第1話
「京二、平日の昼間に堂々と縁側で昼寝か?」
そろそろ正午に差し掛かる頃、縁側でのんびり日向ぼっこを嗜んでいた最中にかけられた声に、この家の主にして16歳の少年である稲葉 京二は盛大にあくびをしながら上半身だけ起こす。
「ふわぁ~…今日はどうにもやりたい事が無くて暇なんですよ。…それより織江さんはお稽古終わったんですか?」
「今終わって戻ってきた所だ。…まったく、この家の主なら多少は世間体というものを考えて欲しいところだ。」
そう言いながら織江こと、橘 織江は長い髪を微かに揺らしながら、少し大げさに肩をすくめる。
織衣は京二と一緒に住んでいる彼よりひとつ下の15歳の少女だ。
今日は剣道の稽古があったが、今は着替えたらしく二尺袖の着物に袴と女学生のような服装になっていた。
「ところで、お腹が空いたからお昼にしましょうか。」
「ハァ……。そうだな、一応そのために呼びに来た。マツさんとウメさんは一旦帰ったぞ。」
マツさんとウメさんはこの家の女中さんだ。
家事全般を任せているが、住み込みではないため仕事が終わったり一区切りついたら家に帰っていく。
ようやく立ち上がった京二は、織江と昼食を食べに居間へと向かうことにした。
元号が明治から大正に変わり数年、16歳になった頃、京二は父に家を出て自立する事を願い出た。父はこの一帯な大地主であり、いくつかの会社を抱える人物だ。
京二はその家の2男のため家督を継ぐ事はないので、ゆくゆくは家を出るつもりだった。
京二の話を聞き2、3日経った後、どういう訳か京二の許嫁である織江と一緒に住む事で許しを得た。結婚前の織江と一緒に住まわすということについては、どうやら織江の父と話し合いで決めたようだった。
また、常々言われてきたことだったが、京二と織江の持つ能力を決して他人に知られてはいけないと念を押された。二人は家は違うが、不思議な力を持っていた。
京二は通常の人には見ることができない妖かしを見る事ができるが、触る事ができない力を、織衣は反対に妖かしに触る事ができるが、見ることができないといった力を持っていた。
通常の人には持ち得ない力を持つ二人だが、妖かし自体特別に危害を加えなければ干渉してこない存在の上、悪意のある妖かしに出会った事もなかったので、日常生活において不便な事は特別なかった。たが二人の力が他に知れれば、二人に不幸を招くだけでなく、その力を悪用する存在も現れる危険もあったため、両家はその力を秘匿し続けてきた。
そして京二たちがお互いに別の地に住むようになって2ヶ月が過ぎた。
二人で昼食を食べ終わった後、僕は織江さんに近くを散策してみないか誘ってみた。
「午後からの予定はないはずだから大丈夫だ。外に出るなんて珍しいな。」
少し待ってろと言うと、織衣は自室に入っていった。
しばらくして戻ってきた彼女からステッキを手渡された。L字形の黒いステッキで、グリップ先端と石突き、シャフトのやや上部にシルバーの装飾が施された洒落た物だった。
「男性たちの間でステッキを持つのが流行だと聞いてな。どんなものがいいのか分からなかったから、兄上に選定してもらったが。」
「僕にですか…?ありがとうございます。」
突然のプレゼントに驚きつつもステッキ受けとる。金属でできているせいだろうか、ステッキにしては少し重たい。
「織江さんとお義兄さんにもお礼を考えないとですね。」
そう言ったが、いや、別に…。とそっぽを向かれてしまった。
外に出てから、まずは歩いて少しした所にある商店街をぶらぶらと回る事にした。京二たちが引っ越してきた町は鉄道も走り、都会程ではないが生活に必要な物は一通り揃うため、それなりに賑わいを見せている。この町に引っ越してから2ヶ月、出不精だった京二は織江から案内を受けながら散策を満喫していた。
商店街を抜け、田畑が続く道を少し歩るいた脇に森があり、さらに奥へと続く細い道があった。
「私も行ったことがないが、この奥に小さな神社があるらしい。」
織衣はそう言うと、行ってみるか?と聞いた。
「せっかくここまで来たのだから参拝していきましょうか。」
そんなやり取りをしながら歩を進めようとした時、森から二つの人影が現れた。
やがて京二たちの前まで来ると、彼らが猟師であることが分かった。一人が壮年の猟師で、数々の獲物を狩ってきた貫禄のようなものを滲ませていた。もう一人は若い猟師で、壮年の猟師の弟子のように見える。二人とも肩に猟銃が入っているであろう袋を提げていた。
「兄ちゃんたちそこの森に入るのか?」
「そうですけど、何かあったんですか?」
壮年の猟師が訊ねたので、京二は返事を返す。その猟師は知らないのか?と言いながらも訳を話してくれた。
「ここ何日か前からこの森に野犬が居着いたらしくてな。3人程森に入った人が襲われたようなんだ。幸い大怪我はしていないみたいなんだが、深刻な被害が出る前にって事で町からの依頼で俺たちが駆除しに来たんだ。…と言っても今日は罠を張ってきただけなんどけどな。そんなわけだから、森へ入るのは止めておいた方がいいぞ。」
京二は猟師の話を聞き、なるほどと返した。
「そんな事があったんですか。僕たちはふらっと散歩してただけですから、そういう事なら森へ入るのは止めておきます。」
京二の言葉を聞き、壮年の猟師も安心したらしく、若い猟師と共に去っていった。
猟師たちが去っていくのを見届けた後、京二はそのまま森へと入っていこうとする。
「お、おい。引き返すんじゃなかったのか!?」
慌てて引き止めようとする織江に対し、歩みを止めることなく京二は答える。
「実はここが目的だったりして。」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら後を追う織江に続ける。
「実は野犬の事はマツさんから今朝聞いてたんですよ。けっこう噂になっているみたいなんですが、ちょっと気になることを言っていたので。」
「気になること?」
「野犬に襲われたってさっき猟師の人が言ってましたが、襲われた人たちは誰も何に襲われたのか姿を見ていないんです。」
京二の言葉に織江は訝しげな表情をする。
「はぁ?じゃあそもそも犬かどうかすら分からないじゃないか。」
「どうも襲われる前後に犬が吠える声を聞いていたみたいで、怪我の状態も犬に噛まれたような跡があったらしいですよ。」
京二の話しに織衣はますます分からないといった表情をする。
「同じ手口で襲われた人が何人もいるのに、姿が見えない。つまり…」
もったいぶるように言葉を区切った京二は、さらに悪戯っぽい笑みをして見せた。
「妖かしの類いじゃないかと思うんですよ。」
端から聞けばにわかに信じられない結論だが、織衣は呆れるどころか、なるほどなと頷いて見せた。
「京二が言うのならば、その可能性も捨てきれんな。」
「あれっ?てっきり呆れるかと思ったんですが。」
そんなやり取りをしながら二人は森の奥へと進んでいった。