第百十八話 二人の声
――魔族領から帰宅した翌日の朝。
「……んふわあぁあ」
朝だー……眠いー二度寝したーい。
したいならー……したいときー……んー……。
「……ーぃ。おーい」
「んにゃっ!? ……あれ?」
ジリーに揺り起こされました。
「もうとっくに飯出来てるぞー。寝ぼけてる暇があんなら起きろー」
あー、ほんとに二度寝しちゃったんだね。
昨日は早く寝たから……十一時間も寝てた!?
「ふわああぁぁあ。おはよー」
「おはようございます。遅かったですね」
「あはは、二度寝した。色々あって疲れてたんだねー。ちょっと長めの休暇が欲しいかも」
と言いつつ流れるように椅子に座る。
「えーっと、森羅万象に感謝を。いただきまーす」
朝はもうずーっと同じもの。パンにハムにスクランブルエッグにサラダ。みんなの分はないから、もう先に食べちゃったんだね。
「あたしもちょっと羽根を伸ばしたいなー。っつっても貴族さんたちを帰すまではお預けだろーけど」
「そうですね。僕はこの後工房に寄ってから王宮に行きますが、みなさんは?」
「招いた側ですからね、わたくしも王宮に行きます」
「あたしも一応。タイケさんにモーリス渡さないと」
「だったら私も。これでも勇者様ですからー」
「見えねーなー」「見えませんね」「ですね」
ぐぬぬ……。
――王宮。
結局私たちは全員でフューラの工房に寄って、全員で王宮へ。
着いたら丁度シアがいた。
「おはよー。そっちは平和?」
「平和そのものだ。皆従順だからな」
「名誉魔族様の前じゃ下手な事は出来ねーよな。あっはは!」
ジリーに笑われるシア。
「ははは。結局扱いは変わらないという事だな」
そのほうが私たちもシアも楽だろうけどね。
王宮は現在、貴族さんたちに無用なストレスを与えないようにっていう配慮から、見学を中止しています。なので私たちは現在、王宮の広間で椅子に座ってのんびり中。普段だったら「勇者様だー」って人が来てそれどころじゃないから。
「ところでモーリス、調子はどうだ? 何か変化はあったか?」
「変化?」
「おいおい、あれから今日で一週間だぞ? あやつらの言葉が正しいのならば、そろそろモーリスの呪いは解かれていてもいいはずだ」
そしてみんなモーリスに目線が行った。
(……――)
怖いって。
実は東京に潜って以降、モーリスは喋ろうとしていません。
今までは口と手を同時に動かしていたんだけど、口は開かず手で光文字を書くだけになってます。
その理由は言わずもがな。
「気持ちは分かるけどよ、一歩踏み出さなきゃあたしに告白も出来ねーぞ?」
(…………)
余計にしょんぼりしてしまったモーリス。うーん……。
「お、いらっしゃい。って言うのもちょっとおかしいかな」
「おはよう。トムも大変だね」
「いやいや、これがオレの望んだ仕事だからね」
望んだ仕事かぁ。私は望まず勇者にさせられましたけど。
「……ん?」
いつの間にかモーリスがトムの後ろに回ってて、服を軽く引っ張った。
……同じ男同士、そしてトムはモーリスからしたら近所の仲のいいお兄ちゃんだもんね。
「実は――」
という事でトムに改めてモーリスの不安を説明。
「――なるほどね。確かにそれは二の足を踏むと思う。だけどモーリス君には待っている人がいるでしょ? だから、ここが勇気の出しどころだよ」
それでもモーリスは難しい顔で固まってる。
(……――――――――――、――――?)
王様になるって決めた時、どうだったかだって。私もそこは知らないなぁ。聞かないようにしてるんだ。だって、私が原因だから。
「うーん……オレの場合は、今でもだけど、絶対的かつ限りなく困難な目標があるから、怖がってる暇なんてなかった。オレはね、こう見えても歩いてないんだよ」
(えっ?)
「走ってるんだよ。全速力で走って、走って、倒れるまで走り続けて、それでもこの目標には手が届かないんだろうなと思う。だからこそ……んんっ」
私にちらっと目をやって、咳払い。その心情はとっくに見え見え。
「……アイシャ。戦争が終わって、シアさんも普通の人になれた今だからこそ言いたい」
真剣だよ。だから、私も真剣に聞く。立ち上がって、トムの前へ。
「オレは、ミスヒスとはいえ小人族のアイシャを、自分のわがままで勇者という危険な役割に就かせた。……周りを納得させるためとはいえ、占い師に嘘までつかせてね」
「知ってた」
「やっぱり。……アイシャを勇者にして、正直、後悔した」
「それも知ってた。私は女だよ? そういうところは鋭いの」
「ははは」
勝ち誇ったような私に、苦笑いしてる。
「オレだってね、アイシャが大変な目にあってるのも、折れそうになっているのも、そして周りからの支えでどうにか進んでいるのも、全部知ってたんだよ。そしてそういう話を聞くたびに、眠れなくなった。オレのつかせた嘘の重さに押しつぶされそうになった」
……眠れなくなるほどに、心配をかけていたって事でもあるよね。
「でもオレの心労なんてアイシャに比べたら全然で、アイシャは心も体も傷付いていて……」
「だから、ごめん。これは幼馴染のトムとしてのごめん。……そして、ありがとう。グラティア王として、心から感謝する」
「王様としては謝ってくれないんだ」
怒ってるんじゃなくて、ちょっと残念なだけ。だから笑顔で言いました。そしてそれを見てトムも苦い笑顔。
「オレも残念だけどね。王様ってのは滅多に謝れないんだよ」
「……それってさ、王様としては私を認めてくれてるって事だよね? だったらそれでいい。でも、辞める前には王様として謝ってね」
「分かった。約束する」
「違えたら背中に注意しなさいよー?」
冗談めかしつつ剣に手を伸ばしました。もちろん冗談で。
「ははは。大丈夫、これはオレ個人としての約束だからね」
「うん」
トムは昔から一度も約束を破った事がない。だから、この約束も絶対に破らないよ。私が保証します。
「……それと、もうひとつ。そろそろいいかなって思ったんだけど……いいかな?」
「んー……それは待って。私には祝福してほしい人がいる。けど今はどうやっても手が届かない。だから、手が届くまで待って」
「それって……」
少し不安そうな表情をしたトム。それを私は笑顔で返した。
「大丈夫。手は届いてないけど、見つける事は出来たから。後もう少しで手が届くから」
そしてトムも諦めたように笑った。
「はあ……その人が羨ましくて嫉妬するよ。分かった。この話は、彼を取り戻したらね」
「うん」
もうみんな分かってるはずだけどね。
「……もしもし? お話が終わったのならば、肝心のモーリスに移りたいのだが?」
「あ」「あ」
自分たちの世界に入り込んじゃってました……ちょっと恥ずかしい……。
「んんっ。ともかくだ、モーリス君も自分の口から伝えたい事があるのならば、この一歩は絶対に必要な一歩だよ。だから、迷わず進め」
優しい口調のトムだけど、ちゃっかり命令形。
モーリスはというと……あー、表情がさっきと違う。決意した顔をしてる。
(――――――、――――。――――――――! ……――)
言いたい事は自分の口から言う。そして(言うよ)って自分に言い聞かせてる。
大きく深呼吸して、静かに口を開いたモーリス。その緊張がこっちにまで伝わってくる。
「……――……ぁー……」
うん、聞こえた。小さい声だけど、間違いなく私たちの誰でもない声。
モーリス自身の声だ。
「……ぁー……ぅー……」
本当に小さい声。慎重になってるんだね。
見ればみんな笑顔。リサさんなんてもう泣いてるし。
「……ぁー、ぁーあー……あーんーうー、あーあー……」
おっ、音量を上げてきた。
そしてそれは、間違いなく私もシアも”知ってる声”だ。まるで女の子に聞き間違えそうなほどに可愛い、だけど男らしく芯の通っている力強さも感じる、まさに想像したとおりの声。
あの夢の声は嘘じゃなかった。不思議だけど、あれは本当にモーリスの声だったんだ。
「……ああー……」
本人も驚いてるし、でも納得もしてるみたい。
「……んあーっはー!」
やったー、かな。拳を突き上げて、本当に満面の笑顔で……笑顔……で? あれ? 固まった。
あれ? なんか……え? 泣き始めた? 嬉し泣き……じゃないみたい。どういう事?
「えっと」って聞こうと思った瞬間、後ろにいたジリーが飛んできて、モーリスを抱きしめた。
「……あたしは分かってる」
その一言で、モーリスは突き上げたまま固まっていた拳を降ろし、ジリーに抱きついて声を上げての大号泣。
「あの……」
「モーリスはね、言葉が喋れないんだよ」
「えっ、でも」「そうじゃない。あー……んと、どう音を言葉にすればいいのかが分からない。発音方法が分からないんだよ。でもなモーリス、心配する事はないよ。だって、あたしがそうだったからね」
そうだ。ジリーは十三歳まで地下で監禁されていて、言葉も文字も、世界も知らなかった。そのジリーが今は普通に喋れている。
モーリスにとって、ジリーは一番の先生なんだ。
「……アイシャ、一つ相談がある」
ジリーから。でも、もう分かっちゃった。
「いいよ。じゃあ私はシアと一緒に寝る事になるね」
「察しがよくて助かるよ。シアもそれでいいだろ?」
「無論だ」
つまりは部屋の配置換え。私は一階の部屋に移って、代わりにモーリスがジリーと同室になる。小さな同棲かな?
これは前々からそうなるだろうと思ってたし、一度そういう話も出た。あの時は確かジリーが心の準備がまだだって言ってお預けになったんだっけ。でも今回はジリーから言い出した。
多分っていうか、ほぼ間違いないけど、ジリーは自分で言葉をモーリスに教えるつもりなんだ。そして、ジリーはもうモーリスを受け入れるつもり。
「んよし。モーリス、今日からはあたしもタイケさんに付いて一緒にお勉強だ。あたしは厳しいから覚悟しなよー?」
「……んっ!」
モーリスは自分から手を離して、袖で涙を拭いた。
本当、モーリスの強さには驚くばかり。ゼロどころかマイナスから始まってるのに、それを一切感じさせない前進力。シアが魔族領の次期当主に、なんて事を話してたけど、あながち夢じゃないかも。
――玉座。
貴族の方と、お世話になってるカキア大臣とタイケさん、そして私たちで謁見の間に集合。
貴族さんたちの中には眠そうな人もいる。まあ少し前までは敵同士だもんね。
トムはさっきは普段着だったけど、さすがにちゃんとした服装に着替えてる。
「まずはモーリス君の事からにしよう。貴族の方々もモーリス君の人となりはご存知ですよね?」
「はい。元奴隷であり、声の出せない呪いにかかっていると」
オムさんが答えた。あー、オムケルヒトさんね。本人公認でオムさんって呼ぶ事にしました。
「そうです。……モーリス君」
頷いて、胸を張ってみんなの前へ。
「……あー、おーあ、えあーあ。んおーあ、いえあーあ」
同時に文字で(声が出ました。呪いは消えました)って。もちろん言葉にはなってないけど、でも既に発音しようと頑張ってる。すごいね。
「………………」
そして皆さん固まってます。
「あえ? ……あー、あははー」
四名泣いております。カキア大臣、タイケさん、ミダルさん、貴族のタイケさん。
それを見てモーリスは笑っちゃってる。本当に嬉しそうにね。
と、上位貴族のケイキさんが前へ。モーリスとは浅からぬ縁だね。
「……改めてモーリス様には謝罪をさせていただきたく存じます。わたくしの監督不行き届きのせいで、あのような蛮行を許してしまい、モーリス様の人生を大きく捻じ曲げてしまった。失った時間は謝罪などしても取り戻せない事は重々承知しておりますが、しかしそれではわたくし自身がわたくしを許せません。なので、身勝手な考えとは存じておりますが、改めて深くお詫び申し上げます。本当に、申し訳ございませんでした」
きっちり姿勢を正して座って、頭を床につけたケイキさん。
モーリスにはその心情は全て筒抜け。モーリスはどうするのかな?
っと思ってたら、プイッと顔を背けた。
「モーリス」「いえ、それで結構なのです」
シアがモーリスを諌めようとしたら、ケイキさん自身がそれを止めて、改めて深く頭を下げて、元の位置へ。
んでモーリスは、ジリーの元へ。
「モーリスは今……何歳だ?」
「あはんあい」
「そっか。まー……背丈から十四歳としようか。んであたしは十三まで監禁されてた。境遇が似てるから分かるんだよ。あたしは父親を殺したけど、じゃー父親を許せるかって言ったら、絶対に許せない。人生の十三年間を無にされてんだからな? んで、それはモーリスも同じだ。この時間はね、謝られたって、親を殺したって、タイムスリップしたって、何をしたって戻ってこない。だったらもう捨てるしかねーんだよ。闇の中にいた自分は捨てて、光に向かう今の自分だけいればいいんだ」
その重い言葉と説得力にはみんな言葉が出なかった。
「……アイシャ、シア。そんな光へのスタートラインについたこいつに、闇を持たせるな。親を殺せだなんて二度と言うな。その時はあたしが敵になるからな」
改めて物凄い眼光で睨まれた。
「うん。あの時は私も頭に血が上ってた。だからモーリス、進む邪魔をしちゃってごめんなさい」
「私からも、ごめんなさい」「僕も、ごめんなさい」「わたくしも、ごめんなさい」
四人一斉に謝罪。
「……はあ。はんへいいえお」
一緒に文字で(反省してよ)だって。ほんと、深く深く反省いたします。
――その後。
モーリスはいつも通りタイケさんに勉強を教わりに、そしてジリーも有言実行でモーリスに言葉を教える事になり、ついでだからとジリーもタイケさんから勉強を教わる事に。
一方こちらは、事前に十七貴族から行きたい場所を聞いていたらしく、そこを回る事に。
「えーっと、まずは市場だね。みなさーん! いい歳してはぐれて迷子になんてなったら、魔族領中に言いふらしますからねー!」
「はぁーい」
でも総勢二十一人での移動だから、かなり窮屈。
そして案の定迷子が発生してしまうのでした――。
モーリスの初登場が21話。
素性が完全に分かるのが35話。
そして108話にして、ようやく声を出す事が叶いましたよ。




