゃいけど、そんなの時間の問題にゃ!」
「はい?」
「お嬢様たちから雌の匂いがプンプンしてたにゃ! あれは旦那さまが少し押すだけで、すぐ堕ちるに違いないにゃ!」
「……リーリア」
「お任せを」
リーリアさんは、名を呼ぶだけで俺の意図を察してくれる。
そして、再び浴場にミケコの『ふぎゃっ!?』という悲鳴と、スパーンという小気味よい音が響いた。
なんだかリーリアさんとの間に、奇妙な連帯感が生まれた気がした。
「――さて、今度は前の方を洗わせていただきますので、こちらをお向きいただけますか?」
「はぁっ!? いやいやいや、前は自分で洗うからいいよっ!」
「照れなくていいにゃ、旦那さま~」
「照れるとか照れないとか、そんな問題じゃないんだよ!」
「お客様、たとえ今、お客様がどんな状態であろうとも、それは健全な男子の証拠。私どもはいっさい気にしませんので、ご安心ください」
至って真面目な顔でリーリアがそんなことを言う。
しかし、そっちが気にしなくとも、こっちが気にするのだ。
「さあ、お客様っ」
「こっちを向くにゃ!」
「あっ……あああっ……!」
メイド二人に追い詰められる俺。
『このままではやられる!』――そう感じた俺は、最終手段へと出ることにした。
「ほっんと、勘弁してくださいぁぁぁーーーい!!」
そう、俺のとった手段、それは日本に古来より伝わりし、交渉時における最終にして最強の手段“土下座”である。
しかも、場所が浴場であったことから、くしくも俺は土下座の中でも最上級の土下座“全裸土下座”を披露する形になっていた。
「お、お客様っ!?」
「なんという美しいフォームにゃ……」
さすがの彼女たちも、この全裸土下座の前では動揺を隠せないようだ。
簡単に土下座を行うなど、プライドの欠片もない男だと思うことなかれ。
土下座をすることで失われるプライドなど、真のプライドではない。
たとえ土下座をしようとも、なおその胸に残っているものこそが、真のプライドたりえるのだ!
「分かりました! 分かりましたから顔をお上げください!」
こうして俺は、全裸土下座の披露と引き替えに、自身の大事なものを守り切ったのであった。
うん、守り切った。
守り切った……よな……?