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10 翡翠のペンダント

「――俺も、戦うことに決めた」


 この言葉を告げたあと、俺たちは揉めた。

 揉めに揉めた。


 しかし、最終的には、魔物に挟み撃ちされた場合や、それこそ先ほどの状況のように、なんらかの理由で和葉が一時的にでも戦えない場合など。

 俺が一人で戦わなければいけない場面が、今後必ず発生するであろうこと。

 その際に、それが俺の初戦闘になるのでは、むしろその方が危険であることを説明すると、和葉は一戦だけという条件を付けて渋々承諾した。


 そして、暫く探索を続けた俺たちは、やがて一匹のハウンドドックと遭遇する。

 俺と和葉は頷きあい、和葉は後衛へ、俺は前衛へといつもとは逆の隊列へと移行した。


 ショートソードを構え、ハウンドドックと対峙する。

 和葉の得物ほどではないが、俺の得物もそれなりの重量があり、ずしりとした重量感が伝わってくる。

 ≪敏捷弱化Lv1≫をエンチャントすると、ハウンドドックはその本能故に未知の力を警戒したのか、暫くは唸り声をあげているだけで、襲いかかってはこなかった。

 その場で足を止めたまま俺とハウンドドックは睨み合いを続ける。

 緊張のあまり嫌な汗が流れ、頬を伝った。


 ハウンドドックの体長は60cmくらいで、元の世界でいうとドーベルマンくらいの大きさだろうか。

 姿形こそ普通の犬と大差ないが、間違いなく大型犬に分類されるであろうその体格で襲いかかってくるのだという事実がなによりも恐ろしい。


(和葉はいつもこんなのと戦っていたのか――)


 後方の安全な場所で見ているだけだった俺は、今までこの魔物たちにさして恐怖を感じていなかった。

 だが、実際に対峙してみるとどうだ。

 恐怖のあまり、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られてしまう。


(くそっ! 俺だってイレーネさんに稽古をつけてもらってるんだ、やれるはずだ!)


 自分を鼓舞するかのように、そう心の中で叫ぶ。

 しかし、ハウンドドックが威嚇の咆吼をあげると俺の腰はいつの間にか引けてしまっていた。


 怖い、無理、逃げたい――様々な負の感情が俺の中で渦巻く。

 そして恐怖が限界にまで達した時――


「か――っ」


 思わず出そうになった言葉を、すんでところで飲み込んだ。


 待て、俺は今何を叫ぼうとしていた?

 『和葉』と叫ぼうとしていたのか?

 和葉に助けを求めようとしていたのか……!?


(――ふざけるなよっ!!)


 自分で戦うって決めたんだろうが!

 なのに、また和葉に助けてもらうつもりか!?

 また和葉を危険な目に遭わせるつもりなのか!?


「ふざけるなぁっ!!」


 思わず俺は叫んでいた。

 ハウンドドックが一瞬ではあるが怯んだような様子を見せる。

 その姿を見て、俺はイレーネさんの言葉を思い出していた。


『戦いってのはビビった方の負けよ。ビビリそうになった時こそ一歩前に踏み出しなさい』

(そうだ、こんな時こそ前に出ろ!)


 先ほどの俺の叫びが戦闘開始の合図となったのか、ハウンドドックが俺目掛けて飛び掛かってくる。


 こんな犬っころがなんだ!

 俺には守るたいもの、守るべきものがある。

 そのためには――


「何歩だって踏み出してやる――っ!!」


 俺は大きく前に踏み込み、俺の喉笛を食い千切らんと大きく開かれた犬っころの口内に向け、ショートソードを突き刺した。

 ズブリと肉を裂いていく嫌な感触が手に伝わってくる。

 同時に犬っころはギャフゥ! という無様な声をあげた。


 しかし、なんという生命力だろうか。

 犬っころは口内を貫かれているというのに、まだ絶命には至っておらず、剣を咥えたままの状態でじたばたともがき続ける。

 丁度跳躍中のところを串刺しにした俺は、剣一本で犬っころの全体重を支える形になってしまっており、思わず剣を落としそうになるが、何とか両手で支えることに成功した。


 そして、俺はそのまま剣先に犬っころを抱えた状態で剣を振りかぶり――


「――しつこいんだよっ!!」


 勢いよく地面に叩きつけた。

 ギャウン! と断末魔の叫びをあげた犬っころは今度こそ絶命し、その姿を粒子へと変貌させていった。


(……勝てた、のか?)


 未だ勝利の実感が湧かない俺は、暫くの間、粒子へと変貌してく“ハウンドドック”の姿を、惚けたかのようにじっと見つめていた。

 それは生物を殺めてしまったことへの罪悪感からなのか。

 それとも相対した敵への敬意を表してのことなのか。

 もしくは、そのいずれでもない別の感情だったのかは俺にも分からなかった。


「そーちゃん! 大丈夫? 怪我はない!?」


 じっと動かない俺を心配したのか、和葉が駆け寄ってくる。


「……大丈夫だ、俺も結構やるもんだろ?」


 俺は出来るだけ平静を装うとするが――


(あ、あれ……?)


 緊張の糸が途切れたせいか、今になって脚がガクガクと震え出す。

 何とか脚の震えを止めようとするが、俺の意思に反し、震えは一向に止まる気配がない。


(たった一戦した程度でなんだ! 止まれよ俺の脚!)


 俺はその場にへたり込みそうになるところを何とか踏ん張り、脚の震えを止めるべく奮闘する。

 しかし、その時――


「――和葉?」


 突如、和葉が俺に抱きついてきた。


「へへー、さっきのお返し」

「お返しってお前……」


 気恥ずかしくなった俺は和葉を引き剥がそうとするが、ガッチリとホールドされており、とても引き剥がせる気がしない。

 そうでなくともこの世界では、単純な腕力だと俺よりも和葉の方が格段に強いのだ。

 俺は諦めて、和葉が自分から離れるのを待つことにした。


「そーちゃん」

「ん?」


 静かな、そして優しい声で和葉が語りかけてくる。


「頑張ったね」

「……ああ」

「格好良かったよ」

「ああ」

「いつもありがとね」

「ああ」

「これからは私のお尻見ててもいいからね」

「ああ……ああ!?」


 唐突に爆弾発言をぶっ込んでくる和葉。

 なんかもう、全てが台無しだった。


「お、お前っ、よくこの場面でそんなこと言えるな!?」

「だって、そーちゃんが見たいって言うから」

「言ってない! 誰も見たいとは言ってないだろうが!」

「あれー、そうだっけ?」

「……はぁ、もういい。お前と話してると色々と悩んでたのがバカらしくなってくる」


 俺は深いため息をつく。

 気付けば脚の震えはいつの間にかピタリと止まっていた。


「見られるのは恥ずかしいけど、我慢するよ!」

「その話はもういい!」

「えー、じゃあ、もう見ないの?」

「……いや、見るとか見ないとかじゃなくてだな? 俺は後衛だから必然的に目に入るというかなんというか……」

「見ないの?」

「だから、そうじゃなくて……」

「本当に見ないの?」

「……………………たまに、見るかもしれない」


 自分の欲望に忠実な俺だった。


「ところで、そーちゃん。さっきから気になってたんだけど……あれ、なにかな?」

「あれ?」


 和葉は俺の背後を指差す。

 振り返ると、俺がハウンドドックを倒したとおぼしき場所に魔石と、それとは別にペンダントが落ちていた。

 そのペンダントは、銀のチェーンにみどり色に輝く宝石、そして宝石の周囲は金の装飾であしらわれており、一見するだけで高価そうだと分かるような代物ものだった。

 宝石はこの色からして、エメラルド、いや翡翠ひすいだろうか。


「もしかして、これがイレ姉ぇの言ってたレアドロップ品じゃないかな!?」


 レアドロップ品、確かにイレーネさんから話だけは聞いていた。

 極稀に魔石だけでなく、特殊なアイテムをドロップする魔物がいるらしい、と。

 その魔物がさっきのハウンドドッグだったというのだろうか。


「そーちゃん、こんな時こそ鑑定スキルの出番じゃない?」

「ああ、そんなスキルもあったなぁ。それじゃエンチャントするから頼む」

「任せてー」


 俺は和葉に鑑定スキルをエンチャントする。

 創造してからというもの、久しく使用する機会のなかった鑑定スキルだが、思えば俺が最初に創ったのも、最初に和葉にエンチャントしたものこのスキルだった。

 あの時は使えないスキルだと罵ってしまったが、今ようやく本来の使い方で使ってやることができたのかと思うと何だか感慨深いものがある。


「んっとねー、アイテム名は“翡翠のペンダント”だって」


 そう言って和葉はペンダントを俺に渡した。

 やはりこの宝石は翡翠だったか。

 何故この世界に俺たちの世界と同じ名称の宝石が? という疑問は今更だろう。

 それよりも今大事なのは、この翡翠のペンダントが手に入ったということだ。


「ほんとにレアドロップ品だったら高く売れたりするかなー?」

「いや、このアイテムは売らない」

「え?」

「翡翠は別名“幸運の石”と呼ばれていてな。前に出て戦うお前に丁度良い。お守り代わりに普段から身に着けておけ」


 そう言って俺は、和葉の眼前にペンダントを差し出す。


「私にくれるの?」

「そう言ってる。早く受け取れ」

「えっと、じゃあ……」


 しかし、和葉は差し出されたペンダントを受け取らず、『んっ』と自分の首もとを指差していた。

 まさか俺に着けろと言っているのだろうか。


「いや、さすがにそれは……」

「イレ姉ぇがね、『女のささやかな望みを、そっとくんでやるのが“いい男”の条件』って言ってた」


 おおぅ、和葉に何を教えてくれちゃってるんだ、あの人は。

 俺は少しの間ためらっていたものの、再度和葉の発した『んっ』により、抵抗するのを諦めた。


「はぁ、分かったよ」


 俺は和葉に触れるか触れないかくらいの距離まで近づき、チェーンを首もとの後方へと回す。

 しかし、留め具をはめようとした際、うまく噛み合わずにもたついてしまう。

 和葉に鼻息がかからないように息を止めていたのだが、限界寸前のところでなんとか留め具を噛み合わせることに成功した。


(あ、危なかった……)


 和葉に悟られないよう静かに溜まっていた息を吐き出し、そして吸う。


「どう、似合う?」


 身に着けたペンダントを嬉しそうに見せびらかし、微笑む和葉。

 まあ、喜んでくれたのなら窒息しかけた甲斐もあったというものだ。


「ああ、似合う似合う」

「おざなりだなー」


 勘弁してほしい。

 こんな時に気の利いたセリフが言えるような俺ではないのだ。


「それにしても、翡翠が“幸運の石”だなんて知らなかったよ。さすがそーちゃんは物知りだねー」

「――っ、ゲームの知識でたまたま知ってただけだ」


 この時、俺は咄嗟に嘘をついた。

 本当はゲームで得た知識などではない。

 さらに言うと、宝石の色を見ただけで翡翠だと当たりを付けることが出来たのにも理由があった。


 “誕生石”という概念がある。

 一月から十二月までの各月に宝石が割り当てられていて、自分が生まれた月の宝石を身に着けているとなんらかの加護があるといわれている俗習の一種だ。


 和葉の誕生月は五月。

 そして五月の誕生石は翡翠である。

 昔、俺が今よりもう少し若かった頃、“いつか”の時のために事前に下調べをしていたのだ。

 だからこそ翡翠の別名なんてものを知っていたのだが、そんな恥ずかし過ぎることをとてもじゃないが言えるはずがない。


(今思うと、あれこそまさに中二病だったよなぁ……)


 まあ、中二病でもなんでもいい。

 今はただ和葉の無事を、その胸元にキラリと光る翠色の宝石に託すばかりの俺であった。

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