第2話
人を襲う野犬が出ると言われた森へと入っていく京二と織江。京二は野犬ではなく妖かしだと言う。その先に潜むのは野犬か、妖かしか…
「ところで、もし事件が妖かしの仕業で、そいつに出くわしたとしたら、どうするつもりなんだ?」
森の中を歩いてしばらくして、織江は京二に疑問を投げ掛けた。
「えーっとですね……どうしましょうか?」
ははは~と笑いながら京二は返す。妖かしの仕業だと言いながらも、京二は妖かしに会った後のことを考えていなかった。
「お前なぁ…視えるとはいえ、考えも無しに首を突っ込んだのか…」
「興味の方が勝ってしまいまして…。あ!話し合ってみれば何とかなるかも!…そんなに睨まないでください。」
普段はぱっちりと大きな目をジト目にしながら詰め寄る織江に、京二は慌てて取り繕おうとする。
「あ!そろそろ森を抜けるみたいですよ。」
京二が指を指した方向を織江が見ると、少し歩いた先が開けているようだった。
「まったく…まるで聞いた私が馬鹿じゃないか。あそこまで行って何も無かったら帰るぞ。」
織江は呆れて肩を落とした。
二人が森を抜けた先には古ぼけた神社があった。小屋程の本殿と鳥居のみの簡素な造りだが近くに住む人がこまめに掃除していたのか、手入れが行き届いている。
神社の境内に足を踏み入れたとたん、二人は妙な感覚を覚えた。
「この感覚はいったい…?」
「なんだ、少し身体が重い…」
この一帯だけ明らかに空気が変わったような、初めての感覚に陥った二人は戸惑いながらも辺りを見回す。が、辺りには何もいない。
「見た感じは何も見えないですけど、…何かいるのは間違いないですね。」
「ああ、たしかに誰かに見られている感じはする。」
境内に入ってすぐは空気の変わりように気をとられていたが、今は何者かの視線、しかも敵意の混じった視線を感じていた。
「怪しいとすれば本殿くらいしか無さそうですし、そこだけ見に行ってみましょうか。」
京二の言葉に織江は頷き、二人は小屋程の本殿に向かった。
本殿に近づいた瞬間、本殿の陰から何かが飛び出し、真っ直ぐ二人めがけて突進してきた。
「織江さん!正面、避けて!!」
京二が叫ぶや否や、二人はそれぞれ横へ飛び退いた。二人の間をかすめていった「それ」は、着地してこちらを振り返った。
二人に襲いかかった「それ」は高さ1メートル程もある大きな犬だった。さらに大きいだけではなく、目が赤く輝き、足から伸びた爪が鋭く鉤爪状になっていることから、動物のそれとは違う、妖かしである事がひと目で分かった。
『驚いたな… 小僧には我の姿が見えるようだな。』
目が合った京二を見据え、地の底から響くような低い声で犬の妖かしは話しかけてきた。妖かしが視えない織衣は、声のした方へ向き直ったが、上手く視点を定められずにいた。
それでも体勢を低くく構え、いつでも攻撃に対処できるよう備える。どうやら妖かしの声は織江にも聞こえるようだった。
「いつの間にか視えるようになってましてね。もしやと思ってましたが、送り犬に会うのは初めてです。」
「送り犬…?」
ちらりと織江が京二を見て言った。
「山道などで人のあとをつけて、転んだり、転ばせた人を襲う妖怪です。以前この地域の資料を見ていたら、かなり昔に送り犬がここ一帯で人々を襲って回っていたらしいです。
一般的に知られる送り犬は、道中の安全も守ってくれる一面もあるんですけどね。しばらくして何者かがここに封印したらしいですけど、どうやら封印が解けたらしいです。」
『我のことをよく調べあげたものだな。だが、人間なぞ一度も守った事など無いがな。』
と、犬の妖かし、送り犬はニヤニヤと笑ったような目をしながら言葉を返した。今度は織江が送り犬に問いを投げ掛ける。
「じゃあお前が数日前にここへ来た人達を襲ったのか?」
『いかにも。目覚めてすぐに 3人も獲物が来たから まとめて喰おうとしたまで。我は此の敷地から出られぬ故に惜しくも逃げられたがな。今度はそうはさせん』
その言葉にわずかな引っ掛かりを覚えた京二は、微かに眉を寄せる。
「一体何のために襲う?」
さらに問う織江に送り犬はふんっと小馬鹿にするように鼻で笑う。
『愚問だな。人間の血肉は我の力の糧だ。人間を喰らう事で我の力は増す。今は力が完全に戻っていないが、貴様達を喰えばある程度力が戻るだろう。特に小僧を喰えば力の戻りも早そうだ。そうすれば此処から出るのは容易い。』
「あいにく私達はお前に大人しく喰われるつもりは毛頭ないがな。」
『笑わせてくれるわ!我の姿すら見えぬ小娘が。…なかなか興味深い人間共だったが、そろそろ我が糧となるがいい!』
そう叫んだ後、送り犬は京二めがけて駆け出して来た。
「話し合いに応じてくれる気配はなさそうですね…」
京二は諦めたように呟くと、
「織江さんは境内から出てください!」
送り犬が視える京二よりも視えない織江の方が危ないと判断した京二は、そう叫んで送り犬と対峙する。そして身を翻して飛びかかってきた送り犬をかわし、二度目に繰り出された爪による攻撃をバックステップで回避する。元々運動神経のいい京二は、織江の鍛練に無理やり付き合わされる事も多いおかげか、見事な足捌きで次々と繰り出される攻撃を避けていく。
(さすがに避けてばかりじゃ何も変わらないか。)
京二はそう思いながら相手の攻撃をかわしつつ、ダメ元で手に持ってたステッキを横に薙ぐ。が、当たったように見えたそれは、送り犬の身体を空しく通り抜けていく。
『ふっ、視えると言えども所詮は人間か。』
「やっぱダメですか。」
さすがにダメ元とはいえ、京二は悔しそうに言った。
なんとか送り犬の攻撃を避けてはいる京二だが、こちらの攻撃は当たらない為、不利なのは明らかだった。もしかしたら織江になら…と考えを巡らせたが、視えない織江にはリスクが高い。さらに手持ちがステッキ1本しかないことから、倒すのはまず無理だろうと判断する。
『どうした!さっきみたいにその棒切れで抵抗してみせたらどうだ!』
送り犬はその間も攻撃の手を緩めない。京二はその攻撃を避けつつも、さらに考えを巡らす。
今はこの境内から出られないと送り犬自身が言っていた事は、本当なのだろう。ならば隙をついて境内から出れば、二人ともとりあえずは助かる。しかし京二はその選択を採るつもりは無かった。もし二人が逃げ帰っても他の人、特に先程会った猟師の二人がここへ来る可能性は充分ある。そうしたら確実に殺されてしまう。力をつけた送り犬は遅かれ早かれ町で暴れる事になる。
「八方塞がりってやつですね…。」
攻撃を避け続け徐々に体力削られてきた京二に対して、送り犬は妖かしだからか、まったく疲れが見えない。始めは相手の攻撃にあまりに不利な状況に弱音を漏らしてしまう。
そういえば、織江さんは上手く逃げたのだろうか?せめて織衣さんだけでも助かってほしい、ふとそう思いながら織江が立っていた所、今京二たちがいる所から10メートル程離れた所を京二が見ると、京二の思いとは裏腹に、織江はその場所から一歩も動かないでそこに立っていた。